「天異星赤髪鬼」「天空星急先鋒」「天微星九絞竜」…白髪が足で描いた作品に付けたタイトルである。具体では、作品にタイトルをつけることはイメージを限定するとの理由で御法度とされたが、1959年ミッシェル・タピエと初めての契約が成立し、何枚もの絵を海外へ送らねばならず、作品Noだけではそのうち、何がどんな絵かわからなくなるとの懸念から、白髪が覚え書のように書き示したのものである。記号めいた漢字の単語は、すべて水滸伝に出てくる豪傑の名であり、108人のうち、106人の名のついた106枚の絵が、約7年の間に描かれた。名付けられなかった2人の人物は馬ドロボウとスパイだから、わざわざ付ける気がしなかったのだそうだ。
白髪が足で絵を描き始めてから、106枚の絵を描き終えるまでのこの7年間、ほとんど時を重ねて、彼は鉄砲を撃っていた。
「鉄砲が好きでね。あの黒光り、黒いようなブルーに光るあの鉄の色に憧れて。本当はピストルなんかも好きやったんやけど、持てんからオモチャの買うたりして。でも鉄砲は本物持てるから、何丁か持ってましたんや」
彼が凝ったのはライフル銃であった。買ってしまったら撃ちたくなる。
「鉄砲なんかで、なんでそないに撃とうか、と思うたのは”勇ましい”から。勇ましいことやってると勇ましい絵になるんじゃないか、というごく単純な発想で、ボンボン松の木を撃ってはスッとして帰ってきて、絵を描いてたんやね」
そのうち猟にも出かけた。しかし殺生は好きじゃないし、犬を飼うのもシンドイから、やめようと思った頃、ふと、あること思いついた。
「自分で撃った猪の皮で作品を作ったらどないなるやろか」と。
そして猪狩りに出かけたが、そう簡単には獲れない。結局、大阪日本橋にあった冬場だけ店を開く猪肉鹿肉専門店で5頭分の生の皮を買って帰ってきた。皮をナメすということを知らなかった彼は何日もかかって、近所の人に白い目で見られながらもカチカチの皮に仕上げ、じゅうたんに畳針で縫いつけて、赤い絵の具をぶちまけた。しかしじゅうたんはどんどん絵の具を吸い込み、まっ黒けのわけのわからない作品ができ上がった。この作品は1961年の高島屋での「具体展」に出品されたが、何人かの女性客を帰し、気分の悪くなる人も出て不評であった。しかし、懲りずに彼は今度はナメシ皮を買って再度チャレンジする。
「これは美と醜の境を見極めようと思って作りましてん」と吉原治良にいうと、「こんなん醜だけやがな」と返されたという。しかし賛否両論を生んだこの絵は吉原の目にかなったのか、無事出品が許された。
そういえば、婆娑羅大名の佐々木道誉も獣の皮を使って人を驚かせたと聞く。「婆娑羅というのはわりと好きでね。字を書く展覧会の企画があった時に、『せや婆娑羅いうの書いたれ』と無茶苦茶に、オートマチックに書いたんですよ。婆娑羅いうのもいろんな意味あって、したい放題とか型破りとかいう意味もあるしな」と答えた。
猪の出そうな地に住む、この書を買った人に、その軸を見せてもらった。竹の筆で書かれたという婆娑羅の三文字は、醜のない美しい線で描かれていた。
1978年製作 個人蔵