老若男女誰もが楽しめる“古くて新しいかたちの盆踊り”。その実現に至るまでに、実は40年にもわたる種まきがあった……。岸野さんはもともと盆踊りが大好きだったとはいえ、なぜこんなに粘り強く相手の「説得」を続けてきたのか?そのパワーはどこから出てくるのか? 岸野雄一さんのインタビュー第4回目をお届けします。 (丸黄うりほ)

マダムたちにも受け入られるように新アレンジ

――ここまでお話をうかがってきて、盆踊りに新しいアプローチをしていくことは、思っていた以上に難しいものなのだなと感じました。新しいアプローチとして、盆踊りの音楽についてもお聞きしたいです。

岸野雄一(以下、岸野)  そうですね。じつは、「東京音頭」なんて新しいものなんですよ、戦後に百貨店が浴衣を売るために作ったものですから。だからといって、ただ単に最近の新しい曲で踊るというだけではダメなんです。きちんと歴史と対峙して、作られたのは昔だけれども、決して古びていないもの、今の感覚で捉え直しても価値が見出せるものをピックアップしていこうと思っているんです。

――ほお。

岸野 例えば先ほどの「東京音頭」といった新民謡よりも古いものですね。高円寺のダイボン(「大和町大盆踊り会」)では、「河内音頭」よりも古い「江州音頭」を研究して現代に引き継ごうとしている「モノガタリ宇宙の会」の人たちとコラボしたんです。その音頭を「スチャダラパー」の ANI さん、「ヒューマンビートボックス」の AFRA君、ラップのロボ宙君がやってる「DONUTS DISCO DELUXE 」と組み合わせて、「江州音頭」をラップという解釈で……というのをやったんですね。それはもう、みなさんが踊っている「東京音頭」よりも古い伝統のものですよと。ま、アプローチとしてはヒップホップと結びつけているから新しいんだけど。これは自分で目の当たりにして「たった今、新しいスタイルの音楽が生成しつつある」と興奮しました。それはその場に居合わせた人たちもそうだったみたいで、オーディエンスがみんな「ウォッー!ウォッー!」と叫んでいるんですよ。まさに興奮のるつぼでした。

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このような新旧のコラボと並行して、みんながいま盆踊りで踊っている、いわば“盆踊りクラシックス”を、生演奏、生歌でやるということも続けています。それは「ジンタらムータ」っていう、こぐれみわぞうさん、大熊ワタルさんがやってらっしゃる、かなり音楽的に実験的なアプローチをしているグループや、「アラゲホンジ」という民謡をロックの編成で演奏するという非常に新しいバンドですが、その人たちと一緒に組んで実現させました。
シンガーは各界の巧みなヴォーカリストの方々、「チャクラ」の小川美潮さんなどにお願いしました。普通の盆踊りクラシックスを演奏して歌ってもらうんですけど、アレンジは昭和30年代の盆踊りのものよりもきっちりグルーヴがあって、踊れる音楽にしているわけですよね。やっぱり生演奏、生歌の力って凄いんですよ。踊りも生き生きとしてくる。

――そういう音楽はどこの会場でもできるわけではない?

岸野 高円寺では、あまり突飛なことはやっていなくて、原曲のアレンジに近いけれどもベースラインはダンスミュージック、くらいですね。そこにはずっとそこで踊ってらっしゃるマダムたちがいらっしゃいますから、「レコードのほうがいいわね」「レコードのほうが踊りやすいわね」ってならないように気をつけました。
「さくらばし輪をどり」のほうは、もうほんと自由にアレンジして、それこそ「八木節」をエチオピアのリズムにしたり、「炭坑節」を南米のリズム、クンビアを採り入れたりとか、自由度の高いアレンジでやりました。新しい場所で行われる、新しい祭ですから、そういうことができたわけですね。
それでも地元の民謡協会の人たちは「手の振りが違うから」と、櫓に上がってくださらなかったんです。聞くと、「振りが違うと見てる人が踊りの参考にするときに混乱するだろうから」ってことだったらしく、「じゃ、練習会にも行きますから、踊り方教えてください、来年からその振り付けで全部やりますんで……」ってことになりました。それで毎月、小学校の体育館で行われている練習会に参加して、踊り方の手ほどきを受けています。

――なるほど。地元との共存がキーポイントになるわけですね。ところで、岸野さんが企画に関わっている盆踊りには、いつも多彩な出演者が参加していらっしゃいますね。

岸野 はい。本当にまわりにいる人たちに助けられている、というか彼らの存在がなければ成立しません。盆踊りって、フォームが決まった踊りなので、そのことによって自由度が奪われている、という考え方があります。一種のファシズムに見えるような視点ですね。しかし、自分の最終的な目標は「誰もが自由に楽しんで踊ること」なんですよ。だけど、盆踊りに来る人たちって、最初はまず踊ってくれないんです。体が固まっちゃって。音楽に合わせて体を動かす楽しみ、というのを経験したことがないんです。こういう人は思ったよりも多い。しかし、まずフォームがあって、音楽に乗って体を動かすことが楽しくなってくると、体がほぐれて、だんだんと自由に踊れるようになるんです。

――確かに、まじめに会社に勤めてる人とか主婦とかはそうですよね。

岸野 ですので、自分の企画する盆踊りでは、必ず最後に自由に踊れるパートを作っているんです。そこでいつも頼りにしているのは、DJの珍盤亭娯楽師匠ですね。彼は生粋のエンターテイナーなので、いつの間にか観客は乗せられてしまうんですね。彼自身が音楽が大好きで、自分でも楽しんでやっているのが伝播してしまうんでしょうね。彼はもともとソウル、ファンク、ヒップホップ系のDJなんですが、ブラック・ミュージックの文脈で北島三郎などの日本の楽曲をプレイする、するとご近所のマダムたちも「まあ、サブちゃん、これなら知ってるわ」と乗ってくれるんです。

――(珍盤亭)娯楽師匠のDJは、子どもたちもノリノリですもんね。

岸野 はい、あとは竹の子族の踊りを継承しているケケノコ族、彼らも自分の企画する盆踊りには欠かせません。私と同じくらいの世代の層には、クラブ以前の、ディスコの時代に踊った記憶がまだありますから、「ジンギスカン」や西城秀樹さんの「ヤングマン」など、とても盛り上がりますね。電気グルーヴの「シャングリラ」なども新しい振り付けでもってトライしています。また、“のらぼん”という、公園やストリート(野良)で勝手に盆踊りをしてしまうグループ「にゃんとこ」さんも、盆踊りでは活躍してもらっています。彼らはとても盆踊り愛にあふれた人たちで、全国各地の盆踊り会場に行って踊り、現地の方々と交流し、記録を採集して残したりしています。とても真面目で現地の方々ともきちんと対応しており、見習うべきところが大きいですね。また高円寺の盆踊り大会を通して知り合った方々も、他の地域で手がける私の盆踊りの企画を手伝ってくれたり、とても助かっています。もちろん、コンビニDJで知り合った人たちもです。本当に大勢の人たちに助けられて成立している、ということですね。

盆踊りで民主主義の練習をしよう

――それにしても、こんなに大変なことだと知ったら、並の精神の持ち主では挫けてしまうのではないかと思います。それでもやろうという岸野さんの情熱って、いったいどこから来るんですか?

岸野 ふふふ、どうでしょうね。それは自分でもわかんないですね。でも、これくらいの大変さなら40年間の間ではたいしたことじゃないです。昔はずっと、また今年もダメだったか、っていうのがルーチンになってたから。

――ゴリ押ししちゃダメだってことですね。

岸野 ほんとにもう、それだけは言えますね。

――なんか民族学の研究をしている人が、現地に入っていくときのような感じがしますね。一緒の服を着て、一緒のものを食べて……に近いですね。

岸野 ふふふ。

――それが日本人同士で、しかも近所の人なのに。マオリの中に白人が入ってきて、ではないのに。

岸野 人間が生活する上での、なにか壁になっているものに手をつけようとしているんだと思いますね。

――壁になっているもの。

岸野 特に日本人の心性に基づく、簡単な言い方をしてしまうと、ムラ社会的な同調圧力とか。現代だと、借り物の個人主義みたいな肥大した自我であるとか。とても問題になっていることの根幹に手をふれようとしている感覚はいつも感じますね。
盆踊りの振り付けでロックを踊ったり、新民謡よりも古いものを掘り起こしたり、盆踊りでよく踊られている曲を現代に合うカタチにして生演奏と生歌で踊ったり。今は、大きく分けてその3つのアプローチでやっているんですが、それは伝統破壊と捉えられがちだけどそうではなくて、むしろよみがえらせようとしているんだと。昔みんなで老若男女わけへだてなく集まって楽しく踊っていたようにしましょうよ、ってことなんですけれどね。

――そういう壁に当たりながらも、なんでそこまでして盆踊りを?

岸野 現代って、人と人との壁がベルリンの壁のようにそびえ立っていて、隣同士に座った電車での見知らぬ人との間の、その関係の無さたるや、まあ驚くべきというか。海外とかだと隣にたまたま座った人とでも話す率がすごく高いけど、日本だとまったくそういうことないんですよね。で、なんでこんなことになってしまったのかと思うと、やはり SNS ではないかと。

――変わってしまったのはすごく最近になってということですか?

岸野 そうですね。SNSだと好きな人とだけ話をすればすむ。相容れない人はブロックかリムーブすればいいようになってしまった。ゆえに、自我というもののあり方は、相容れないものに対する耐性がすごく落ちてしまったのではないか。そして、何か話し合って間を取る、すり合わせるみたいなことができなくなっているのではないかと思うんですね。それが拡大していくと、やはり銃乱射みたいなことになってしまうのではないか。なので、民主主義の練習をしなくちゃいけない。

――民主主義の練習。

岸野 うん。ていうのは、話が合わない人と、いかに話を合わせて何かを実現させるかという、その最たるものはお祭りなんですよ。学園祭の出し物を決めるために延々とクラスで話し合うみたいなものなんですけど、学園祭の日は迫るし、じゃ今年は4つのグループに分けてやることにしますみたいなことは学校ならまだできるけど、地域のお祭りではそうはいかない。
じつは、延々と自己主張を続けるとか、相手を論破するとかできる場があるんですよ。それはどこかというとインターネット空間ですよね。そこでは相手との接点を見つけるとか落とし所を見つけるみたいなことをしなくていい。それと真逆にあるのがお祭り。絶対に落とし所を見つけないとならないんですよ。これは民主主義の練習としていいんですよね。話が合わない人はこの社会に歴然と存在するじゃないですか。それはブロックしようが何しようが存在する。この世からいなくなったりしない。だからその人たちと共存して社会は作らなきゃならないわけで。そのためにはどうしたらいいのかというと話し合って落とし所を見つける。もちろん、譲れないことは譲れませんと言う。そして、それを相手に飲み込ませる。説得する。そういう手続きをね、どうすればそれが実現するかってことを考えなきゃならない。で、それもお祭りや盆踊りのことをやっている動機にもなっていますね。
自分の活動を通じて、民主主義とは何か。社会をよくするのはどういうことなのかということの練習になった。なので、みなさんにもその練習をしてもらいたいと思っているんです。

――そもそもお祭りってそういうものですよね。

岸野 そうなんです。その機能を担っていたんですよ、もとより。「政」という字を書いて「まつりごと」と読みます。つまり政治だったんですよ。だから本当に元の形に戻したいというだけの話で。

――形骸化していたものを元に戻すという感じですね。新しいことをするというよりも。

岸野 本当にそうだと思いますね。だから「コンビニ DJ」って斬新ね、シュールで面白いね、っていう話じゃないんですよ。

――深かったですね。

岸野 でも、それができるようになったんで。

――実現しているのが素晴らしいですね。これから先にまだ続く展開はありますよね。

岸野 はい、今年もいろいろと新しいお話を戴いていますし、これまでやってきたことをさらに発展させていきたいと思います。
でも最近考えているのは、いかに自分の存在を消すか、なんですね。お祭りというのは、自分が死んだ後もなん百年、なん千年と続いていくものじゃないですか、少なくとも続いていってほしい。そういう時に、自分がいなくても成立していかなきゃならない。ですので、岸野の企画した面白い盆踊りに行ってみたい、というのはありがたいのですが、それよりも、みなさんが自分の地元で、もっと面白いお祭りを企画してやろう、というふうになってほしいんです。
娯楽を消費するだけでなく、もっと下の世代に向けて、楽しい場を作る、面白い体験をさせてあげる、ということを考えていってほしいんです。そういう行為こそ楽しんでできるし、充実感のあるものだと思います。

 

次回は「ヒゲの未亡人」について。その前に2020年1月11日のスペシャルライブはこちら。

インタビューその1はこちら。

インタビューその2はこちら。

インタビューその3はこちら。