30年以上、新聞社に在籍していた自身にとって、名状しがたい報せに接しました。

名状しがたい、つまり何ともいえないというのは…。
「やっぱりか…」「さみしい」といった気持ちが複雑に絡むからです。

それが、この「お知らせ」↓

「大阪日日新聞」が7月31日付で、休刊することになったそうです。

「お知らせ」にもあるように…。
大阪日日新聞は…
「1911年に前身の『帝国新聞』として創刊され、戦後長らく夕刊紙として歩んだ後、2000年10月1日より“大阪の地元紙”を合言葉に朝刊に生まれ変わりました」
…という歴史ある新聞で、僕が駆け出し記者時代の1980年代、大阪では、この大阪日日新聞をはじめ「大阪新聞」「新大阪」「関西新聞」「夕刊フジ」「日刊ゲンダイ」といった夕刊紙が一般紙やスポーツ紙とともに駅売店の新聞スタンドで筒状になって並んでいました。
名前を挙げたなかで、今も新聞スタンドに並ぶ夕刊紙はフジとゲンダイだけで、それも往時のように筒が高く何重にも積み上げられている光景はずいぶん前から見なくなりました。

梅田の地下街には新聞専門といってもいい売店もあったと記憶しています。

その1980年当時から、すでに新聞は「斜陽産業」であるといわれていたのですが、当時はまだインターネットなどはなく、即時性のあるテレビと比べて「何だか時代遅れ」などといった抽象的ともいってもいい危機感や宅配の態勢の確保などが課題の中心だったような気がしますし、日本新聞協会発表のデータなどを引用した様々な情報によると1990年代半ばすぎまでは新聞の発行部数は増えていたのです。

大阪日日新聞の“退場”後、駅などのスタンドで、題字に「大阪」とついた新聞は「大阪スポーツ」だけになりますね。

とはいえ、大阪スポーツは東京スポーツ新聞社の関西支社が発行しているので、関西発祥で「大阪」を関した一般紙・夕刊紙は姿を消すというわけです。

大阪日日新聞も2000年に鳥取市に本社を置く新日本海新聞社の傘下に入っていて、現実には関西の新聞メディアの凋落感はずいぶん前から否めませんでした。

進む一方の「東京一極集中」を是正して、関西が経済的にも文化的にも、もっと復権しないという声はずいぶん前からありました。

「関西国際空港」開港(1994年9月)の前後が一番、そんな声が高まっていたという印象がありますが、現在はご覧の通り…。

たとえば「国土交通白書2020」の「東京一極集中と地方への影響」で「2014年(平成26年)より全道府県で東京圏への転出超過が続いている」と数字を具体的に示されなくとも、関西を含むほとんどの“地方”の退潮は否定できない気がします。
そんななかで、一条の光のように目についたのがこのプレスリリース↓

編集者を、西から生む。関西に編集者を増やし、編集の役割を拡張・保全するネットワーク「関西編集保安協会」を発足します。

関西?…保安協会?…。
関西人なら一瞬、電気関係かな、と思う団体名ですが…
こちら↓とは直接、関係なさそうです。

プレスリリースによると…

関西編集保安協会ロゴ
関西編集保安協会(任意団体)は

関西という地域において、さまざまなメディア領域を横断し、編集業務に従事する団体や個人が交流・連帯することを目的にした運動体

で、

首都圏に集中するメディアの産業構造を疑い、関西というエリアにおいて編集人財の育成を図るとともに、編集業に従事する人・団体が安心して仕事ができるネットワークをつくることを目的としています

…とのことです。

関西編集保安協会イメージ
発足の背景は…。

関西において編集者が活躍・育成できる場は不足しており、編集者を志す人がそもそも少なく、また志す人材も首都圏に流出しているのが現状です。編集人材の東京一極集中という課題に対して、関西はその解消の受け皿になりうるポテンシャルを有していると考えています

その根拠は…。

関西は、府県を跨いでアクセス・交流しやすいエリア規模でありながら、一国の経済規模を有し、かつ固有の地域資源(歴史・文化・自然・食・暮らしなど)を持ち合わせ稀有な地域です。2023年の文化庁の京都移転や2025年に控える大阪・関西万博など、都市としてのさらなる発展が期待されて

いるからというわけです。

1.編集業とは何かについて考察し、研究および実務支援を通じて、編集者を応援する。
2.新しい才能を発見し、業界内外との交流機会を創出し、人材育成に貢献する。
3.安心して仕事ができる環境を整備し、職能の権利を保全する。

…といった活動を繰り広げていくとのこと。

設立したのはデザインやコンテンツの企画・制作などを手掛ける会社「人間」(大阪市西区)など。

とにかく今後の活動に注目したいです。

♪カンサイヘンシュウホアンキョウカイ♪

ちょっと字余り?

(岡崎秀俊)