ベアーズのPAといえば、まず第一に保海良枝の名前が上がるが、
どっこい!その常識は上書きされていた。
常識はつねに非常識と背中合わせ。
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)

▲PA卓前 「いつもはこんなキャラじゃないです」

──ベアーズはいつからスタッフなの?

栗本 2001年夏と思います。初めのころは月1〜2回くらいしか入ってないので、ほとんど記憶にありませんが。

──スタッフになった経緯から教えてもらえますか?

栗本 高校のとき、ホールレンタルしたことがあって。当時(20世紀末)はインターネットもいまほど手軽ではなくて、クチコミ的に八尾のシルキーホール(大阪府八尾市)、心斎橋MUSE、ベアーズがレンタルしやすかったんですね。週末のお昼だったと思います。途中でブレーカーが落ちて中断した記憶があります(笑)。で、高校卒業して年上の友達が「ALLみたいなバンドおるから観に行こう」ってJAHANGIRに行ったのがきっかけ。そのとき〈スタッフ募集〉ってのが貼ってあって…応募した。同時期、ほかのライヴハウスの面接も受けて。そっち落ちたんですけど、ベアーズは受かったみたいな感じですね。

──ブッキングは誰がやってた?

栗本 三沢(洋紀)さんですね。当時のスタッフっていったら、殿井(静)さん、保海(良枝)さん、渡辺(孝司)さん、池永(正二)さん…山本(真男)くんっていう同い年の子が半年前くらい前から働いていた。豪華ラインナップ時代ですよ。初めて三沢さんに会ったのは「いまからフジロックFes.に行って(LABCRYで)ライヴやってくる」ってタイミングだったことも憶えています。

──さぞ鼻息荒かったでしょうね。栗本さんもバンドやってるんでしょ。

栗本 Diskoverってバンドをやってます。昔はあまり出てなかったんですけど。最近、企画はベアーズでやることが多い。Diskoverは7〜8年前からやってるバンド。それまでも、LAST ONE STANDING、S41、She luv itで出たこともある。ほかにも、SK8NIKSやHARD CORE DUDE、TONE DEAF、いかめがねすーすーのサポートもしてました。

she luv it /2013年、鰻谷CONPASSにて。左奥でギター担当

SK8NIKS /2011年、心斎橋KINGCOBRA SQUAT にて。左端でギター担当

Hard Core Dude/2012年、心斎橋KINGCOBRA SQUATにて。左奥でギター担当

いかめがねすーすー/2018年、梅田ハードレインにて。左から2人目 ベース担当

──楽器は?

栗本 ずっとギター。まれにベースも。

──曲も?

栗本 自分の曲もあるし、それ以外の場合も。

──音楽的な変遷は?

栗本 〈ベアーズの系譜〉のバンドとか全然知らなくて。パワーポップとかUKロックとかが好きでしたね。ベアーズと関係ありそうなバンドでいうと、DROOPとか。Psychotic reactionとか…popcatcherのレコ発もめちゃ憶えてます。知らん音楽はほとんどベアーズで教えてもらったというのはありますね。最初はよくわからないまま聴いてたんですけど。

──サイケとかスカム…アングラは底なしやからね。仕事の方は?

栗本 初めは、階段上の見張り、たまに中に入って照明…できてきたら、転換の手伝いという感じ。そのうち、「観ていいよ」と言われるようになって。渚にて、羅針盤とか長い間みたこともなかったんですよ。主に平日のパンク/ハードコアの日に入ってたんで。ほかのいろんなバンドもベアーズ以外で観てた。そのうち、ほかのライヴハウスで出会った人がベアーズで企画してくれたりもして。ベアーズのイメージってあるじゃないですか。そういうのにあまり触れずにきてたのかもしれない。

──栗本さんがスタッフになったころってのは、ベアーズ界隈では「うたもの」が盛り上がってた時代になるのかな?

栗本 たぶん。羅針盤7DAYSとかありましたもん。やらずぶったくりとかイデストロイドとか…ブッキングがすごかったイメージありました。そのあとですよね、ゼロ世代が出てくるのは。オシリペンペンズ、あふりらんぽ、DODDODOとか…年齢的にも近いし。ノイズもベアーズで初めて知りました。初めてのシフト(勤務)は確かソルマニアで。とんでもなくうるさかったという記憶があります。それまで、そういう音楽に触れる機会もなかったんですね。いまはサブスクでも聴けますけども。ベアーズ入りたてのころ、言われたのは「それぞれのバンドのいいところを見るのが大事」みたいなことだったんですよ。

──それは誰に言われた?

栗本 殿井さんですね。保海さんは「背中を見ろ」って感じで、当時、具体的に何か言われたとかはなかったです。PAの基本は渡辺さんに教えてもらいました。何となくでここまで来てるんですけれど。当時、全員PAができてブッキングできて…みたいなのがあったと思います。いまもそんな風になるように…とは考えてるんです。

──山本(精一)さんから言われたことは?

栗本 初めのころって会ったこともなくて。忘年会で年イチで顔を見るって感じでした。近年ですよ、ちゃんと話すようになったのは。

──当時、ツアーとかで忙しかったんかもね。そんな栗本さんももうベアーズ20年選手やん。記憶にあるエピソードを教えてください。

栗本 アイドル・イベント『10 minutes』(’10年8月〜)ですかね。その前身に保山さん(保山ひャン)の定例企画みたいなのがあったんですけど、見てたらだんだんお客さんより出演者のほうが多くなっていくんですよ。それは良くない…変えていこうって。保山さんからの提案で「アイドルになりたい子でオリジナル楽曲を欲しがってる人はいっぱいいるから、そんな子に曲を提供するってことにしよう」ってなる。このとき山本さんに相談したら、「めっちゃいいやん」って言ってくれた。励みになりましたね。「ベアーズでアイドル?」って言われないようにしよう…〈満員御礼〉の日を作れば、そんなことも言われなくなるだろう、と。目標としてグランプリ大会の集客100人ってのを立てたんですけど、無事100人超えましたから。

──あれやこれや…いう人はいなくなったんや。

栗本 それで次の年…シーズン2もって機運なった。「うちのトラック使てくれてかまへんで。歌てうとて」みたいなアプローチしてくれるミュージシャンも出てきたし、お客さんも入るようになって…グランプリ目指して盛り上がるようになる。シーズン3になると、エントリーしてる全員がオリジナル曲を持ってる状態になって。グランプリ大会と同じ日(’13年3月3日)にたまたま難波Hatchで「CROSSOVER」っていうデカいイベントがあったんですよ。主催してる人が知り合いやったから、その人に「10分間ください」ってお願いして。グランプリに輝いた人はベアーズからHatchに移動してライヴできるってのを目玉にしたんですよ。それは大きかったですね。

1回目の目玉は「少年ナイフが曲提供してくれる」、2回目は「映画に出演できる」…で、3回目がそれ。キャパがベアーズとケタ違いですからね。シーズン2でグランプリになった[いずこねこ]が「CROSSOVER」に出演してたので、逆にベアーズにもゲスト出演してもらたりしてすごく盛り上がりました。もうこれ以上はできないって…シーズン4からは昼のイベントに変えるようになるんです。

いずこねこ

──元[いずこねこ]の泉茉里さんのイベントは次やるね。

栗本 はい! 来たる5月21日に泉茉里さんが久しぶりにベアーズに出演してくれます。泉さんは初めてかっこいいと思ったアイドルなんですよ。フィジカルの能力も高くて。共演のネムレスは、いま一番かっこいいと思うアイドル。つきあいも深いし、今回のイベントも彼女たちがいたから実現したようなものですね。

2023年5月21日(日)フライヤー。難波ベアーズ〈Na_ stalgie equal nostalgie〉 open16:00/start16:30 adv¥3000 泉茉里(いずこねこ/ミズタマリ)、ネムレス 予約:nambabears@gmail.com

ネムレス

──えらくチカラ入れてるね。

栗本 さっきも口にしましたけど、〈ベアーズの系譜〉ってのがあるじゃないですか。いろんなバンドやアーティストが出て自由なんですけど、〈系譜〉は意識してますね。説明はしにくいですけど、いまや自分にもそれがあると思ってるんですよ。本来、自分になかったものですけど、20年もスタッフやってるとPAのスタイルにもそれが繋がってると思う。

──PAについてもお願いします。

栗本 ベアーズでスタッフになって1年以上したころ、ベアーズ・スタッフのかくし芸大会があったんですね。そのとき、殿井さんがノイズしたんですよ(02年12月)。「PAしていいよ」って初めて言われて、そのPAをやらせてもらった。ベアーズには保海さんって存在が大きくて。保海さんが辞めたとき(17年春)、「ベアーズの音は終わった」みたいにあちこちで言われたり親しい人から「大丈夫か?」と声をかけてもらったりしましたが、地味ながらも実際にやってたので、やれると思ってました。

保海さんだけじゃなくて、奥成(一志)さん(ベアーズ初代PA)の仕事を手伝いに行ったり、知り合いがほかのライヴハウスでやるとき、定期的にPAに呼んでくれたこともあったし、ベアーズだけで学んだというよりいろんな繋がりで自分のスタイルを作れたってのはあると思う。

最近になって、ACID MOTHERS TEMPLE(AMTと略)や再結成したLABCRYのPAもさせてもらった。AMTはツアーblogをずっと読んでて、PAの機会を得たときは「念願の」という気持ちでした。NANIくんとはライヴ終演後に写真を撮るのが主だったんですけどね。ベアーズに関して言えば、まず山本さんのお店ってのがあるけど、それ以外は、どの人がPAでもどの人がブッキングでも受付でもいいってのがあると思う。目の前にあるライヴが一番大切というか、その日一日がより良くなるようにということだけをそれぞれが考えるっていうか。

ベアーズ 楽屋にて。砂十島NANIと

──ベアーズではいい目もさせてもらった?

栗本 昔みたいにニューヨーク…CBGBに行ったとかはもちろんないですけど。ROVOがフジロックに出たとき(2007年)、「勉強のためにおいで」と招待してもらったことはありましたね。店はもちろん開けてるし、スタッフ全員で行くことはできなかったですけど。

Bis階段(13年9月28日)も印象に残ってます。Bis階段をやることを知ってJOJO広重さんに「ベアーズでも観たいです」と言ったら、すべて広重さんが調整してくれて実現することになった。個人的にも母親が亡くなった日になったから、印象深い。その次の日はHard Core Dudeの20周年アニバーサリーの日だったけど、さすがにその日は休ませてもらった。

2013年9月のベアー ズ ・マンスリー

──保海さんもお父さんが亡くなった日はケヴィン・シャープがベアーズに飛び入りした日と言ってた。そういう巡り合わせってあるのかも。

栗本 あるかも知れませんね。Bis階段の日はプレイガイドで前売り完売してるし、段取りで頭がいっぱいだった。入場列スタッフもいるやろうと思ったし。Bis階段のライヴは水に濡れて照明がショートして…電源が落ちて終わった。やば〜と思いました。異臭立ち込めるベアーズ で、個人的な現実は束の間忘れることができました。

──山本さんから「コロナもあってドリンクで稼がないと経営的に無理」って話を聞きました。最近はベアーズ ・バーのママもやってるんでしょ。

栗本 そうですね。ぶどう割りをいまおすすめしてます。焼酎ストレートにぶどう液をちょっと垂らしてるだけですけど。いい味ですよ。

 

*メモ

  • 難波Hatch:複合施設〈湊町リバープレイス〉に2002年からあるライヴハウス。建物が八角形なのが特徴。キャパはざっと1500人。

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