挿し絵:北林研二

句読点、固有名詞。

 

 飯田橋の、以前は紀の善があった(いまは定食屋になっている)ビルそばの西口階段を降りる。そこから地下鉄に乗るでもなくJRに乗るでもなく、ただてくてく地下を歩いて、以前はブックオフがあった(いまはダイソーが入っている)ビルそばの東口階段を上がる。

 夏だ。夏でなければ、わざわざ地下を行かずに、外苑通りをすたすた歩く。夏だから、そして東京の夏の陽射しが強すぎるから、体が勝手に日陰と冷房を求める。

 飯田橋東口の交差点は大きく開けていて、信号待ちをしているあいだにも暑さでまいってしまう。通りの向こうに、以前はスーツカンパニーがあったところにドトールができたので、ちょっと入ってブレンド一杯分の涼をとる。わたしがこの界隈に住み始めてまだ五年だけれど、コロナ禍を経たせいか、それともそもそも東京の店の入れ替わりが激しいのか、なじみの店が次々となくなっていく。そういえば、東京に来た当初はよく、このドトールの向かいのタリーズに入ったのだが、今見ると、もう空き店舗になっている。近くの歩道橋のそばには別の小さなドトールがあったが、そこも薬局になった。長居できる喫茶によって街並みを覚えているせいで、通りの様子を思い出そうとすると、まるで句読点のようにドトールやヴェローチェやスタバや珈琲館の看板が頭に灯るのだが、その句読点が五年のうちにあちこち移動してしまい、どうも通りの像があやふやになってくる。

 Googleマップのストリートビューには、最新のものだけでなく「他の日付を見る」というモードがあって、たまに、近所の通りの過去の様子を見ることがある。2019年以後の通りは、わたしの知っている通りであり、その変遷を見て、ああそうだったと納得がいくのだけれど、それ以前の日付を見るのは、ちょっと怖い。場所によっては、Googleがストリートビューサービスを始めた2008年くらいまで遡れてしまう。自分が当たり前に思っていた店が空き店舗になり、工事中になり、別の店になっている。見知らぬ建物が、更地になり、自分の知っている建物になる。そういう変遷を追っていくと、なんだか足もとが崩れていくような不安に襲われる。自分もいつかここから去り、自分の知らない建物にすり替わっていくような感じがする。ストリートビューでは、プライヴァシー保護の目的で人の顔や車のナンバーにぼかしが入っている。あくまで記録の編集なのだが、わたしの記憶から誰かの手で編集されているようで、それも怖い。

 わたしは人と目を合わすのも人の顔を覚えるのも大の苦手なのだが、喫茶で注文をするときはなるべく相手の顔を見るようにしている。それでようやく、街の手応えのようなものが積もっていく気がする。

 以前、彦根にいるときにときどき行っていた喫茶スイスが、2022年に閉店した。わたしの弟が滋賀大に通っていた1980年代中期にすでに老舗の風格だったらしいのだが、1995年にわたし自身が彦根に移り住むことになり、それから2019年に東京に越すまで、喫茶スイスはずっと喫茶スイスだった。コーヒーカンタータと喫茶スイスは彦根を思い出すときの動かしがたい句読点だったが、その喫茶スイスが、彦根から遠く離れている間に、あとかたもなくなり、ドラッグストアになった。

 わたしが喫茶スイスに行った回数は、年に数回、合計しても100回程度で、とても常連とは言えない。わたしよりずっと足繁く、学生時代からスイスに通っていた元同僚の川井操さんは、喫茶スイスがなくなるのを惜しんで、山小屋風の店の材を引き取って改修材として活かし、さらには店主だった伊藤さんご夫妻にインタビューを行い、自ら出版社を起ち上げて『喫茶スイス 1972-2022』(あしがる出版)という本まで作ってしまった。あしがる、というのは、彦根に住んだ人なら分かる、市内の町名の一つである。

 閉店後の喫茶スイスの写真を撮っているのは金川晋吾さん。金川さんとは川井さんの肝いりで彦根で対談をして知り合い、東京に来てからもあちこちでお会いしている。エッセイを書いている御子柴泰子さんはもともとわたしの研究室のゼミ生で、卒業してから半月舎という古本屋を彦根で開いた。金川さんとの対談もその半月舎で行った。イラストを描いているマメイケダさんとは、やはり半月舎主催のトークでお話して以来、ときどき酒盛りをしていて、うちの玄関には、彦根の「ナマステネパール」でマメさんが描いた絵が飾ってある。

 半月舎はその後、二度の引っ越しを経て、いまは彦根の古い銭湯だった山の湯を改装して田口史人さんのレコード店「円盤」とひとつ屋根の下に入り、女湯に古本屋、男湯にレコードショップというなんとも愉快な店として生まれ変わった。

 こうして思い出してみると、彦根もけっこう様変わりしているのだが、不思議と頭の中の彦根がすり替わるような危うさはない。それは、この町の記憶にまつわる固有名詞が、それぞれ顔を持った人の名前だからかもしれない。

(8/23/24)

『喫茶スイス 1972-2022』(あしがる出版)はこちら

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