「猫の谷」

 

 11月と12月がどうやら東京のコロナ禍の谷間だった。このままコロナ禍が収束してくれればいいが、どうもそうはいかないかもしれない。谷間なら、いまのうちに外に出ておこう、という気もして、この二カ月は久しぶりに外で飲んだりした。

 ムギマル2は夏に閉まってしまったけれど、どうやら猫のトンちゃんとスンちゃんは春ごろまで居るらしい。確かなことは知らない。あくまで噂である。どこからきた噂かというと、公園で二匹となごんでいる人とマスク越しに話すうちに知るのだ。話してくれるその人もたぶん、他の誰かからマスク越しに噂をきいたのだろう。口伝えにする噂も、この二カ月でようやくきこえるようになってきた。

 外のファミレスで仕事をする行き帰りに、たまに猫に会う。人なつこい猫で、こちらを追い越してから、歩速をゆるめて、脚にまといつくように一緒に歩く。あるいは餌を期待しているのかもしれない。あいにくあげるものは何もないので、そのまま猫の行き先についていく。ある夕方、その猫が、いままで通ったことのない小路に当たり前のように入っていく。普段なら気後れするほどの狭い道だが、どれどれとついていくと、一軒の店の扉が小さく開いており、そこで止まったので、もうわたしの用事は済んだなと思って別れた。

 夜半近く、散歩しているうちに、なんとなく夕方の小路が気になって入っていくと、同じ扉から灯りが漏れていた。小さな窓にグラスが飾ってある。看板はない。店の名前も知らない。久しく外で飲んでいなかったのと、猫がいるかもしれないという淡い期待とがないまぜになって、思い切って扉を開けてみた。

 中に猫は居なくて、カウンターだけの小さなバーで、常連らしき人が二人ほど飲んでいる。バーに入る習慣がないので、作法がわからない。よろしいですかと声をかけて、マスターがどうぞと指し示してくれる端の高い椅子に座った。目の前にある瓶の名前をたずねて、それをちびちび飲んでいたのだが、ふと店の中が静かになったので、じつは初めて来たのですが、表を猫が通り過ぎたもので、と、あとで考えると要領を得ない言い訳のようなことを言った。すると、常連の方がすぐに、ああ、と合点して、それからはもうひとしきりその猫の話になった。どうやら店ではおなじみらしい。

 それぞれの人の生活時間というものがあり、それぞれ違う時間に違う猫を見ている。話しながら、それを組み合わせていくと、猫の一日というのがおぼろげに浮かんでくる。マスターは界隈のこともよくご存知で、猫の行動範囲はわたしの想像よりもずっと広かった。もちろん猫は人の入ることのできない隙間に消えてしまうこともよくあって、その先には、わたしたちの知らない猫がいるはずである。常連の一人の方は、いつその猫に会ってもよいように、鞄に餌を入れているのだそうだ。
「なかなか会えないのにいつも持ち歩いてるなんてちょっとせつないですね」
「でも会えたときは格別なんですよ」

 それから、ときどきそのバーに行くようになった。帰り道、猫に会うことがある。夜半、猫はバーの前とは違う道を歩いていて、そこはわたしの通い道でもある。ああ、餌を持っていればなと思うけれど、鞄に入れて持ち歩くのは、猫を期待する自分をいつも提げているようで、なんだかせつないので、それは止めておこうと思う。

 年末の夜半過ぎ、猫と別れてほどなく、コンビニの前を通りかかった。今年も終わりだから、と妙な気分がわいた。棚を探していくと、端に個包装された小さな猫用の餌が売られている。迷わずレジに向かった。いそいそとさきほど別れた場所に戻ったが、もう影も形も見当たらなかった。

(1/4/22)

 *前回のお話「猫と暗渠」はこちら