ヴァージル・アブローは黒いラッパーになったドロシー

文・嶽本野ばら

『新潮』2023年3月号に去年、41歳で急逝したヴァージル・アブローの最後のインタビューが掲載されています。聞き手は『Vestoj 』の編集長アンニャ・アロノウスキー・クロンバーグ。

2013年にオフホワイトを設立、2018年、ルイ・ヴィトンのメンズのアーティステックディレクターに就任したヴァージルに就いて僕は語るべきものを持ちません。スーパーブランドのデザイナーに抜擢された黒人と世間は騒いだが、ヒップホップがコアの彼のお洋服に僕は関心を示せませんでした。ロリータとパンクは仲良しですが、ヒップホップには無関心だから(YO,YO,チェケラ!)。

ヴァージル・アブロー 最後のロングインタビュー「黒人の聖典を定義する」』が掲載された『新潮』2022年3月号

「ヴァージル・アブロー 最後のロングインタビュー『黒人の正典(ブラック・カノン)を定義する』」が掲載された「新潮」2022年3月号

2019ss、ヴィトンでの初コレクションとなるパレロワイヤル前のレインボーのランウェイは確かにファンタスティックでした。ファッションを超え、多様性を広く提示するきっかけになったと思います。でも日本のヴィトンのディスプレイがレインボーになったのに対しては、胡散臭さしか感じなかった。それは同性愛者の旗印。人種問題などに拡張させるは良いが、ダイバーシティにまで及ぶと首を傾げさせられる。

ヴァージルは「ファッション界の大半は私をデザイナーとして認めていません」「黒人だからということもあるでしょうが、それだけではありません。アメリカ人であること。ファッションスクール出身ではないこと。従来型のヒエラルキーを登らずに成功したこと。多分野を股にかけていること。作品がエンターテイメント文化に隣接していること。ファッションがエリートだけに許された追求であるという考えに賛同していないこと」と語ります。黒人からも白人のようだと差別され続けてきたとも打ち明ける。が、ラフ・シモンズもインテリアデザインから転身、エディ・スリマンは移民系、且つ独学、異端の経歴のデザイナーは珍しくありません。ヴィヴィアン・ウエストウッドは教師、中古レコード屋、デザイナー、現在、環境保護の活動家ですしね。

ヴァージルが他のトップデザイナーと明らかに異なるのは、肌の色だけでしょう。黒人としてはオリヴィエ・ルスタンが既にバルマンのデザイナーとして起用されていますが、彼はブラックカルチャーの担い手という文脈で起用されたのではない。ヴァージルのヒップホップをラグジュアリーと融合させる――イメージを、ヴィトンが多様性のアイコンとして利用したのは明白。後任は決まっていない。CEOのマイケル・バールは「彼を継げる人間はなかなかいない。ゆっくり考えるべき」といいつつ、「私達のように大きなメゾンは一人に頼らない。後任がいなくても立ち往生の心配はない」と答えます。一見、深いリスペクトに聞こえますが、デザイナーは誰でもいい、ヴァージルは秀逸な広告塔だったと告白しているようなものです。

ヴァージルは「私はつねに二重の意識をもって生きてきました」とも語る。

「自分から見えている自分と、他人から見えている自分」――“他人から見えている自分”は多様性の範疇の“個”であり、“自分から見えている自分”は多様性と無関係の比較対象なき“個”。

例えば、最後のコレクション(22-23aw)では多くのデザイナーと同様、腰位置が高くトップはY、ボトムはHのスタイルが提案されます。しかし白ずくめの男性が羽を背負っていたり、ベール付きのベースボールキャップを被っていたり、男性なのにスカート、後ろはトレーン……のアイデアも採用されます。ヒップホップなキャップやジェンダーレスなスカートは多様性の象徴。しかしトップがY、ボトムがHは普遍の領域。2018年辺りから復活のパワーショルダーは、ビッグシルエットの推移としてVのフォルムを得るが目的でした。徐々にボトムのラインを調整することでYに移行し、そして上はY、下はHになろうとしている。力のモーメント同様、モードの変化は、普遍の摂理に従っているだけ。

だから性の多様化が進もうと男子は決して頭にリボンをつけないだろうし、軽い気持ちで坊主頭になる女子が増殖することもない。リボンは女のコのもの! 普遍性の前では多様性なぞ単なるバリエーションに過ぎないのです。

ハーバード大学デザイン大学院でのヴァージルの特別講義が収録された『複雑なタイトルをここに』ヴァージルアブロー・著 アダチプレス・刊

ハーバード大学デザイン大学院でのヴァージルの特別講義が収録された『複雑なタイトルをここに』ヴァージル・アブロー著 アダチプレス刊

僕は普遍性に辿り着くことを目的としない多様性なぞ、ゴミのようなものだと思う。話をヴァージルに戻せば、彼にとってキャップやジェンダーレスは“他人から見えている自分”――“自分から見えている自分”は羽や白色ではないかと考える。彼の最終コレクションのテーマは「Louis Dreamhouse」でした。初コレクションも『オズの魔法使い』からのインスパイアが大きく、ドロシーのプリントが登場した。

ということはヴァージルの絶対的な“個”はファンタジーなのかも……。レインボーは多様性と同時、『Over the rainbow』であった。今思うと、日本のヴィトンのレインボーカラーへの違和感は、多様性のプロパガンダのみが押し出されたからだった気がする。『オズの魔法使い』は僕も大好きだもの。ヴァージルが抱えていたのは“自分から見えている自分”と“他人から見えている自分”ではなく“自分にも他人にも見える普遍性”――オズの国に行ったドロシー。そのドロシーって実は僕だったのさ――を加えた三重の意識だったのかもしれません。

と解読しつつ、ヴァージルのお洋服にはやっぱり、食指を動かされない。ヒップホップは嫌い。乙女はラップをしないからです(YO,YO,チェケラ!)。

(3/12/2022)