1955年7月25日—8月6日 兵庫県芦屋市 芦屋川沿い松林の公園
「真夏の太陽にいどむ 野外モダンアート実験展」
文・塚村真美
大工さん松の木から松の木へ黄色い板を渡す
うわっ。黄色い板が動いている。
ここに着いた時から気になっていた黄色い細長ーい板。地面に置いてあったから、点字ブロックみたいと思ったけれど、そんなわけはない[i]。その先をたどっていくと、板の端は、こいのぼりでも立てるような高い丸太のポールの上に取り付けられて、板が帯のように上から垂れ下がっている。どうするつもりなのかなあと思っていたら、その板が急に動き出した。
「大工さん、大工さん」と、女の人の声がする。松の木の上の方に向かって声をかけている、サングラスをしたあの小柄な女性、あれは、田中敦子さん![ii] 松の木の上に2、3人、大工さんと思しき人の姿がちらちら見え隠れする。
「わっ、危ないですよ!気をつけてくださいね!」と、その危なっかしさに探偵は叫ばずにはいられない。松の木の大きな枝にまたがった大工さんは、垂れ下がっていた板を持っている。幅30㎝くらいの細長い板は、厚さは1㎝あるかないかで、黄色の塗料が塗られていて、ええっと1枚2枚3枚……14、15、16、17枚…長っ、ざっと30mはありそうだ。
「この板を松の木から松の木へ、ずーっと長う長うこのへんからあのへんまで吊り下げたいんです」[iii]
あのへんって、田中さんずいぶん遠くを指さしてますけど、会場を横断するつもり? 公園の東西の幅は端から端まで約50mだから、真ん中の展示空間を埋めるくらいの長さはある。[iv]
「この板ぶら下げて継目がもつやろか、まあやってみまっさ」
板はそれぞれ端から10㎝くらいを4カ所ビスかなんかで留めでつないである。ああ、大工さん、危なっかしいなあ。
「あの、そこらで右の方で、右の方へやってちょうだい」
え、田中さん、そんな勝手な。
「あっ、こらあかん、つないだところがはずれそうや」
ちょっとちょっと、これは危険な作業ですよ、ほんまに気をつけてくださいよ、危なくて見てられません。わ、大工さん、落っこちる〜!
「おっとと、もうちょっとでわしが落ちてしまうとこや、こんな高い松の木から落ちたら大怪我するがな」
「あ、そこで左の方へやって、左へ」
えっと田中さん、指示の出し方がちょっと厳しいですよ……。
「こんどは左でっかいな、ほんまにこらむずかしい仕事や」
ほんまですよ。ほんまに危ない……。
「そこで、こっちを50㎝ほど上げて、そこを1mほど下げて、またその先をちょっと上げてちょうだい」
松の木から松の木へ、大工さんたちは黄色い板を上げたり下げたりして、渡していく。なるほど、布が風になびくように、水に流れるようにうねっていく、その黄色い色が松の緑によく映えている。
「あっ、そこでまた右へ右へ」
「そんなこというたかて右の方には松の枝のびてえしまへん、これ以上右へいけまへんわ」
「それでも右へいってくれはらんとええかっこにならへんわ」
「そんなこといわれたかて、わたいら神様やあれへん、そんなことできまへん」
大工さん、怒ってますよ。そりゃ怒りますよね。あ、下りる?下りるの?いや、下りるのも危ないですよ、大工さん、気をつけてください。田中さんは、大工さんが怒っていることを全く意に介さず、まだ指示を出し続けている。田中さんの、芸術を追求する気持ちはなんというか、まっすぐすぎる。田中敦子の辞書に「妥協」という言葉は、ない。
ちょっと大工さんが怒ってしまって空気がよくないので、探偵はちょっとこの場を離れるとしよう。
ぶっ刺さった5寸クギとブリキの板
「誰っ!後ろからシャツを引っぱるのは!?」
振り向くと、誰もいない。そこには5寸クギがあるばかり。
「ひゃー危ない危ない!なんちゅうことをしてくれてるの?」
黒色のエナメル塗料で真っ黒に塗った丸太のポールの、上から下まで約5mにわたって、ランダムに何本もクギがぶっ刺さっている。危なくってしょうがないなあ、この会場は。
そしてまた、危なそうなものが地面に置かれている。ブリキの正方形の板だ、座布団くらいの大きさから大学帽くらいの大きさまで15、6枚。それぞれの角をハトメで2カ所ずつ留めてつないである。[v]
またしても女性の作家。白いノースリーブシャツにタイトスカート、そしてストラップ付きのパンプス、とても制作とか搬入とかの服装には思えない。
「あのもし、お嬢さん、お嬢さんは山崎つる子さん、ですか?」
「ええ。何か?」
「ちょっと制作風景を拝見させていただこうかと」
「どうぞ。でも邪魔はなさらないで」
「はい。わかりました」
「近づくと、危険ですよ」
「の、ようですね。さっきシャツがクギに引っかかりました。それに黒いポールのところ、立札に書いてあります《危険》って。これって、タイトルですか」[vi]
「ふふふ」
「これはブリキですね?」
「そう。ブリキ屋さんで買ってきたんです」[vii]
「ありましたね~、ブリキ屋さん。バケツとか、たらいとか、ジョウロとか、それからHの形をした煙突の先とか、店内にいろいろぶら下がってました。お店が銀色、あ、銀じゃないブリキ色一色でかっこよかったなあ。あったなあ。」
「どこの町にでも、あるでしょ」
「あ、あります、ですね。あの、作品に金属を使われるのは初めてですか?」[viii]
「そうですね。光沢というか、反射というか、金属板っていうのはシャープになるから。それを気に入って、金属板にしようと思ったんです」
「たしかにシャープです、切れそうなくらい」
「金属的な冷たい感じが好きなんです」
「なるほど。あれ、その前にある作品も、山崎さんの作品ですか?」
「どれ?これ?違いますよ!」
「あ、どなたかほかの方?失礼しました」
「あの、ちょっとお静かになさって」
「すいません……あ、何か塗るんですか?その缶は塗料?ニス?ブリキ屋さんで調合してもらったんですか?」
「あの、邪魔をなさいませんように。そう申しましたよね。ほかにも作品を展示しなければならないんです」
「申し訳ありません。あ、ちょっと一周してきます」
山崎つる子さん、背筋を伸ばしてかっこいい、ご本人もシャープな方だなあ。
ところで、山崎さんの前にあった作品は、誰の作品かな。細くて高さもないけれど、長さはある。10mくらいあったぞ、脚は黒く塗ってあって、イメージとしては建築物みたいだった。3㎝角ほどの材木を、数㎝ほどの短いものから、数mの長いものまで、細長い積木のように組み合わせて構成してあった。そうだな、造形というより、構成という感じだな。作家はアーティストというより、やっぱり建築家っぽい[ix]。建築家の人が、アートの野外展に出品することは、21世紀の野外展でもわりと見られるけれど、この時代にもあったのかもしれない。
エネルギッシュな作品以外に、緻密な作品もあったのだなあ、などと思いながら、さらに奥へ歩いていくと、吉田稔郎《実験D》(前々号参照)が松の木の下に延びていた。その、柵のような棒が並んだ作品に沿って歩いていくと、あ、ここにも小さい作品がある。あ、これ、山崎つる子さんの作品だ、名札が立っている。
ブリキのお玉みたいなものが、地面に15本くらいぶっ刺さっている。お玉といっても丸みはないくおしゃもじみたいな平たい円、五平餅みたいでもあるけど楕円ではなくて正円。それがひとかたまり地面から生えている。ブリキには紫色が塗ってある。
さっきの直線的でシャープな造形に比べると、こっちは素材こそシャープだけれど、丸っこくってかわいい。山崎さんの絵によく出てくるぷくっとした形にも似ていなくもない。丸のモチーフは絵の中に出てくるのは、まだ先のことか。そういえば、絵に出てくる丸いものについて「おばけみたい、おばけという感覚」とおっしゃってたな、「好きだったんです、はじめからよく使いました」と。[x] はじめって、いつのことかな?もっと前かな?後かな?これはおばけみたいなものじゃないのかな?
いやしかし、かわいい。い〜や、かわいくない。つまづいてコケたら危ない。ちょうど吉田稔郎作品が、立ち入り禁止の柵みたいになってくれているからいいようなものの……。
あ〜、海が近いなあ。川のそばだし、いい風が吹いてきましたよ〜。あれ、何?宇宙の音?歩いて来た方向から、なにやら不気味な音が聞こえてくる。音の作品もあったのか?いや、違う。行ってみよう。え、あれは、さっきのブリキじゃないか。ブリキがたてている音だ。[xi]
山崎さんが地面に置いて作業していた、正方形のブリキをつないだものが、5寸クギをやたらめったらぶっ刺した黒塗りの丸太の上からぶら下がっている。垂れた下の方は、動かないようにだろうか、砂の中に埋められている。しかし、風が吹くと揺れる。ブリキに当たった風の音がうなっている。うなりながら揺れている。
とんでもなく危ない作品だ。立札の《危険》は、作品名じゃなくて注意喚起か? あれ、山崎さん、今度は川沿いの方でまたなんかやってますよ。あれは荒縄ではないか?
荒縄でつくったクモの巣?
「これ、なんですか?ちょっと山崎さんらしくないですよ」
「あら、どういう意味かしら?」
「山崎さんって、なんというか金属的な、カッコいいイメージがあるものですから」
「あら、ありがとう。でも、ユーモアもあるのよ」
「これは、ユーモラスですね。なんですか?クモの巣?」
「もっとも下手な、単純な形にしたかったの」[xii]
「ピンと張れてない、こんな下手なぐにゃぐにゃした巣をクモは張らないでしょう。でも、のびのびしていて生命感があります」
「今度の野外展、楽しくのびのびしているでしょう。それはなぜだとお思い?」
「はて、なぜでしょう?」
「構成に頼った作品がほとんど見られないからだ、と思います。構成で支えられている画は、構成を除くと何も残りません。強烈でたくましい生命感が別のかたちで、バリバリニョキニョキ太陽にいどんでいる姿は、ユーモアたっぷりで笑いを誘います」
「あ、ニョキニョキ!さっきの丸いブリキの作品、ニョキニョキしてました」
「真面目くさったアートは古くさいでしょ。思いっきり野放図で、どっちかというと笑っちゃうみたいな、ふふふ」[xiii]
「それにこのクモの巣は、ヌケ感があってよいです」
「クモの巣を通して、松の木やほかの作品が見えるのもとても楽しい、でしょ」
「野放図とおっしゃいましたが、こういうクモの巣も設計図というか見取り図を提出されたんですよね」[xiv]
「ええ、もちろん」
「計画の上のことですよね。つまり野放図といっても、単なる思いつきで勝手きままにここにクモの巣を張ろうと、適当に縄を仕掛けたわけじゃない。ちゃんとクモの巣になってますもんね」
「あら、ありがとう。」
「それに、これは危険じゃないし」
「ほほほ」
空間を支配するかのような黄色い板とピンクの布
うろうろしている間に、田中さんの黄色い板が、松林の上の方に、しなやかにず〜っと渡されていた。これはこれは高い、白髪さんの赤い丸太より高くに上がっている。天ノ川か、黄色いミルキーウェイ。会場を覆い尽くすような勢いで延びている。この空間を支配してしまおうという感じ、なんか知ってる、なんだったっけな〜と探偵は思った。
そして、空間を支配する作品がもう一つ、いままさに設置されようとしている。
うわ、まぶしい!なんだこのショッキングなピンク色は!
田中敦子さんが、ピンク色の布を地上に広げた。一辺が5m強の正方形の布地[xv]は、強烈なピンク色で、周囲をセルリアンブルーの布で縁取りしてある。地上から30㎝ほどの高さ[xvi]で、地面に打ち込んだ杭に留めていく。その強烈なピンクは真夏の太陽の光を反射して、あたりを一瞬で、ピンク色に染めてしまった。素材はレーヨンか[xvii]、ピカピカして、なめらかだ。ああ、ここでもか、ここでも、田中さんは空間を支配している。
取材の人がきた。田中さんが答えている。
「私の作品は安定した美しさを破りたかったのです。約20畳敷の桃色の布はもっとも嫌いな色を使おうと大阪中を探し回ってやっと買った人絹です。これを大地に敷き詰めて太陽に反射する異様な輝きにこれまでの芸術的という外面を破りたかったのです」[xviii]
うむ。ラディカルな発言だ。
「あの、田中さん」
「なんでしょう?」
「この色、もっとも嫌いな色なのですね」
「嫌らしい色でしょう。これまで素朴な感じやったんですが、もっと嫌らしい方が面白くないかと」[xix]
「嫌らしいというか、えげつないというか、ですね。色の取り合わせも目がチカチカします」
「周囲にきらきらした空色の縁を貼ったんです」
田中さんは、サングラスをしているから、マシだろうけれど、相当まぶしい。
阪神電車の芦屋駅から歩いてきて、会場に着いたら、目の前に赤い丸太が立っていて、空中には黄色い板の帯、そして地上にはどぎついピンク色の布が待っているなんて。そして、聞こえてくるのは松籟の音ではなく、ブリキの音……。白黒の写真しか見ていなかったから分からなかったけれど、想像していたよりずっとずっとカラフルな展覧会だ。
あ、海からの風がここにも吹いてきた。ピンクの布がはためいて、布が棒からはずれそうになってる。大丈夫かな。
と、田中さんが、はずれそうになっている布を、留め直した。ほっ、大丈夫。
あれ、なんだろう。田中さんがじいっとピンクの布を見つめている。布が動くのを見ているのだろうか。
「あの、何か気になることでも?」
「いえ、ちょっと……。絵をね、絵を動かしてみようか、と」[xx]
絵?絵を動かす?ええっとそれはどういうことかな?
「あれ、田中さん、田中さんがいない、どこ?」
ちょっと目を離したすきに、田中さんはどこかに行ってしまった。
また風が吹いてきた。バタバタバタバタ……ピンクの布はさざ波がたったようにはためきを止めなかった[xxi]。ブルーで縁取られたこの作品は「布」ではない。これは一枚の大きな「絵」なのだ。この絵が動くの見て、田中さんはきっと何かヒントを得たに違いない。
(12/17/2024)
*次回「絵の具で描いた絵」につづく
*これまでの「GUTAI探偵」はこちらから
[i] 点字ブロック(正式名称「視覚障害者誘導用ブロック」)は1965年三宅精一氏考案、1966年、岡山市内に世界で初めて敷設。http://nichimou.org/impaired-vision/barrier-free/induction-block/
[ii] 白髪一雄「連載第二回 冒険の記録 エピソードでつづる具体グループの12年」『美術手帖』第286号, 1967年8月1日発行, pp.138-145(pp.138-140)を参照。
[iii] 上記[ii]より会話部分を引用。
[iv] 浮田要三「真夏の太陽にいどむ モダンアート野外実験展」『具体3』芦屋野外展特集, 1955年10月20日具体美術協会発行, p2とp5を参照。丸太の高さについては、p2に「十五メートル」とあるが、現在のところ15mのポールは写真では確認できていない。板については「巾一尺、長さ一間の杉板十七枚」と記されている。一尺は約30.3㎝、一間は約182㎝。
[v] 上記[iv] p2とp15を参照。
[vi] 上記[iv] p2を参照。
[vii] 山崎つる子オーラル・ヒストリー, 加藤瑞穂氏と池上裕子氏によるインタビュー, 2009年1月16日, 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ https://oralarthistory.org/archives/interviews/yamazaki_tsuruko_01/ を参照。
[viii] 上記[vii] を参照。質問と回答も上記より引用。
[ix] 大阪中之島美術館, 吉原治良旧蔵資料のうち「芦屋市野外展出品作品概略図」と題された青焼図面を参照。制作者不明。
[x] 「ロートルポテンシャルパワー⑬〜シリーズ具体その5「光りものと軽やかな混沌」山崎つる子」『花形文化通信』No.47, 1993年4月1日発行参照。筆者によるインタビュー記事。「絵の中にある漫画のフキダシに似てると言われる形ですけど、私としては、あれはオバケという感覚なんです」と語っていた。
[xi] 『具体3』[iii]のp2を参照。
[xii] 山崎つる子「たくましい生命感」『産経新聞 阪神版』1955年8月3日「モチーフを語る(9)」より引用。
[xiii] [ix]『花形文化通信』No.47の同記事参照。ただし、1955年10月の第1回具体展以降の絵についての質問への回答ではあったが、同時期の感覚として採用した。
[xiv] 大阪中之島美術館, 吉原治良旧蔵資料のうち「真夏の太陽にいどむ モダンアート野外実験展」のための見取り図「山崎つる子(3)点」を参照。
[xv] [ii]白髪一雄「連載第二回 冒険の記録 エピソードでつづる具体グループの12年」には5メートル四方とある。[iii]『具体3』には10m×10mとあり、以降この大きさが踏襲されているようだが、『産経新聞 阪神版』1955年7月26日「モチーフを語る(1)」の写真を見たところ、一辺に女性が12〜13人並ぶ長さに見える。女性の肩幅を約40㎝とすると480~520㎝となる。また、大阪中之島美術館, 吉原治良旧蔵資料にある「真夏の太陽にいどむ 野外モダンアート実験展」のための田中敦子が描いたと思われる見取り図には、約6ヤール×6ヤールとあり、もし計画通りとすれば約550×550mとなり、産経新聞記事で本人の発言として掲載されている「約20畳敷」つまり36㎡=6m×6mにも近いため、約5m強とした。
「田中敦子 自作を語る」芦屋市立美術博物館でのトーク書き起こし(2001年4月15日)加藤瑞穂著『田中敦子と具体美術協会』2023年1月11日, 大阪大学出版会, p367 では、作家本人が「10メートル四方の作品」と発言している。トークは同館での「田中敦子 未知の美の探求1954-2000」展会期中の関連企画として行われ、この作品が再制作され、庭に展示された。同展企画担当者で聞き手であった加藤氏によると、再制作にあたっては、作家ご本人が「展示場所によって大きさを変えてもよい」とおっしゃっていた、とのことで、このときは庭の植栽や野外彫刻との兼ね合いで、サイズを小さくしたという。
[xvi] 「田中敦子氏インタビュー」山村徳太郎氏と尾崎信一郎氏(現鳥取県立美術館館長)による(1985年9月9日)『具体資料集—ドキュメント具体1954-1972』1993年, 財団法人芦屋市文化振興財団発行を参照。本人は「地上より30㎝くらいの間をあけて」と語っている。『具体3』の浮田要三記事では20㎝。30㎝の棒を打ち込んだら20㎝になったのかもしれない。
[xvii] 本人の見取り図ほか、当時の記事には「人絹」とある。人造絹糸のことで一般的にレーヨンを指す。裏地などに使われる。
[xviii] 『産経新聞 阪神版』1955年7月26日「モチーフを語る(1)」より引用。
[xix] [xv]「田中敦子氏インタビュー」を参照。[xv]「田中敦子 自作を語る」『田中敦子と具体美術協会』 p367では「もっときつい色にしたいと思いまして、もっと反発心をそそるような色にしたいと思いまして」と発言している。
[xx] [xv]「田中敦子 自作を語る」『田中敦子と具体美術協会』 pp.367-368参照。
田中敦子著「制作にあたって」(1993年3月21日)『国立国際美術館月報』第81号, 1955年6月1日発行, p.3 参照。
[xxi] 「バタバタバタバタ」は[xv]「田中敦子 自作を語る」での本人の発言。 [ii] 白髪一雄著「冒険の記録 エピソードでつづる具体グループの12年」には「ピンクの池にさざ波がたったようにはためくのである」と記述されている。
そのほか参考図書
加藤瑞穂、南美幸編「田中敦子 未知の美の探求1954-2000」展カタログ 2001年3月3日, 田中敦子展実行委員会、芦屋市立美術博物館、静岡県立美術館発行
山本淳夫編「リフレクション 山崎つる子」展カタログ 2004年, 芦屋市立美術博物館発行