「鳥の会議」

武田雅子

曲がりなりにも、英語でモノが読めるようになってよかったことの一つに、大げさに言えば、世界的な視野で文学を見ることができるようになったということがある。日本語の世界だけの中でいると、海外のものは、日本に紹介されたものしか自分に届かないということになり、そうなると、どうしても偏りができてしまう。

1996年、ポーランドの詩人、ウィスワヴァ・シンボルスカがノーベル文学賞を受賞したとき、ちょうどアメリカにいたのだが、小さな町の本屋さんでも、ハーバード大学そばの有名なクープでも、つまり訪れたどの本屋さんのカウンターにも、彼女の詩集が平積みされており、売り場にいたバイトらしき二人の若い女性が、「読んだ?」「すごくいいよね」と話題にしているのを目の当たりにして、感激がそのまま空気を伝わってくるようだった。詩とは翻訳により失うものがとても多いのではあるが、いずれ訳が出るにしても、日本語訳で読むなら英語訳で読んでも、原文で読めないのは同じだからと、思わず買い求めた。

そのころ、英詩を読む読書会に参加していて、担当者が読むべき作品を提供することになっていた。たまたま私がそうした当番だったので、帰国して早速シンボルスカを数編選んでいった。他の参加者の反応は「英詩を読む会なのに、なぜ英語原詩のものでなく翻訳ものを?」と、怪訝な雰囲気だったのを今でも覚えているが、とにかくその時の世界の話題のものを読んでみようという熱気がアメリカにはあったのに、詩を読む人々だからこそ翻訳でも面白がってくださるかもしれないと思ったのにと、少々寂しい気がした。シンボルスカのいくつかの詩集は日本語訳が出て、先日は、評論というか伝記のようなものも日本で出たのを眼にした。あれから彼女もだいぶ日本でなじみとなったのだなと、この当時のことがよみがえってきた。

このように、私たち日本人にはえらく縁遠く思われているけれど、アメリカの本屋さんでは必ず見かけるという点で、よく似た存在が、中近東のものである。特に、13世紀のイスラムの詩人、宗教者として知られるルーミ、また、私たちに近い所では、レバノン生まれのハリール・ジブラーン(英語読みは、カリール・ジブラン)(1883-1931)がいる。

The Prophet: Gibran’s Masterpiece by Kahlil Gibran: Alfred A. KnopfAlfred A. Knopf (1945)

ルーミに関しては名前さえも全く知らなかったが、どの本屋さんの詩集のコーナーにも見かけ、それでいて日本では全く知られていないので、いったい誰なのかと不思議に思ったのだった。The Essential Rumi (ルーミ必携:ルーミを読むなら最低これだけは)というような本から始めてみると、「私たちは光のきらめきに満ちた大洋である。私たちは魚と月の間の空間であり、ここで共に座している」また「朝風がそのさわやかな香りをまきちらす。私たちは起き上がってそれを取り入れなくてはならない、私たちを生かす風を。そして、それが行ってしまう前に吸い込まなくてはならない」といった言葉に出会うことになる(ほとんどの文はもっと長いものだが、紙面の都合上短いものを選んでみた)。

The Essential Rumi by Jalal al-Din Rumi, Translations by Coleman Barks with John Moyne, A.J Arberry, Reynold A. Nicholson: Castle Books (1997)

さらに全頁、カラーのイラスト付きのルーミの本を求めてみると、背景の挿絵に、ヨーロッパの名画、キリスト教やマホメット教の世界観を表わすもの、アラビア、中国、インドを思わせる風俗などなどが繰るページごとに現れる。日本を表わす挿絵としては、歌舞伎の隈取の人物も出てくる。つまり、全世界の思想の底にルーミがあるということだろう。

The Illuminated Rumi by Jalal al-Din Rumi, Translations & Commentary by Coleman Barks, Illustrations by Michael Green:  Broadway Books (1997)

ジブランの方も、全く知らなかったが、今から何十年も前、絵本の世界で、福音館の松居直氏と共に、画期的な仕事をされていた、至光社の武市八十雄氏と出会ったとき、画家・彫刻家・詩人として知られるジブランの存在を教えてくださり、彼の主著The Prophet をプレゼントしてくださった。武市氏は、このタイトル「預言者」は、音が同じなので間違われることが多いが「予言」とは違う、つまり神の言葉を預かるのだと説明され、それをヒントに、私が「先行く者」と試訳してみたら、面白いと言ってくださったのだが、あとでジブランには文字通りThe Forerunnerという書もあることを知った。The Prophetには、ロダンを思わせると説明してくださった、ジブラン本人の絵が随所に入っていて、生きる道しるべとなるべき言葉が書かれているのが分かった。非常にキリスト教の色濃いものではあるが、ヨーロッパ経由と違って、どこかもっと開かれているというか、信者でない者にも受け入れやすい思いがした。その時、至光社のバックボーンともいうべき佐久間彪神父が訳に取り掛かっておられると聞いていたが、じっくり取り組んでおられたのだろう、『預言者』として訳が出たのは、それからずいぶん経ってからだったように思う。

『預言者』カリール ジブラン著, 佐久間 彪 訳: 至光社 刊 (1988)

ジブランは、出身のアラビア語で作品の構想をしたらしいのだが、アメリカに移住して、その後数多くの書物を英語で発表したせいだろう、彼の本は、アメリカの友人の本棚の中にも、よく見られたものであった。日本では、神谷美恵子氏の訳が角川文庫に入っているので、知る人ぞ知るものとなっているが、もっと読まれてよいものだろう。

さて、このたび、そのようなSufi(イスラムの神秘主義全体をさす言葉)文学の一つとして、
The Conference of Birds (作者はFarid Ud-Din Attar)との出会いがあった。実は、4年前に、退職後、もう一度学生になるべく1年間アメリカに滞在したときに初めての出会いはしていた。詩集のコーナーに、手のひら大より少し大きいサイズの正方形の本を見つけ、アラビアのモザイクからそのまま取ってきたような色鮮やかな絵がついていて、「鳥の会議」という不思議なタイトルどおり、それはすべて鳥の絵なのだった。こういう本は、読まなくても身近に置いておきたくて、すぐ買ってしまうのだが、詩集だから右側の行末は空いているとはいえ、ぎっしり文字は詰まっているし、人生もう長くないのだから、読むことはないかもしれないとその時は諦めた。

それから帰国して、思いがけず、洋書を扱う本屋さんでこの本と出会うことになる。同じ本ではなくて、別の現代の画家が絵を付けていて、字もその画家の手書きで、絵が主体となっていて画集に近いものだった。色数は少なく、主にブルーとオレンジの世界で抑えた感じではあるが、たくさんの鳥が画面いっぱいに描いてあったりして、とてもダイナミックなものだった。こういう本は、あまり買う人とてなかったのだろう、なんとセールになっていて、私は買わずにはおられなくなってしまった。

The Conference of the Birds by Peter Sis: Penguin Press (2011)

こうして、別の本が出るからには、「鳥の会議」というのは、私が知らないだけで、名著だったのだと気づき、あのアラビアの絵の本も欲しくなって、次の渡米の時に同じ本屋さんを探したのだが、見つからなかった。これが2年前のこと、諦めきれずに今回の渡米でも探してみた。

The Conference of the Birds The Selected Sufi Poetry of Farid Ud-Din Attar by Farid Ud-Din Attar, Translation by Raficq Abdulla: Interlink Books(2013)

一度出会っているだけに、ないとなると一層ほしい気持ちは募る。同じ本屋さんで、詩集のコーナーの位置は前と変わっていたので、なんだか望み薄な予感がしたのだが、そのコーナーに小さなその本がおさまっているのを見つけた時のうれしさといったら……。出会うべきものとは出会うのだ。驚いたのが、この本の出版社がこの本を買った小さな町にあると、奥付に書いてあったことだった。次回の渡米の折には、この出版社を訪ねてみよう。どういういきさつで、この本を作ることになったのか聞いてみよう。そんなささやかな楽しみができた。

もう一つ驚いたことが、日本で入手した本の画家は、Peter Sis(1949-)というチェコ出身で、ソ連の支配体制からアメリカに逃れた、有名な絵本画家であることが分かったことだった。『はらぺこあおむし』で知られるエリック・カール美術館で、シスの展覧会がちょうど開かれていて、その中に「鳥の会議」の絵も展示してあり、「あ、これは彼の作品だったのだ」とわかり、日本語訳も出ていた、ガリレオの生涯を描いた絵本は、大好きなものだったから、「だから、鳥の方も好きだったのだな」と、楽しい発見だった。

『鳥の会議』は、鳥たちが鳥の王を探して旅に出るというもので、旅の途中で脱落する鳥、皆を激励する鳥など、そこに人間の生き方を探るという、12世紀の宗教書である――というと、なんだか縁遠い作品だが、かくして、ぜひ読みたい一冊となったのである。

(11/5/2019)

付記 (3/5/2021)
バレエダンサー小林十市のYouTubeで、ルーミに触発された小品「ボヤージュ・ノクターン」(モーリス・ベジャール振付)のソロ部分を見ることができる。「『祈り』そのもののようなソロ。天とつながる感覚があった」とはダンサーの言葉。
https://youtu.be/fJP55WaTVcIhttps://youtu.be/fJP55WaTVcI

 

読書案内

 

武田雅子 大阪樟蔭女子大学英文科名誉教授。学士論文、修士論文の時から、女性詩人ディキンスンの研究および普及に取り組む。アマスト大学、ハーバード大学などで在外研修も。定年退職後、再び大学1年生として、ランドスケープのクラスをマサチューセッツ大学で1年間受講。アメリカや日本で詩の朗読会を多数開催、文学をめぐっての自主講座を主宰。著書にIn Search of Emily–Journeys from Japan to Amherst:Quale Press (2005アメリカ)、『エミリの詩の家ーアマストで暮らして』編集工房ノア(1996)、 『英語で読むこどもの本』創元社(1996)ほか。映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2016)では字幕監修。