働いた期間はたった5年だが、短いながらも
ベアーズの心はちゃんと受け継いでいる。
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)
──池永くんは、「あらかじめ決められた恋人たちへ」(以下、「あら恋」と略)で出てたのがベアーズとの関わりの発端になるの?
池永 あら恋の前ですね。ボクは大阪芸術大学に行ってて。当時、山本(精一)さんのやってるバンドとか、有なんかのTAG RAG周辺のバンドが好きだったんです。それで、ベアーズに出たいってのがあって。大芸同期の柴田(剛)くんとやってたトーチカ・ウォーマー・ダイエットってバンドのデモテープを持って行ったんですよ。音はトゥルーマンズ・ウォーターみたいな感じを狙ってました。ちょっと語感が似てるでしょ。そしたら、山本さんから直接電話があって。「公開オーディションDAY」に出ることになるんです。96年だったかな。出たら「次、この日いける?」って訊かれてライヴが決まったんですけど、ライヴ前に柴田くんと大ゲンカしてしまって。そのバンドはパー。「ライヴできない」って謝りに行ったら、石隈(学)さんだったかに「それはあかんで」と怒られて。それでひとり宅録で音づくりを始めることになるんです。もう人とはやりたくないと思って。
──あら恋ってそんな感じで始まったんや。
池永 そうなんです。で、99年春に大芸を卒業して。(藤山)正道さんから「ベアーズ、バイト募集してるで」って話を聞いて。保海(良枝)さんに面接してもらって。「今日あいてる?」「あいてます」「そしたら…」みたいな感じでそのままスタッフになりました。
──大芸は映像学科やったっけ。
池永 そうです。『味園ユニバース』の映画監督・山下(敦弘)くん、『君が世界のはじまり』の脚本家・向井(康介)くん、是枝裕和監督の『万引き家族』を撮影した近藤(龍人)くんとかイルリメあたりが同期になります。二つ三つ上が赤犬や『武曲』の映画監督・熊切和嘉さん。卒業してからもみんな大国町あたりに住んでうろちょろしてたんで、ベアーズは活動範囲内にありました。
──ベアーズでは何の仕事を任された?
池永 階段上の人ハケ、照明、もぎり、掃除……。保海さんに教えてもらってPAも時々やってました。DUBも覚えて……そうすると、いっぱいやりたくなるじゃないですか。やりまくって「やり過ぎ!」って怒られて。「バンドの出したい音を出すのがPA」とかいろいろ教わりました。照明もそう。暗転ギリギリの薄明かりにするとベアーズくらいの大きさだとすごくきれいな暗闇ができるんですけれど、そのまま真っ暗にしてしまって。「暗すぎ!」って怒られて(笑)。なんだかんだ言って、5年ほどしかいなかったので、ペーペーもいいとこですよ。
──印象深い思い出とかエピソードがあったら、教えてください。
池永 やっぱり変わったバンドが多かったですよ。極端な人っていうか、ステージでシャワー浴びる人もいれば、ものすごくタフなパンクの人もいる。かと思えば、延々ドローンの長い曲をやる人、アコギにサンプラーをつけて速弾きする人、現代音楽のものすごい装置を作ってくる人……。つくづくいろんな人がいるんだなぁと思い知らされました。
あと、ステージ上の天井に穴が開いたことがあって。みんな、そこに首を突っ込むみたいなのが流行ったことがありました。ガムテープで塞いでたんですけど、盛り上がってくると、誰かがそれを剥がして首を突っ込む。お客さんも首突っ込んで盛り上がってました。
あと、2003年に阪神タイガースが優勝した時、津山(篤)さんが「やっと優勝や!」って来はったことも忘れられません。その日(9月15日)の出演バンド(マンスリー参照)とお客さん全員にビールを振る舞ってました。ベアーズ終わりで早速ひっかけ橋に繰り出したんですけど、どこもかしこもえげつないことになってました。阪神がらみで言うと、年末恒例「阪神タイガース・シンポジウム」も面白かったです。その年の阪神について議論を闘わせるんですけど、阪神ファンいっぱい vs 巨人ファン少数という過酷なイベントでしたね。
あ、「ファンダンゴ vs ベアーズ釣り対決」なんていうのもやってました。仕事終わりでどっかの池に行って何匹釣れたかを競うという。どっちが勝ったかは憶えてませんが、ボク自身、1匹も釣れなかったのだけは憶えています。夏場、山に行ってる津山さんを訪ねて南アルプス、長野の仙丈ヶ岳「藪沢小屋」にも行きましたよ。滅多に見れない雷鳥も見れて、いいことがありそうな気がしました。
──あら恋って対バンは誰が多かったの?
池永 うちはバラバラでしたね。ひとり打ち込みでやってたので、ベアーズに限らず、クラブ、ギャラリー、映画館、お寺とかいろんな場所でいろんな人らとやってました。イデステロイドというバンドでベースを弾いてた劔(樹人)くんともそのころ知り合って。東京に行ってから、あら恋に参加してもらうようになって。気づけば、長いつきあいになっています。ボクがベアーズにいた頃、ブッキングしてたのは三沢(洋紀)さんで。三沢さんに「この日どう?」と言われて出演が決まることも多かったですね。あら恋がCDを出せたのも三沢さんがOZ DISCのイベントにブッキングしてくれたのがきっかけだったんですよ。ほかにもちょこちょこイベントをやらせてもらって、自分でチラシを作って挟み込んで階段で配って。自分のことは自分でせなあかん!って思いました。
──山本さんから言われたことってある?
池永 前回の殿井静さんの回で紹介されてたベアーズみんなで鳥取に行った時のことですけど……。車で移動中、みんな寝てる中、山本さんはひとり起きて車窓の曇りガラスに絵を描いてはったんです。「何してるんですか?」って訊いたら、「寝てる暇ないでぇ。みんなが寝てる間におもろいことせなあかん」みたいなことを言われたのが記憶に残ってます。あと、大掃除の時、山本さんがトイレ掃除をしてはったことも。店長がトイレ掃除する職場なんて初めてでした。だいたい下の者にやらせるのが普通じゃないですか? けど、別の日にはケンカしてはるし、階段のとこに盛り塩して「ここは鬼門やで」って拝んではったり……。
──辞める時、「この裏切り者!」って言われてなかったっけ。
池永 それは08年、上京するって報告に行った時ですね。「行くんか?行くんか?」「行きます」「なんや行くんや。この裏切り者!」って(笑)。ヘンに励まされるより嬉しかったですね。山本さんぽいじゃないですか。
結婚して、ベアーズは04年に辞めて、就職してたんですよ。それまでの10年近くって大芸〜ベアーズって流れだったでしょ。これまでと全く違うってのは覚悟してるつもりだったんですが、いざスーツ着て、会社に勤めてみると、そのギャップは思った以上で、むちゃくちゃ辛いことも多かったです。働いてる時は思わなかったんですけれど、ベアーズではみんな好きなことやってるじゃないですか。バンドとスタッフの入り時間が同じとか出演の順番をあみだくじで決めるとか……。ほかのライヴハウスじゃあり得ないでしょ。アルコールの持み込みOKとかもそうですよね。ラフと言えばラフなんですが、何でもOKってわけでもなくて、なんか筋は通ってる。イチビリとかカッコつけとか、そういう人にはわりと厳しいようなところもありました。
だから、売れようと思ってる人はベアーズに来てないと思います。売れるのを目標にしちゃうと、売れなかったら、そこで終わっちゃいますもんね。好きなものを「これ、やばいなぁ」とか言いながら、しんどくても楽しめたらいいなぁ。繰り返しになっちゃうかもしれませんが、ベアーズでそんな人らに揉まれたから、自分は音楽を続けられてるんやと思っています。
*メモ
- TAG RAG:名エンジニアとして名を馳せる小谷哲也と前川典也が主宰したレーベル。有、RISE FROM THE DEAD、GRIND ORCHESTRAなどをリリースした。
- 柴田剛:映画監督。代表作には石井モタコ(オシリペンペンズ)が出演した『堀川中立売』などがある。あら恋、フラワーカンパニーズなどのMVも手がける。
- 『味園ユニバース』『君が世界のはじまり』『武曲』:3作品はいずれも池永が音楽を担当。
- ひっかけ橋:心斎橋筋〜戎橋筋間を流れる道頓堀川にかかる戎橋の通称。
- 劔樹人:あら恋ほかのベーシスト。14年に出版した自伝的コミックエッセイ『あの頃。男子かしまし物語』が松坂桃李主演で映画化され2021年2月19日から劇場公開される。映画『あの頃。』についてはこちら。
- OZ DISC:東京・高円寺「円盤」店主・田口史人が1993〜2004年主宰してたインディー・レーベル。