ラウレンツィアーナ図書館の階段(2016年撮影, フィレンツェ)

 

「ラウレンツィアーナ図書館の階段

文・写真 下坂浩和

 

今回もイタリアルネサンスを代表する芸術家ミケランジェロが設計した階段です。ラウレンツィアーナ図書館は、メディチ家代々により収集された古文書を収めるために1520年頃に構想され、ミケランジェロ没後の1571年になって利用者に公開されました。メディチ家礼拝堂のあるサン・ロレンツォ教会の一画にあって、観光ガイドブックにも掲載されています。

この階段は、中庭に面した2階の入口から、閲覧室のある3階に上る階段で、一般の方にはなじみが薄いかも知れませんが、建築史上大変有名な階段です。大学の建築専攻には西洋建築史という講義があるのですが、その教科書として使われる「西洋建築史圖集」にも歴史上重要な建築として紹介されています。

ミケランジェロは、彫刻家、画家に加えて、建築家でもあったとわれています。彫刻作品としてはローマ・サンピエトロ大聖堂の「ピエタ」や、フィレンツェのアカデミア美術館の「ダヴィデ像」、絵画作品としてはバチカンの「システィーナ礼拝堂天井画」や、祭壇壁画「最後の審判」が知られていますが、建築作品としては前回ご紹介したカピトリーノの丘の上にあるカンピドリオ広場と、今回ご紹介するラウレンツィアーナ図書館の階段室のふたつが代表作といわれます。

サン・ロレンツォ教会の正面ファサード案が残されていて、これが完成していれば、ミケランジェロ建築の代表作になったに違いないのですが、こちらは1520年に計画が中断されてから今日まで500年間、レンガを積み上げただけの未完成の状態です。

完成した代表作は、広場と階段室で、同じルネサンス建築でもフィレンツェ大聖堂のような建築とは異なり、どちらも外観と内部空間をあわせ持つわけではないので、それを「建築」と呼んでよいものか、疑問に思われる方がおられるかもしれません。

実はこの広場と階段室には共通点があるのです。どちらも中に入ると、あたかも一つの建物の四面の外観を裏返して、内外を反転させたような内部空間になっています。

ラウレンツィアーナ図書館の階段室の四面の壁には、外壁のような窓がついていて、天井を取り外せば、中庭になるような空間です。そしてこの階段も、屋内の階段というよりは、図書館の正面玄関への外部階段のように立派な階段です。ミケランジェロは、室内であっても、建築の外観のようにつくったのかもしれません。

ラウレンツィアーナ図書館の階段(2016年撮影, フィレンツェ)

この階段の最大の特長は、途中の踊り場から下が中央と両側の三列に分かれていることで、上階の閲覧室の入口の幅の割に、ずいぶん幅が広く、これほど立派な階段にしては、階段室の空間が狭すぎるのではないかと思うほどです。

現在、この階段室へは、聖堂とは別の入口を通り、中庭に面した廻廊側の側面から入るので、シンボリックな階段のわりには入り方がせせこましいのですが、階段を降りた正面の壁の向こう側は、サン・ロレンツォ聖堂の主祭壇の横という位置関係になっていますから、当初はこの正面の壁に入口をつくって、聖堂から直接入れるように構想されていたのではないかと思います。その証拠に、正面の壁の中央には窓がなく、ここに入口扉をつければ主入口になるように装飾のない壁のまま残してあります。

ラウレンツィアーナ図書館の階段(2016年撮影, フィレンツェ)

初めてイタリアに行ったとき以来、フィレンツェでは毎回この階段を訪れていますが、以前は撮影禁止で監視さんが目を光らせていたのが、最近は写真を撮れるようになりました。それならば細部を撮ろうと思ってじっくり見ていると、いろんな発見がありました。

この階段の中央部分は15段で上の階に上がるのですが、下から3段、7段、5段の3つの部分に分れます。下の3段は楕円形で、このうち3段目にだけ楕円の縁に溝飾りが彫られています。そして次の7段の下から2段だけ両側に渦巻き模様の装飾がついていて、しかも、2段目の渦巻きの長さは1段目よりも短いのです。すべての段に模様をつけるはずが、途中で中断してしまったようにも見えます。

ラウレンツィアーナ図書館の階段(2016年撮影, フィレンツェ)

ラウレンツィアーナ図書館の階段(2016年撮影, フィレンツェ)

なぜ、段によって装飾が違うのか。最初に気づいた時は不完全で中途半端、天才芸術家らしくない、と思いましたが、じつは、ミケランジェロはこの階段をつくりながらどのくらいの装飾がちょうど良いか、試していたのではないか。そして、すべての段にこの渦巻きがついていると、くどくて、しつこいデザインになりそうだったので、迷った挙句に2段だけで中断したのではないか。そして、サン・ロレンツォ教会の正面ファサードの完成に合わせて、聖堂から直接入れる正面入口をつくり、その時までには階段の装飾を決めて、すべてを完成させるつもりだったのではないか。

この階段は永遠に未完で、安易に完成させないところは、さすが天才ミケランジェロ、と思うようになりました。

(2020年1月22日)

 

下坂浩和(建築家・日建設計) 1965年大阪生まれ。1990年ワシントン大学留学の後、1991年神戸大学大学院修了と同時に日建設計に入社。担当した主な建物は「六甲中学校・高等学校本館」(2013年)、「龍谷ミュージアム」(2010年)、「大阪府済生会中津病院北棟」(2002)「宇治市源氏物語ミュージアム」(1998年)ほか。