【インタビュー】テント「花形文化通信」NO.67/1994年12月号ウィウィウィ
トゥルルットゥ!
ギョギョギョ
シビレッター、ピュッ、ガッガッガッ

話はバラバラ
迷い込んだり
急に飛んだり
夢から醒めてもまた夢の中
気がつきゃ、テントは歌ってる
漫談界のウィリアム・バロウズ
テントの行く道は、ある程度、遠い。

テント――確かに。生活感がないですね。テントはテントの世界だけで生きてるみたい。

テント ネタはだいたいオフロで浮かんできます。フロは誰もおらへん、自分だけの世界。

――テントさんのネタってバラバラですよね。「僕のネタ、バラバラですよ。家帰ってから組み立てて笑ってください」っておっしゃるように。いったいいつからバラバラになったんですか?

テント いつなったんかなぁー。僕ね、不器用やからね、不器用でずぼらなとこあるから、ネタって一本あればええと思てる。ええネタ一本あったら、それだけでズーッといける。そんなんがええなというのがあってね。でもその一本を作ってるうちに、もっと面白くしなあかんからだんだんと変わってきてんねん。たとえばネタの始めの方で、ギャグを言った後、「言うときますが、ここでコレおもろなかったら、これからズーッとおもろないよ」って言うでしょ。最初に言うたときはこれだけだったんです。ここで笑い来てたからね。でもこればっかりやってたらもっと面白ないとあかんから、これにいっぱい付け加えていってね、……「これが僕の漫談のヤマ場やからね」、次に「どんな山場や、そんな山場ですよ」その次に「低い山場やなぁ」「へー」とか、で「そんなんでね」「どんなんや」って広がってくる。長いことかかってネタを作っていくもんやから、7年くらい使こてたら愛着あるでしょ。着るもんと一緒で、捨てたくない。捨てるより残すほうが好き。テント

――捨てられなかったネタが、大きいのであれ、小さいのであれ、一本の話の中にバラバラに詰まってるんですね。

テント 小学校の時考えたネタ、今でも使ってるよ。時事ネタとかは好きじゃない。好きやないというより、損するように思う。ずっと使われへんでしょ。総理大臣のネタとか作ったことあるけど、何回も変わるから古くさぁ感じるでしょ。

――「ウィウィ」とか「トゥルルットゥ」というのも古さがないですよね。あれはどのようにしてできたんですか。

テント 「ウィウィ」はね、漫才してる時にできたんです。漫才やってる時、相棒が「ええかげんにしなさい」って肩をたたいて、僕はボケやったからね、「ウィウィ」ってたまたま言うて、ウケたからね。やっぱり舞台踏んでたら生きてくるでしょ、で何かやる。それで「ウィウィ」って言うたらドッと来たからまたやる、で何回かやってるうちにウケんようになって。今までウケてたのがウケんようになったのは何か原因がある、でもこれは絶対ウケるハズや、これはずっとやったろと、やってるうちに僕があきてきてね、で、「ウィ」がウケるんやったら、ちょっと違う「ベィ」でもウケるハズや。でもベィじゃ近いからと考えたのが「トゥルルットゥ」と「ギョッ」。でもあきてその次が「シビレッター」で、その次に「ピュッ」を付けて「ガッガッガ…」。

――ネタと一緒で捨てずに、後にいろいろ付いてくるんですね。今ではひとつながりですもんね。

テント ウィウィウィ、トゥルルットゥ、ギョッ、シビレッターピュッ、シビレッターピュッ、ガッガッガッ。

テント――テントさんはいつごろから芸にめざめたんですか?

テント 幼稚園の時から芸能界あこがれてたね。一番最初にモノマネをしたのは散髪屋で。僕らが子供の頃はラジオで『お父さんはお人好し』とかが流れてたから、出演してたアチャコのしゃべりとか覚えてね。大人が子供あやすのに鼻つまんで「めちゃくちゃでござりますわ」とか言うから、散髪屋で僕もそれマネしてね。そのうち鼻をつままずにできるようにして、他にもできへんかなーと思ってたら、エノケンが渡辺のジュースの素のCMに出ててマネして。それから大村崑、雁之助、小学校に行ってからは落語にあこがれて、砂川捨丸とか、すごいなと思って。

――じゃあ、小学校では人気者だったんですか。

テント いや、普段はスポット当たってなくて、クラス会でだけスポットが当たる。クラス会ではいつもトリやったから。落語で『相撲場風景』とか『いかけ屋』とかね。そうそう小学校の時、モノマネ落語開拓してんけどね。

――モノマネ落語って。

テント 落語の登場人物が、誰かのモノマネになってる。大村崑とかアチャコが落語に出てくるような…。

――それはたいへんな芸じゃないですか。

テント ノドがつかれるし、じゃまくさなってね、やめました。ほんまはね、みんなの前でようしゃべらんねん。学校の本読みでもあがってた。今、僕素人やったら、素人番組絶対でぇへん。あーいうの、いややもん。それに団体競技もできへんし。学芸会の「浦島太郎」で、役はずされたからね。亀をいじめる子供たちの役やったけど、亀を囲む輪の中に入られへんかった。なんかいつもひとりはずれてしまう。そしたら先生が「三浦くん(本名)。いいですよ、出なくて」って。その時めちゃくちゃ腹立って。ひょっとしたらそこで芽生えたんちゃうかな、一人でも舞台立ったるって。

――でも今は一人で舞台に立ってる。

テント テントというのも虚像でね、虚像作ってふわーっと入ってってしゃべってる。「テントやったらこうやろな」「テントやったらここでオロオロするな」とか「ここでネタ忘れるな」とか。自分でビデオ見ても、なんでコイツいつもこうやろなと思ってツッコむことある。

――漫談の中で、自作の曲を歌われますよね。『行き先は若者』という歌が大好きなんですが、あれはどのようにしてできたんですか。

テント 『若者たち』という歌が好きでね、「君の行く道は果てしなく遠い」っていうでしょ。果てしなく遠いっていうのがええなと思ってたけど、果てしなく遠かったら、ずーっとナイままやよね。そんなに遠ないなと思って、ある程度ちゃうかなと。で、「♪若者の行き先は、ある程度遠い」と。でも僕はその後が好きなんです。「♪もうそんなんでね、どんなんや、そんなんですよー、どんなんやー。ウィウィウィ、トゥルルットゥーッ!ギョギョギョー、ギョギョギョー」。「ウィウィウィ」と「ギョギョギョ」は他の曲には乗らへんのですよ。上岡龍太郎師匠は、「あの歌ええ歌やからお笑いいらんぞ。ウィウィとかあんなん付けたらもったいない」って言うけど、でもあった方がええ。ほんまにトゥルルットゥーって乗りにくいんです。これはよく乗ってる。でも、よう考えたら、こんなんする漫談家っておらへん。

取材・構成 塚村真美/写真 岡島慎一郎

「花形文化通信」NO.67/1994年12月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行