今年の夏に行われた「花形文化通信ウェブ復刊 記念の集い」後の打ち上げの際に、この日のPA担当で、かつてベアーズのスタッフだった奥成一志さんが1989-1990年頃のライブを多数撮影し、現在も所有、しかもデジタル保存していることが発覚。そこで、10月16日、当サイトの連載「ベアーズ・クロニクル」の連動企画として、難波ベアーズにて上映会とトークショーを行うことになりました。
トークは、奥成一志PAのほか、ベアーズの山本精一店長、「ベアーズ・クロニクル」のガンジー石原、音楽評論家の安田謙一、そして、司会に保山ひャンという面々。当時のベアーズの、いわば尻の毛の穴まで知っている5人によって、いったいどんなトークが繰り広げられたのか? はっきりいって全部は見せられません。というわけで、その一部分だけをレポートします。(丸黄うりほ)

ベアーズ初期の写真やチラシをスライド上映

開演時間の19時半になったというのに、司会の保山ひャンが姿を見せません。しかし、ベアーズ店内はすでに満員です。客席にはライブ会場でよく見かける(かつて見かけた)お顔もちらほら。なかには東京からわざわざこのイベントのために駆けつけたという人も。
まず、ガンジーさんより挨拶。「山本さんから、去年出たベアーズ本(M.C.BOO著『がんばれ! ベアーズ』)から漏れていることを書いてほしいという話が僕にあって、花形文化通信で「ベアーズ・クロニクル」の連載を始めることになりました。それがきっかけで、いろいろ調べだして現在に至ります」。
そこで、ガンジーさんが自宅の書類の山を掘り起こして集めてきたというベアーズ初期の写真やチラシの数々をスライドショーで紹介。ベアーズ入り口の初代テント、87年頃のギターを弾く山本精一、山本店長が自ら編集・発行していたフリーペーパーの「UNDER GROUND」などがスクリーンに映し出されました。

パチンコ大勝で入手した、奥成さんのビデオカメラ

スライドの次は、いよいよ奥成さんの秘蔵ビデオの上映です。
これらの動画は1989年と1990年に撮影されたもの。ビデオカメラは当時とても高価でしたが、奥成さんがそれを入手できたのは、仕事前に通っていたパチンコで、ある日大勝したからなのだとか。入手したカメラをさっそく使ってみようと思ったとき、そこにベアーズがあった。奥成さんがパチンコに勝って、本当によかったと思います。
懐かしい映像がぞくぞくと出てきました。それを見ながらのトークの一部を紹介すると……。

「ゴングダービー」(89年4月9日)
安田「めちゃくちゃ好きやった!」
山本「最初はゴングビーターだったのに、次に見たときはゴングダービーになっててんな」
ガンジー「それは、もともとぷがじゃの誤植(笑)。それがそのままバンド名になったんです」
安田「当時はそういうバンドって結構ありましたよね」

「タマス&ポチス」(90年2月11日)
安田「僕らは“誰カバ”に影響受けたバンドだったと思いますね。今見たら、この頃は一生懸命にやってる」(※誰カバ=誰がカバやねんロックンロールショー)
山本「照明の感じが今と違う、スポットライトが明るい。僕はこのときの照明がいちばん好きですね。今のウチの照明は暗すぎんねん」

「保山宗明王」(90年2月11日)
ガンジー「保山くんの、この段取りの悪さはなんやろな」
安田「僕、影響受けています」
ガンジー「僕も受けています」
山本「ところで。保山くん、来ないな……」

ベアーズスタッフのバンド映像も蔵出し!

この頃になると客席には立ち見も出始めました。20時をまわって、やっと司会の保山さんが会場に到着。奥成さんのビデオ上映はまだまだ続きます。

左から、山本精一、安田謙一、保山ひャン、ガンジー石原

「ランブラーズ」(89年11月12日)
山本「のちのヰタ・セクスアリスです」
保山「ベースがフィリップくん。この頃からダジャレ言ってました」
ガンジー「89年頃、サイケが流行っていた」
山本「俺の中ではずっと流行っていますけど。生涯一サイケ」
保山「サイケのイントネーションがめちゃくちゃや(笑)」
安田「かっこいい演奏ですね」

「アウシュヴィッツ」(90年3月4日)
保山「林(直人)くんはマイケル・スレイド作品が好きで、歌詞もその世界ですよね」
山本「アメリカン・ニューシネマみたいな」
安田「キンクスのライブの帰りに一緒に飲みに行って盛り上がった」
山本「キンクスってわかるわー」

「KUKU」(90年1月28日)
山本「 KUKU はベアーズのスタッフだった石隈(学)くんのバンドです。いつの間にか座敷童みたいにおった。でも、よくやってくれた。一つの時代を作ったね」
ガンジー「ノルマ制導入とか」
山本「いつの間にかノルマ制になってた。出演バンドに言われて知ったんや」

「C.C.LIER」(90年8月1日)
山本「これはギターが保海(良枝)さんですね。フレーズが保海らしい。よけいなものを一切加えない感じ」
保山「ベアーズのスタッフ特集や。女の人が、時代の顔していますね」
山本「ヘアスタイルのせいかな」

「PLAYMATE」(90年8月1日)
山本「懐かしい。エッグプラントのにおいがする」
保山「この人らは今どうしてるんですか」
「ギターのミカリン(林美香さん)復活しています!」と、客席から声が上がりました。この日はお客様もステージに上がれるくらい事情通が多かったようです。

奥成さんのほかにもレア映像を保存している人が?

舞台袖で映像を映していた奥成一志さんも発言。

合計30本ほどのビデオ上映も終盤にさしかかったころ、山本さんに促されて奥成さんが発言。「なぜこのイベントをやることになったかというと、ベアーズのビデオがたくさんあるけど、僕が死んだら闇に葬られるかな、という話を花形文化通信のウェブ復刊の打上げでしたんです。最初はもっと身内的な上映会をイメージしていたんですけど」。
その話を受けて、故人になってしまったミュージシャンの話題に。保山さんが「死んだ話、多いですね」と言うと、山本さんは「涙でそう。150歳くらいまで人間は生きるもんと違うんか?」と。また「レア映像がたくさんあって、僕もうれしいです。こんなのあるの、知りませんでした」とも。どうやら、奥成さんのほかにも当時のライブを撮影していた人がいるらしいという情報も出ました。

最後に、山本さんから「ありがとう。大林ぬれてる( M.C.BOO )さんのおかげで、このイベントができました。あの本のおかげで俺まで怒られたけど、もっと100人くらい、いろんな人がベアーズ本を書けばいいと思う」と。花形文化通信の「ベアーズ・クロニクル」については、「連載を読んで初めて知ったことも多いです」とのこと。「連載はまだまだ続きます。きっと、これからも新発見がぞくぞく出てきますよ」と、ガンジーさんが締めくくりました。