Artisia(アルティジア)という新進気鋭女性画家グループ=赤松玉女・田仲容子・マツモトヨーコ=が「王様の庭」と題するユニークな展覧会を開くことになった。庭とは誰もが持つ心遊ばせる場所をさしたもので、ここではみんなが王様になる。そういう楽しく開放感のあるスペースにしようと、枠を越えいろんなエンタテイメントと3人の創作による絵画やオブジェなどを融合させていく芸術スクランブルイベント。画廊にしろなんにしろ、入りにくい、わかりにくいと人見知りされてる気配がプンプンあったが、それも解決した面期的な企みだ。で、今回はその初めとして音楽好きな王様の庭。朝のDJで主婦にも人気の出てきたGON-TITIのTITI松村やピアニスト福田容子が協力する。玉女嬢と松村氏は、ある画廊で見た彼女の絵にひと目惚れした氏がぜひとも会いたいと、自分のラジオ番組にゲストでひっぱり出したのが縁。音楽が聴こえる絵、絵が心に浮かぶ音楽という所でも相互作用しそうな、そんな2人がまずは王様の庭の気分を伝える。

赤松玉女(以降たまめ) すごく考えてることが似てるんですよね。

TITI松村(以降チチ) どっちもプロはこうあるべきやみたいなんぜんぜんないもんね(笑)。その辺の意気込みのなさね(笑)。

たまめ 常に自分を楽しむっていうか、まず自分が楽しまないと話が始まらないという姿勢が似てるんでしょうね。

チチ それと玉女さんの絵って変な裏心がないんよね。抽象画ってようあるやん。あっこいつ変なこと狙ってるなあっていう——。ぼくらも音楽で言いたいことは何もないわけ。自分で勝手に考えてくれみたいな感じやから。

たまめ よくこの絵で何を言いたいのって聞かれるんですけど、いつも困るんです。

チチ ぼくらは何もありませんって言うよ(笑)。でも、玉女さんの絵をパッと見た時、描いた人は何も言いたのうてもぼくらに「何かおもしろいやん」て感じさすでしょう。脳ミソの斜め45度の辺をコンコンとノックされてるみたいな刺激があるよ。そういう攻め方ってエエなあ。

たまめ 私はたいていの場合描く時何も考えてないんですよ。人物を描いていたらたまたまこういう表情が出てきた、じゃ、そこから広げていこうっていう感じなんです。

チチ それがね、ぼくらの曲作りも一緒やねんね。最初の大元になるもんはプッと出てくる。それが一つのムードみたいなんをこしらえてそこからフーッと流れて行くっていう感じね。「あっこれは南国やなあ、南向いてんなあ」とかって思ったら、あとは舟頭さんがどっかから出て来よってそっちへ漕いでくれはるわけよ。こっちやこっちやって(笑)。すごい自然にね。

たまめ たぶん、イメージのたまりの部分っていうのがあって、私だと童話とか小さい時見た映画とかね。そんないろんなもんの蓄積から出てくるんでしょうね。

チチ うん。で、それがどこの国かもわからへん、季節も時間もわからへんというものになってるねん。そこがエエな。ほくらもそう言われてるけどね。

たまめ でも私わりとドロドロ人間くさい所も好きなんですね。だからそういう自分の宇宙を描きながら人間くさい部分もかくし味のようにあって欲しいというのはありますね。

チチ 一緒やな。ねェ玉女さんて楽観的ちがう?

たまめ 基本的にはそうかな。落ちこみそうになったら寝てしまえとか思って寝て明日になれば忘れてるパターン。

チチ それも一緒やな。僕なんか寝る前に脳ミソ出してシワとか伸ばすもん。もうツルツルや(笑)。生きていく上での大事なことで悩んだことないし、何言われても平気やねん。けど「肌が弱ってる」とか「シミ出てきたね」って言われるんだけはごっつう傷つく。悲しい。寝られへんねん。なんでか言うと僕はものすごいシワの刻まれた人見たらつらいの。この人どんな苦労して来たんやろうって思てまう。苦労が表に出てるのって嫌いやねんね。

たまめ あ、なんかわかる気がする。

(インタビュー・構成:やまだりよこ/写真:浅田トモシゲ)

「花形文化通信」NO.1/1989年6月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行)