鴨沢祐二 インタビュー「花形文化通信」No.100/1997年9月1日発行

シガレットをくわえて、クシー君は夜の街に散歩に出る。
小さな紳士の友達は月のうさぎのレプス君。
ふたりが歩けば、ブリキのバッヂみたいな流れ星も落っこちる。
プラトン・シティって何処? クシー君は元気?
そして何か秘密はあるの?
教えてください、鴨沢先生。
だって、クシー君もプラトン・シティも、先生の発明なのだから。

鴨沢祐二――単行本『クシー君のピカビアな夜』がいよいよ発売と聞いたんですが。

鴨沢 すごい傑作です。本当は、もう刷り上がってるはずなんです。ところが出版社の青林堂があんなことになっちゃって。

――編集部がみんな辞めた、という事件ですね。

鴨沢 ええ。それで、どうなるかわからないんです。描き下ろしのカラー8ページを残して製版はすべて終わってるんです。あとは刷るだけなんです。……ショックです。一時すごく落ち込みました、今は元気になりましたけど。
――校正刷りを見ると「あとがき」に、描き下ろしカラー8ページに3年を費やしたと書いてありますね。

鴨沢 「そういうのは費やしたとはいわないの!」なんて言われますけど、内容は’77年から’79年まで『ビックリハウス』で連載していたものをまとめたものなんです。原稿はあるわけだから、描き下ろしは要らないって言われたんですけど、「描きたい」って言って、それで3年も遅れたんですね。

――鴨沢さんの漫画は1コマ1コマをじっくり読み進んでいく感じだから、描くのにも時間がかかりそうでうね。

鴨沢 1コマずつ描くというより1つずつ描くんです。僕の場合はパーツごとにできあがるんです。1つのコマにクシー君とレプス君が立ってるとすると、クシー君だけ描いて、背景は背景で描いて、それを合成します。クシー君のデッサンだけでも何枚も描きます。足の線をどうするか決まらなくて何本も線を引いたりしてね。パソコンのソフトでイラストレーターっていうのがあるんですけど、手法はアレに似てるんです。僕はアナログで手でやってたわけですけど。イラストレーターっていううソフトが発売された時、「そのソフトは私の真似っこしてる」と思いましたね。

――漫画の要素って、いろいろありますけど、鴨沢さんは絵ということを大事にしてる気がします。

鴨沢 そうかもしれないですね。お話の部分も無理矢理、絵の部分に入れてしまいたいんですね、どっちかというと。だから長編って描けない。流れを説明するコマとかが必要になってくるじゃないですか、そういうのはあまり描きたくない。

――クシー君はこれからも描かれるのでしょうか?

鴨沢 注文がきたらね。単行本のために久々にクシー君を描いたら、またムラムラと描きたくなってきました。ネタはずっとあるんですよ。手のほうが追いつかない。描きたい漫画のネタは何年分もたまってるの。発想だけあっちこっちメモはしてある。

――クシー君は’75年に登場していますが、その後、顔が変化してますね。

鴨沢 半分意識してるところもあるんですが、描いてるうちに変わっちゃう。最近、Tシャツなどの商品向けに描いたのは、特に可愛い。

――鴨沢さんが最初に描いた漫画が、クシー君だったんですよね。漫画を、それもクシー君を描こうと思ったのはどうしてですか?

鴨沢 鈴木翁二さんとかがすごく好きで、稲垣足穂っぽい世界にジーンとしてね、影響受けたんですね。水木しげるさんもつげ義春さんも好きで読んでました。直接、漫画を描いてみようと思ったきっかけは佐々木マキさんの「六月の隕石」です。漫画を見て、自分でも描く気になったんです。「六月の隕石」は完璧な作品で、ある種、目標でもあって、それを超える作品はなかなか描けませんね。で、なんとかクシー君を描いて『ガロ』に持ってったら、社長の長井勝一さんが見てくれて、この道に入ってしまった。

――それまでは、イラストの仕事とかされてたんですか?

鴨沢 岩手の大学の美術科にいたんですけど、19才の頃、70年代の初めでしたが、東京が面白そうだったので、出てきました。何をしたらいいか、わかってなかったですね、クシー君描くまでは。イラストの仕事では秘密の絵もあるんですよ。エロ本にエロイラストを投稿していたんですね。そのうち、依頼もきて、何回か掲載されました。ある時期、これは何となく、なかったことにしようとしたわけでもないけれど、自分からは触れないようにはしてた。いつの間にか掲載誌も手元になくなっていて。今思うと惜しいことをしたなあ。

――クシー君の顔も変わり続けてますが、クシー君の住んでる街、プラトン・シティも少しずつ違う。プラトン・シティの地図はあるんですか?

鴨沢 地図は、完璧じゃないんですよ。ゆくゆくは地図になるようにしたいんだけど、あまり固執しちゃうとしばられてしまう。よほど綿密に計画立ててやってればいいけど、僕みたいに思いつきで描いてくと、後でつじつまが合わなくなってくるんでね。友達のウサギのレプス君は出てこないクシー君もあって、その時の友達は少年のイオタ君。だから、クシー君は3つくらいの世界に同時に存在してると思って方が無理がないかもしれない。

――プラトン・シティみたいな街はあったらいいな、とか思うんですか。

鴨沢 そこまで夢想家じゃない。むしろ足穂が書いてる、昔の神戸らしき街のほうが憧れますね。僕はね、パクリの名人なんですね。想像力で描くんじゃなくて、物を見て描く人なんですね。たまたま目にした物とかすぐ作品に反映しちゃう。プラトン・シティっていう名前も、当時マンディアルグが好きだったんだけど、そこにプラトン立体ってのが出てきた。昔の宇宙論で、プラトン立体が宇宙模型になってるのがあって、かっこいいな、じゃあ街の名前はプラトン・シティにしようって。日本の電車が走ってるプラトン・シティもありますが、あの電車は、僕の子供時代、花巻電鉄っていうチンチン電車が走ってた、その思い出です。

――イオタ君にもモデルがいますか?

鴨沢 いるけど、ちょっと言えない。小学生の時、友達だった子にカッコイイ子がいたんですけど。献辞に「模型店のメアリーに」というのがありますが、この子も実在します。模型屋さんの娘なんです。マリコっていうんですけど、メアリーってあだ名だったんです。もう模型屋はとっくにないんですけど。僕のうんとちっちゃい頃って、プラモデルが出る前で、木のモデルだったんです。戦艦とかのね。急にプラモデルが普及してプラモデル一色になっちゃったけど。

――クシー君は、ご本人がモデルですか。ちょっと似てる。

鴨沢 描いた絵と本人が似るなんて一般的に言いますけど、その程度のことです。クシー君像は相当作ってます。ただの子供と違うように。たばこを吸ったり、硬質なものが好きだったり。

――そういえば、『季刊・本とコンピュータ』1997夏号に、漫画描かれてましたよね。はみ出し部分に、小さく犬の絵が描いてありましたけど、あれはペロかな。

鴨沢 そうですね。あの漫画はね、あのはみ出しの1行が描きたかったんです。僕の究極の書物論。

――究極の超豪華限定本遂に発刊!なんて予告がしてあったので、わあ、本が出るんだと思って読んだら、予価1億円とか、総2ページとか、なんだ、ここも漫画か、と思いました。

鴨沢 本はね、表紙と裏表紙と中身があれば、本だと思うの。その中身はペラ一枚でも本になる。1ページ目は「阿」、2ページ目は「吽」。あうんで、物語は完結してる。真面目なんです。

取材・構成・写真 塚村真美

「花形文化通信」No.100/1997年9月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行