仁義なきヒラヒラ 番外篇
文・嶽本野ばら
ロリータのルーツを書いたついでにピンクハウスに触れようと思います。かつて『それいぬ』でピンクハウスはカントリーである——というよう記したので、僕が馬鹿にしていると思うお方もおられるようですが、そうではない。ピンクハウスのお洋服も持っておりますよ。
話は飛びますが、アツキオオニシなどに拠り起きた我が国のDCブランド百花繚乱期、田園詩というメゾンがありました。僕は余り詳しくないのですが昔の『Olive』を繙けば、1985年、BATSUが胡淑正(こ・しょうせい)というデザイナーを起用し誕生したらしい。プランタンなんばにお店があったのを知っていましたが、ベイビーの礒部フミ予(僕等はフミさんと呼ぶ)が証言するには「突然、或る日、原宿の古い洋館に、真っ白なフリル全開のお洋服を売るお店が出来て驚いた」。証言通り、田園詩のお洋服はヒラヒラであり、初期ロリータを語る上で見過ごせない存在です。
しかし、当時、ロリータだった僕等は田園詩をどう扱っていいか、些かの戸惑いを持っておりました。
ジェーンマープルに代表されるロリータがブリティッシュ指向であるのに対し、田園詩にはカントリーへの標榜があったからです。その頃の僕達はブリティッシュ原理主義に陥っていました。ですからカントリー派であるピンクハウスに対し、可愛いと認めつつ、思想が違うと排他する傾向を有していました。しかしながら、生成りのフリルのワンピース、藤のバスケットなど田園詩が提出するアイテムの清楚なロマンチシズムの誘惑は捨て難く、ロリータとは認めないが田園詩は赦していいのではないか?みたいな議論をことあるごとにしていたのでした。
でもそうなるとピンクハウス信者も田園詩が好きな訳ですから、田園詩はジェーン派、ピンクハウス派の間で、教義を対立させ、エルサレムの如き扱いを受けることとなります(ピンクハウス派は穏健でしたが、ジェーン派が因縁をつけてくるので、自分達とロリータを分けようとする傾向が、あった)。
今、思い返すと抗争は仕方なかった気がします。同じヒラヒラであろうとそれに対する流儀が異なっていたのですから。
田園詩はサブラインとしてストリートオルガンを派生させ、ガーランドという名の許に発展し、消滅しましたので、実際に田園詩のお洋服が如何なるものだったのか、現在では窺うがやれませんが、『詩とメルヘン』でデビューされた遠藤あんりさんの絵を観れば世界観が少しは伝わるのではないでしょうか。この人はストリートオルガンやガーランドでイラストを担当なされた画家ですし。
遠藤さんの作品に僕は、イノセントを感じません。この人は『赤毛のアン』の挿絵はやれても『アルプスの少女ハイジ』はやれないと思ってしまう。カントリーを想起させる画風なので『オズの魔法使い』はやれる。でもそれをやったウィリアム・W・デンスロウの挿絵とはまるで違うものになる気がする。
『オズの魔法使い』の作者であるボームはマザーグースをアレンジした小説で作家デビューに至りますが、マザーグースといえば僕は、詩に楽譜も付いたH・W・ル・メールの挿絵本を真っ先に思い出します。
グリーナウェイの再来といわれたル・メールはその画風で沢山の人に愛されたと文献は記すのですが、僕はこの人の絵に何処か神経症じみたメランコリーを感じずにはいられない。シンメトリーの構図が多いからなのかもしれませんが……。しかしそれだからグリーナウェイも好きだけれど、絵本の黄金期といわれる十九世紀初頭の画家の中で、僕は特に強く、ル・メールに惹かれるのです。
遠藤さんの作品とル・メールの作品に僕は大きな共通点を憶える。
草原に素朴な少女が描かれていても、その上、空はロンドンのよう、厚い雲で覆われているだろうと邪推してしまうのです。ル・メールはオランダ生まれ、若くしてパリで絵を学んだ女性だし、画風はナーバスであれイノセントではない。ル・メールじみた遠藤あんりの少女は草原を裸足で駆けない。多分、靴を履いている。或いは走りたくても車椅子生活のクララの夢想を描いている気がする。
かつてロリータがピンクハウスを敵視しようと田園詩によろめかざるを得なかったのは、その純白のレースの断片に、ピュアの装いの狭間に、ペローの童話のような残酷の共感を嗅ぎ取っていたからかもしれません。
ピンクハウスも素敵なんですよ。でもね、やっぱりロリータではないと思うんです。可愛いけど血みどろのナイフを持つが似合うがロリータなんですよ。だからゴスとの融合も可能だったのです。血みどろなピンクハウスは嫌じゃないですか。ピンクハウスさんにはホウキとか泡立て器が似合うんです。
(2/10/20)