ベアーズに出没する謎の外国人。大学で教えることもあれば、結婚式で牧師をしていることも。想い出波止場のライヴではなんとステージに上がりヴォーカルを!?(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)

加藤デビッド・ホプキンズ。日本国籍を取得してかれこれ10年

 

──デビッドさんはどのようにして日本に来て大阪のベアーズに辿り着いたんですか?

デビッド ボクは1954年生まれ。アメリカ、ペンシルベニア州の街ピッツバーグの出身。バージニア州のウィリアム&メアリー大学とバージニア大学を卒業して大学院に行ってた。修士号は取ったんだけど、次、指導を受けたい先生が1年留学するとかで……どうしよう?と思ってたら、たまたま日本人の友達が「日本に来たら」「博士号なんてなくても大学に仕事はあるよ」と勧めてくれて。彼の知り合いの天理教海外伝導部の人のツテで25歳のとき(79年)、休学して日本にやって来る。当時、ボクは、植民地時代のアメリカの歴史や文学について勉強してて、それは日本では勉強できないものだったんです。切り替えて近代を専門にすることにして。行くことになった天理大学(奈良県天理市)では英語を教えてた。6年経って一度アメリカに戻って。見つけたのはマディソン(ウィスコンシン州)の短大講師の仕事。マディソンは大きな街で学生も多いしシカゴとミネアポリスの間にあるから有名なバンドもよくツアーで回ってくる。ボクはレコードをよく聴く人間だったけど、ライヴの楽しさに目覚めたというか、頭の中が切り替わった。そんなとき、天理大学から「戻ってくれないか。戻ってくれたら、英語だけじゃなくてアメリカ文化や歴史・文学の授業も用意する。ゼミも担当してほしい」と連絡があって。悪くない話だから、天理に戻ることにする。結局、博士号は取らずじまい。で、87年、日本に戻ってからもライヴ通いはやめられなくて。

──ライヴ情報はどうしてたんですか?

デビッド 79年、日本に来たときからレコード屋めぐりはしてたから。日本のインディーズ・レコードも買ってたんですよ。当時、京都・十字屋三条店で店長をしてた平川(晋)さんとも知り合いになって推薦盤とかよく教えてもらってた。平川さんの推薦盤にはハズレがなかった。最初、まったく理解できなかった日本語も87年のころにはそれなりに読めるようになってて。まだA5判時代のフールズメイトを見つけて載ってたライヴ情報をチェックして。バーボンハウスでブルーハーツを観たりミューズホールでG-シュミットを観たりするようになる。その延長でどん底ハウスやエッグプラントに行くようになって、山本(精一)さんにも会う。ベアーズに初めて行ったのは88年の秋頃。何に行ったかは憶えてないんだけど。

──ベアーズの印象はどうでしたか?

デビッド エッグでは「なんで長髪のヒッピーがパンク観にくるん?」みたいな怖い目に遭ったこともあった。それはマディソンでも同じようなことがあったからどこも同じだなぁと。でも、ベアーズでそういう目に遭ったことはない。比較的安全(笑)。

──初めてではなかったと思いますが、88年9月9日の「死ののど自慢」でデビッドさんは松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌ってましたね。

デビッド デス・カラオケね(笑)。憶えてますよ。ほかに初期のころで印象的だったのは、山本精一、林直人、師匠(北嶋建也)、大野雅彦とかギタリスト8人ほどが集まってやった『LOUD GUITAR』ってイベント (89年7月)。ギタリストたちは客席を囲むように立って、てんでにギターを弾く。面白いものだった。で、林直人は最後にナイフでギターの弦を切った。終わってから林はファンにサインを求められて持ってたナイフで左手の親指の腹を切って血判を押していた。忘れられない。89年末までベアーズと併行してエッグプラントはあったから、ボクはエッグとベアーズのどっちかに週3~4回は行ってました。

──その頃ですね。デビッドさんがパブリックバスレコードを始めたのは?

デビッド そう。89年にスタートした。第1弾リリースは、赤痢、ボアダムス、想い出波止場、ガーリックボーイズ。ボアダムスだけがアルケミーのレーベル・アーティストではなかった。アルケミーの(JOJO)広重さんからも「海外の人は買わないやろ」と言われたんだけど、興味あるものばっかりだったからね。それからオムニバス『JAPAN BASHING』(ボアダムス、UFO OR DIE、想い出波止場、花電車収録)や原爆オナニーズ、ルインズ、ゼニゲバなんかも出していく。アメリカのメディアには「アルケミーUSAでええやん」とか批判されたりもしたんだけど、「アルケミー以外のバンドもある」と限定的なイメージを持ってほしくなくて。出してた「Show会」ってプレスも日本のアンダーグラウンド・シーンを音だけでなく文字や写真でも紹介しようと思って作った。想い出波止場、大博士、DUB SQUAD、ソープ嬢変死のライヴ・レヴューやインタビューを載せたりしたんだけど、1号出しただけ。何しろ雑誌を出すのは大変だから(笑)。

1990年12月7日の大博士。大宮イチ(vo)の存在は圧倒的!

1991年2月14日のソープ嬢変死。「空にまっ逆さま」の頃。典子(vo,b)、ユキ(ds)のコンビはいまも不動

パブリックバスレコードから1992年発行された show会(レターサイズ68ページ) 付録に、想い出波止場、フォークテイルズ、大博士、DUB SQUAD、ソープ嬢変死ほかのライヴ音源・デモ音源が収録されたカセットテープ2本が付いていた。

 

──いまはパブリックバスプレスって会社をやってるんですね。山本さんの『ギンガ』の英訳本もパブリックバスから出てる。

デビッド パブリックバスレコードのほうは、アメリカでレーベルを一緒にやってたパートナーが病気になってリリースは96年で止まってしまった。それから逆にアメリカのバンドを日本に紹介するSentoってのも始めたけど、上手くいかなくて。プライべートでも93年、結婚して子どもができたりして。そうなると、仕事(大学)も真面目にやらなくちゃってなって……10年くらい真面目に論文を書いたりしてた。大学で昇格するために髪も短くして。その間、ボクの音楽の趣味もいろいろ変わったんだけど。

──アメリカにベアーズに似たライヴハウスはありますか?

デビッド ないと思うよ。アメリカの店は基本バーだから。一応ベアーズもビール1ケースぐらいは売ってるけど、バーじゃない。ボクもベアーズで短い間だけど、奥のカウンターでビール売ってたこともあるよ。缶を出すだけだけど(笑)。そもそもアメリカにパンクとサイケが一緒に出るような店はないから。それにベアーズみたいないい音の店はない。日本はどこもそうでしょ。『ドッキリ』(デビッド著『Dokkiri! Japanese Indies Music 1976-1989 A History and Guide』Public Bath Press刊)でも書いたけど、練習スタジオの存在も日本の音楽を大きく牽引したと思う。高校生でもスタジオ代を出せば、マーシャル・アンプで練習できる。ほかの国ではあり得ないから。スタジオ代もそんな高くないでしょ。オペレーターもちゃんとした人ばっかり。ヘンなことやりたいといったら、それを受け入れる環境もあるし。東京はそうでもないみたいだけど。ベアーズだからそうなのか?大阪だからそうなのか?は分からないけど。アメリカで実験的なことやろうと思ったらハウス・パーティーとか、ギャラリーとかのスペースを借りてやるかですよ。また機材の話になるけど、ほとんどのバンドがバンドを始めたら最初から練習スタジオやライヴの録音を録ってるのも驚き。それをちゃんと残してるんだから。素晴らしいよ。ただ世界標準からいえば、喫煙OKってのはいただけないかな。

──次はノイズ誕生にまつわる本を予定してるんでしょ。

デビッド そのつもりでいま取材してる。ヘンな国、日本にはヘンなサブカルチャーがあるみたいなことも書くつもり。今年(2019年)、還暦の広重さん、大友良英、内橋和久、芳垣安洋とか1959年生まれ世代は、子どものころからアバンギャルドな音に触れてるんです。暗黒舞踏とかにも触れてる。『ウッドストック・フェスティバル』にジャズ・ミュージシャンはひとりも出演してないけど、同じ時期、大阪(大阪城公園)で開催された『ハンパク(反戦のための万国博)』(1969年8月7~11日開催)には1日ジャズの日があって、山下洋輔とかが出演してる。一般の人も結構知ってて。だからノイズがそれほど遠いものではなかった。実験することはおかしいことではない。それがウケるかというと、ウケはしないんだけど、そういう場がある。それが全然違う。

1989年チラシ・コレクションのごく一部。デザインはすべて大野雅彦。提供:加藤デビッド・ホプキンズ

1991年チラシ・コレクションの一部。中央「虫の息オリンピック」は山本精一の手によるもの。提供:加藤デビッド・ホプキンズ

*メモ

  • 平川晋:少年ナイフ、須山公美子、アフターディナーなどをリリースしたゼロ・レコード主宰。
  • バーボンハウス:1975~90年、大阪・梅田にあったライヴハウス。
  • ミューズホール:1987年、大阪・心斎橋にできたライヴハウス。
  • 北嶋建也:キューピーボックス、南海ホークウインドほかで活躍。トロイメリッシュなどのプロデュースを経て、ソロ活動を展開。愛称は「師匠」。
  • 大野雅彦:フォークテイルズを経、ソルマニアほかで活躍。数多くのレコード・CDのジャケット、フライヤーのデザインを担当してることでも知られる。

 

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