スタジオジブリ映画「かぐや姫の物語」(高畑勲監督/2013年公開)の主題歌「いのちの記憶」の作詞・作曲・歌唱で、注目を集めた二階堂和美さん。ソロのほか、ビッグバンドのヴォーカルや、国内外のアーティストとのコラボ、そしてCM歌唱も。活動拠点は実家(お寺)のある広島県です。二児の母で僧侶でもある二階堂さん。ニカさんはどこに向かっているのでしょう。(塚村真美)

写真:三田村亮

ハイジかシヅ子か

――二階堂さんってハイジに似てますよね。ハイジが大人になった感じがします。

二階堂 えー!

――高畑勲監督が「かぐや姫の物語」の歌をお願いした人というので、二階堂さんのことを知ったわけですが、お顔を見て、あ〜ハイジに似てるからだ〜と思いました。高畑さんはそんなことおっしゃってなかったですか?

二階堂 あっはっは(笑)。大好きですけどね、ハイジ、ははは(笑)。ちょっと聞き出しとけばよかったですけど、たぶん、そんなことはおっしゃられないと思います。でも、高畑さんはかぐや姫の映画を作るときに、ハイジを日本に移しかえられないか、っていうようなことを考えたっておっしゃってました。にしても、私がハイジに似てる、というのはおこがましいですよ(笑)

――いや、似てますよ。似てるなって思いましたよ、私は。高畑さんはそんなこと本人には恥ずかしくて言えなかったんじゃないかな。

二階堂 ははは(笑)

――それはともかく、昨年は高畑監督が亡くなって、二階堂さんがお別れの会で「いのちの記憶」歌われました。映画のエンドロールで流れる歌が、そのまま監督を送る歌になりました。二階堂さんは笑顔がとってもよいですが、一般的には悲しい顔が有名になってしまった。

二階堂 そうなんですよ、どうせテレビに出るんだったら、泣きそうな顔で歌うんじゃなくて、パアーっとエネルギーを出せるような歌を歌いたいなと、すごく思っていて。それがなかなか叶わないんですけど、次に何かの巡り合わせがあるならば、そういう明るい歌で出たい。

――エッセイ「負うて抱えて」の中で、エゴ・ラッピンの中納良恵さんが、NHKのテレビドラマ「トットてれび」で笠置シヅ子役を演じて歌われたことについて、嫉妬した話がありましたが、本当に悔しかったんですね? 二階堂さんの「東京ブギウギ」とか、似てますもんね。

二階堂 いや、よっちゃんの笠置シヅ子、よかったのでいいんですけど(笑)。私ほんとに笠置さんが好きで、笠置シズ子を歌わせたら私の右に出る人はいないと思ってるくらいで(笑)。あのドラマが、音楽は大友良英さんで、ディレクターさんも知った方だったんで、「それ、私に声かけてくれてもよかったんじゃないの~?」と妙にリアルに(笑)。

――でも元気もいいけど、あまりに元気だと見ていてしんどくなることも。

二階堂 そうなんですよね、いっつもいっつも音頭ばっかり、だったら、それもしんどい(笑)。定着しすぎると、また窮屈になってくるんでしょうね。考えてみれば、今、もう十分じゃないかとは思っています。あんまり欲も……。

――少欲知足?

「負うて抱えて」二階堂和美 著/晶文社

お呼びでない?

二階堂 紅白に出たいとかいうのも、ずーっと言い続けてきてたんですけど、でもだんだん、思いもしなくなってきました。今の紅白に、じゃあ出たいかっていったら、そうでもない。

――ああ、昭和の「◎◎県出身」とかいわれた頃のような番組ではすっかりなくなりましたね。

二階堂 そう、今は別に歌手の力量を合戦するわけじゃないですしね。士気もあがらない。まあ、私の行く場所ではない、というか、お呼びでない(笑)。じゃあ、どこに行く?(笑)

――エッセイの中には「いのちの記憶」が「千の風になって」みたいにヒットしたら、どうしよう、なんて杞憂も笑い話、ってありましたが?

二階堂 ははは(笑)。いやそうなんですよ。それも皮肉なことで、NHKの「歌謡コンサート」っていう番組に、氷川きよしさんとかと並んで出たんです。

――メジャー番組ですね。

二階堂 まあ、すごいことですよ。NHKホールの生オーケストラの、しかも生放送です。これが、その直前、まだ0歳だった上の娘が肺炎にかかって緊急入院したんです。そもそも映画の公開時期が、初めての出産とまるまるかぶっていたので、本来産休する間にアルバム制作やら映画の全国キャンペーンとかで動きまくっていて、もう母子ともにへとへとだったんです。その限界がちょうどこの番組の直前に来た感じで。「ここで決めとけば『千の風になって』みたいに行くかもしれないですよ」とか囁かれながら、もう大コケです。全然歌えない。感動させるどころじゃない、しゃべる声さえ出ないくらいだったんで。で、もう、スルーですよね(笑)、やっぱり。せっかくそういうところに出ても、話題にならない(笑)

――うわあ大変だったんですね。そして残念無念……。

二階堂 ことごとくそういうところで、失敗するんですよ(笑)。なんか、ここは決めといた方がいいよ、みたいなところをどうもなんか逃していくタチで。まあ、ただ自分にとってあの曲が、すごくすーごくすごく大事な曲であることは変わりないし、いわゆる代表曲っていうのをいただけたというのは、ありがたいことです。

――爆発的ではないにしても、これからも歌い続けられ、聞き続けられる歌だと思います。コーラス曲になっていたりしますよ?ひろがりもあるのでは?

やってやれないことはない

二階堂 そうですね。もちろんあります。小学校の運動会の行進曲になっていたのはびっくりでしたけど。ジブリの曲ですから当然いろんなバージョンがでてますよね。マッサージ受けてたらBGMでオルゴールバージョンが流れてきたり。まあそういうひろがりはもう私にはほぼ関係ないですけど、この曲が「いのち」というテーマだから、仏教はもちろん、人権や福祉、教育関係の講演会のご依頼とか、ちょっと分不相応なお話がくるのは、正直なところ戸惑っています。あれ?そんなキャラクターじゃなかったはずだけど、みたいな。でも、仏教とのつながりが、図らずもすごく強くなってしまったので、ライフワークというか、僧侶と歌手っていう二足のわらじが自然な形で重なって、ひろがりというか逆に、道が自ずと定まってきたような感じはあります。

――仏教系の集まりはとっても温かい場ですが、二階堂さんはそこだけに留まってほしくない存在です。歌手としては、昭和の王道を行ってるところもありますね。永六輔さんの前座で「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」を歌ったり、美空ひばりさんの「一本の鉛筆」をテレビで歌ったり。

二階堂 いつもそういう歌を歌っているわけではないですけどね。その頃の歌への敬意や、伝承すべきだという使命感も持っているので、ちょいちょい採り入れたり、そういう企画のものは積極的に受けたいと思っています。「一本の鉛筆」は番組のディレクターさんの提案でした。戦後70年あるいは被爆70年と言われた年で、ちょうど私もこの曲に取り組むべき時が来ていると感じていたので、「ようこそ、それを私に振ってくれました!」って思いました。国会の安保法制の賛否が市民レベルで大きな話題になっていた時でもあって、この曲のメッセージが今一度問われるべきだとも思いました。その後もコンサートで歌い続けています。

――ちょっと優等生のような気もしますが、実際、世の中では大変なことが次々に起こってきます。

二階堂 そうなんですよね。「いのち」をテーマにした講演とかも、荷が重いと思っても、どこかで「やってやれないことはない」って思って引き受けちゃう。「私はこうです」とか、「こうでなければやれない」とかが言えない、というか、言いたくなくて。例えばステージの機材なんかも、どんな状態でも「できるよ、私」っていうか(笑)。いちいちそうなんですよ(笑)。いちいちそんなところで、見せなくていい何かを見せようとするから。なんか、なんなんでしょうね。昔、若い頃に、ピアノの千野秀一さんと同じイベントに出たことがあって、私のリハーサルが千野さんの前だったんですけど、けっこう大きな音量でPAさんがやるがままにまかせていたんです。で、私のリハが終わった後に、千野さんが来られて、「マイクいらな〜い」って言って(笑)。「生で聞こえるんじゃない、お客さん」みたいな。野外だったんですけどね。で、「かっこいい〜」って思ったんです。「みんな聞く気になれば、耳すませば聞こえるよ〜」とか言って。確かにそうなんですよ。真ん中に舞台があって、サラウンドな感じでお客さんが周囲を取り囲んで、生ピアノが置いてあるんだから、スピーカーから出しちゃったら、ね。おもしろみがない。あー、私もそうすればよかった、って後からちょっと思った。

――もう取り返せなかった?

二階堂 もう私のリハ終わってたんで。それすごく印象に残っていて。そうだよなあって。なんかやっぱり自分も、一観客としてそういう感じが好きなので。その時その場ならでは、っていうのが面白いじゃないですか。だからついつい「機材、こういうのしかないんですけど」「はいー、いいっす、いいっす」みたいな(笑)、そういうことをやっちゃうんですけど、でもやっぱり、ダメなんですよ、それじゃあ。千野さんがその時、言われたことと全然違う。なんでもいいよ、というのとは違うのでね。ベストの状態、みたいなことにもっとこだわったほうがいいんですよね。こだわりたい気持ちももちろんあるんですけど、なぜか迎合というか、妥協しちゃう。もっとこうしておけば、みなさんがもっと感動できたはずなのに、なんかまたやっちゃったな、って。自分で自分のクオリティを下げてしまってる感じがして。でも1950~60年代のジャズ・ミュージシャンとかの、そういうのを問題にしない、なんでも来いみたいな精神があるじゃないですか?そういうのを受け継ぎたいような思いもあるし。で、挑戦と後悔、挑戦と満足、それの繰り返しです。

※後半はこちらへ