「蟄居の日々」
一月のある夜半過ぎ、布団の中で悪寒がした。熱っぽい気がする。ついにやってしまったのかな、としばし考えた。
体温計を取ってくる。37.8度。高いとも言えないが低いとも言えない。再び布団に潜り込むと、妄想が広がり始めた。昼間の勤め先でほんの数分ほどやりとりしたあのときだろうか。独りで喫茶店に居たとき、近くで話していたカップルだろうか、それとも知らぬ間に何かに触って、触ったその手を口にやったのだろうか。もし陽性だったとしたら誰に何を知らせるべきか。この家には自宅待機に必要なものは揃っているか。
まんじりともせず朝になり、もう一度体温を計ってみた。36.7度。平熱に戻っている。そういえばわたしは年に何度か、少し根を詰めすぎたあとに、熱がさっと出て引っ込むことがあった。今回のも、それかもしれない。試しに飴玉を口に放り込んでみる。甘い。人工香料の強い匂いがする。朝飯前にやることではなかった。
とりあえず味覚と嗅覚は問題ない。しかし、時期が時期なので、簡単には判断はできない。土曜の朝だったが、行きつけの病院に電話をかけると、すぐに診てくれると言うので、歩いて行く。門の前で電話すると看護師が表に迎えにきてくれて、待合室とは別の奥の部屋に通される。そこで問診票を書く。案の定、熱、下痢、味覚障害、嗅覚障害などの項目があったが、すべて「いいえ」にチェックを入れた。やがて医師が診察室からこちらの部屋にわざわざ来てくれた。昨夜の発熱の件を話すと、彼はききながら問診票に目を通し、ふむ、と一呼吸置いてから、「ま、大丈夫でしょう」とあっけなく言った。
なんだか拍子抜けしてしまったが、念のため「あの、一応PCR検査を受けておいたほうがいいでしょうか?」ときいてみると、「受けてみます?」と、なんだかアトラクションの体験でも勧めるような口調で言われたので、こちらも妙に好奇心をそそられてしまい、「はい、できるのでしたら」と応じてしまった。「じゃ、きょうは土曜でセンターが休みなので、月曜になったらもう一度来院してください。その時点でもう一度所定の問診票を書いてもらって、朝いちばんに予約しましょう。たぶん、当日すぐに検査できます」。検査待ちの人が多いという話もきいたことがあったが、意外に早く済むらしい。
熱も引いたし、未体験のPCR検査を受けることもできるし、これはこれで悪くなかったな、と、看護師に出口まで送ってもらうまでは思っていた。けれど、いざ町に歩き出し、ついでに買い物でも、と考えかけて、どうやら自分は重い選択をしたのではないか、ということに気づいた。検査を必要とするということは、わたしはいまや、新型コロナウイルスの陽性か陰性かを疑われている人間なのだ。検査結果も出ないのに買い物に行くわけにいかないではないか。月曜まで、わたしは蟄居しなくてはならない。もう喫茶店やファミレスで書き物をしてもいけない。とにかくこの二日は、おとなしく部屋で過ごさねばならない。そういう選択を、わたしはしてしまったのだ。
まっすぐ部屋に戻ったものの、まだ釈然としない。医者は「大丈夫でしょう」と言った。その時点で「ありがとうございます」と言って帰れば、また普段通りの生活に戻るところだった。わたしがうっかりPCR検査のことを切り出したから受けることになったのだ。切り出す前と切り出した後で、わたしが陽性である確率に変化があったわけではない。
では、自己判断で、いつも通りの生活をしようか。いや、それもおかしな話だ。わざわざ看護師に送迎してもらわねばならぬ人間が、気軽に町なかに出て、人のいる場所に出入りするのは、どう考えても違和感がある。
結局のところ、部屋に引きこもることにした。引きこもるからには、パートナーとの生活圏を分けなければならない。2LDKの住居を分割し、LDKでパートナーが、2部屋でわたしが生活することにした。家事は期間限定でパートナーに全面的に頼る。わたしは自室で仕事と飲食を行い、炊事場のあるLDKには立ち入らない。洗面所とトイレ、浴室は共用するしかないが、使ったあとは、必ず触ったところを除菌する。
古いこの借家は、造りにちょっと癖があり、部屋とLDKとの間になぜか半畳ほどの敷石のスペースが設けられている。以前から持て余していたこの場所を差し入れ口として使うことにした。通称「石」。まずパートナーに、除菌グッズ、そして電気湯沸かし器と珈琲を入れる道具と豆(カフェイン中毒なので必須)、カップ麺、菓子などを、まとめて「石」に配達してもらう。食事や日用品など必要なものは、適時「石」に差し入れてもらう。箸やスプーンは使い捨てのものを使う。食べ終わった食器は膳ごと「石」に返却。
食事の時間など、必要な連絡はスマホでとる。昼、夜、朝、昼、夜。毎食差し入れてもらった。ありがたいことだ。幸い、熱がぶり返すこともなく、ひたすらこもって仕事をした。
月曜の朝、再び病院に。改めて問診票を提出し、検査の予約をとってもらう。「30分後ですが行けますか?」一刻も早く引きこもりから解放されたかったので、即諾する。が、病院を出てから、公共交通機関が使えないことに気づいた。もちろんタクシーもだめ。となると自力だ。徒歩では間に合わない。いったん家に戻り、自転車に乗って新宿の検査センターに向かった。全速力でぎりぎりの時間だ。こぎながら息があがる。熱があったら、こんなに激しい運動は無理だっただろう。
無事、30分後に到着。検査センターはゴールデン街の看板の真向かいにある。人生の皮肉に潜りこむ気がする。受付で書類を渡し、体温をチェックし、説明を受け、検査へ。これらの順路がパーティションで仕切られており、なんだかお化け屋敷に来た気分になる。もちろん、検査員の方々は全員防護服を着け、マスクとフェイスガードをしている。
鼻の奥に綿棒のようなものを突っ込むことはテレビか何かで見て知っていたが、その棒が鼻の奥というより、ほとんど口に達するくらい長く差し入れられる。わたしはわたしを開放する、科学のために。と、大げさなことを考える。
検査はすぐに終わり、結果のお知らせに関する説明をききながら、え、と驚いた。検査通知は三日後だという。勝手に、即日分かるものだと思っていたのだが、三日かかるのか。さらに、陽性なら病院から午前中に連絡がいきます、と言われたので、陰性の場合は、とたずねると、陰性なら電話はなく、後日、郵送で正式な通知が来るとのことだった。
電話がないと三日後もちょっともやもやするな、などと思いながら部屋を出たのだが、自転車に乗る頃にようやく、三日後というのがさらに三日間の蟄居を意味していることに気づいた。もちろん、寄り道などできない。あれだけの人数の方々が防護服越しに検査をしてくれた直後に、気軽に人と接することなどできようか。せっかく平日の新宿に出るのだから、紀伊國屋書店にでもよって立ち読みして、なんなら映画を観て帰ろうかなどと、漠然と考えていた自分の浅はかさが恨めしかった。
自転車をよろよろ漕いで帰り、カップ麺を食い、なんとも情けない気になった。結果が出るまで、また宙ぶらりんだ。
この時期の仕事は総てリモートで、作業は在宅でできる。しかし、予想外に蟄居期間が延びることになったせいか、その夜は気がふさがるばかりで、どうしても外に出たくなった。許されることだろうか。現在は陰性と陽性の間にあって、蓋を開けるまではわからない、シュレーディンガーの猫状態だ。ゼロでも1でもなければ何なのか。わたしは医者にかかったとは言え、医師の診断によってというよりは、自ら希望して検査を受けた身だ。巷で言われているような症状はこの数日出ていない。これはつまり、陽性である確率はかなり低いということではないか。では、どれくらい確率が低ければ、外に出ることは許されるのか。わからない。わからないが、人は自分の都合のよいように、ゼロと1のあいだの自分の立場を動かす。
散歩に出ることにした。ただし、人通りのほとんどない夜中近くの時間に。店には立ち寄らない。コンビニにもよらない。壁にも寄りかからないし生け垣にも触らない。山茶花が咲いている。マスク越しでは匂いがわからない。建て込んだ家々の屋根越しにオリオンの一角が見える。空が狭い。それでも少しは気晴らしになった。靴底以外は東京に触れずに、部屋に戻った。
夜、朝、昼、夜、朝、昼、夜、朝、ずっと差し入れをしてもらった。ありがたいことだ。検査から三日目の正午、病院からの連絡がないことを確認して、「石」を踏み、「終了!」と叫んだ。その日の午後からパートナーは疲れで寝込んでしまった。今度はわたしが家事をする番になった。
数日後、検査センターから封書で「陰性」の通知が届いた。
(2/24/21)