「暗渠にはまる」
長らく関西の平たいところに住み続けてきたので、頭の中がすっかり条里制になっていた。
条里制の頭とはどのようなものか。たとえば、ここを曲がらなくてももう一つ向こうの角で曲がればよい、と考える。なぜなら街路は碁盤の目のようになっており、一つ先で曲がっても、同じ通りに出るからだ。あるいは、一度曲がってもう一度曲がれば、おおよそもと来た方向を逆行することになる、と考える。なぜならほとんどの街路は直角に交差しており、一度曲がってもう一度曲がったなら、合計180度曲がったことになるからだ。
この条里制の頭が、東京に来てからというもの、とんと役に立たない。平行に走っていると思った道が、あちこちで交わっている。理不尽な三角地やY字がある。一つ先で曲がったばかりに逆行している。一度曲がってもう一度曲がると元の位置に戻っている。直角交差で出来ているこちらの方向感覚を狂わせる。
さらに困るのが、山手、微高地を歩く場合だ。住み始めたばかりの頃は、東京の人は、取るに足らない高みを「牛込台地」だの「小石川・目白台地」だのと呼んで、おおげさなことだと少々馬鹿にしていたのだが、実際に住み始めてみると、これがなかなか油断ならない。微妙な高さの台地ではあるのだが、その台地のあちこちが太古の昔に川の流れで削られた、微細な渓谷をつくっており、しかも街はこの不規則な渓谷の形を利用して、道を崖で途切れさせたかと思うと谷筋に思わぬ抜け道を見いだすといったやり方で発展してきたらしく、上下にも水平にも複雑な形になっている。上ったり下りたりしているうちに、いつのまにか方向が変わっている。京都や彦根の町中ではおよそ体験しえない奇妙なアップダウンと屈曲に満ちているのである。
方向感覚を微妙に狂わされながら、下って上って、また下って上る。結局もとと似たような高さの場所に来ている。関西の平たいところからわざわざやってきて、何のために下って上ったのかわからない。少なくとも、一つの丘を目指してまっすぐ上ったり一つの窪地を目指してまっすぐ下るといった単純な高低の変化ではない。
東京の上り下りに目的を求めてはいけないのではないかと思ったこともあった。ビー・ヒア・ナウ。いまある勾配を楽しめ。そう思って歩いてはみるものの、やはり上りはきついし下りは足をとられる。後から来たのに追い越される。理不尽である。
そのうち、この勾配を楽しむ別の手がかりを見つけた。それは以前からときどき眺めていた、Google Earthと連動した地形図である。
東京の上り下りが、水平にして5m間隔で、わずか2mの高低差が陰影となって表される。すると、東京は、鋭い渓谷に覆われた険しい山岳地帯であるかのように表示される。
関西にいたころは、ゲームか何かのようにこの画面に見入って、なるほど品川駅のあたりは昔は海辺で、泉岳寺からは海がよく見えたのだなといったぼんやりとした想像をしていたのだが、東京に来てみると、わたしはこの陰影のついた標高のまっただなかにいるのだった。そこで、この陰影段彩図(というのだそうだ)の上で、いつもよくたどる道をたどってみると、じつはわたしは山岳地帯の縁のあたりを歩いており、そこに切れ込んでいる今はなきいくつもの川筋を横断しているのだということに気づいた。なぜ上ったり下ったりしているのかといえば、見えないいくつもの川辺に下りては上り、下りては上りしていたのだった。
それでしばらくは、よしよし今はなき川辺がきたぞとか、おっとまた川辺から離れていくぞなどと楽しんでいたのだが、そのうち、ではその今はなき川辺とは、かつてどういう川だったのかということが気になり始めた。
かくして、わたしは、「暗渠」にはまってしまったのである。
(3/16/20)
※段彩図を表示するには、Google Earthのアプリが必要です。ページ上部の「on the Google Earth」のリンクをクリックすることで、Google Earthと連動します。