「幸せなセッション 」
インド発の美しい本とネイティブ・アメリカンの物語が出会う
武田雅子
この夏、京都の細見美術館で、「世界を変える美しい本インド・タラブックスの挑戦」展が開かれた。数年前、恵文社一乗寺店でタラブックスの本Treesが紹介され、版画の技法で印刷し、職人が糸で製本するという手仕事の丁寧さや、その結実としての工芸品のような美しい仕上がりが評判となり、たちまち品切れ、再入荷待ちとなったことを、店のニューズレターで知っていた。この本は、タラブックスの代表作と言ってもいいもので、2008年、イタリアのボローニャ国際児童図書展で受賞し、この出版社の名を世に知らしめた。実際に店頭で現物を見たが、これ以外にもすでにたくさん出版されているようで、できたら全貌を見て、その中から自分の1冊を入手したい、といったことをなんとなく考えて、急いで購入はしなかった。何か「わぁステキ」と軽く買えないと思ったのである。それでいて気にはかかっていた。そこへ、展覧会があるという――願ったり叶ったりとはまさにこのことである。
インドの出版社の仕事だから、やはりインドに関わる作品をと思っていたのに、実際購入したのは、自分でも思いがけないことに、アメリカのネイティブ・アメリカンの物語を絵本にしたものだった。白、黒、赤のみのすっきりした色づかい、深い洞察に裏付けされたことが一目で伺える、鋭いユーモアにあふれた、動物たちでいっぱいの画面もさることながら、CD付きというのも魅力だった。逆に言うと、それだけしかわかっていなかった。
ところが、読み始めてみると、これが実に興味深い本だったのである。そして、初めての出会いでもなかった。昔、岩波少年文庫で『うさぎどんきつねどん––リーマスじいやのお話』として出ていたもので、小学校の頃、パラパラ読んだ覚えがあるが、その後ちゃんと読むなら原文でと思っていたところ、数年前、アメリカで古本のペンギンブックを見つけて、購入していた。まず、この本の解説から、この本の成り立ちを少し書いてみたい。
南部の中心部、アトランタ(あの『風と共に去りぬ』の舞台である)のジャーナリスト、ジョエル・チャンドラー・ハリスは、黒人の間に口承で伝わる物語を集めて、南北戦争後の1880年にUncle Remusとして出版した。好評につき、結局70年かけて、220話が記録されることになる。これで、ハリスは一躍知られるが、本人は、シャイな人で、自分は集めただけ、作家ではなくジャーナリストに過ぎないと常に言っていた。同時代の大作家で『トム・ソーヤーの冒険』を書いたマーク・トウェインも、この本と出会って感激したが、ハリスが黒人ではなく白人だと知ってがっかりしたとのことである。そう、これが、つまり白人の手になるということこそが、問題を引き起こすもととなる。
この本のタイトル、Uncle Remusと聞いて、他の名作が思い浮かぶかもしれない––Uncle Tom’s Cabin (トムじいやの小屋)である。トウェインの隣りの家に住んでいたストウ夫人の作で、黒人奴隷の惨状を描き、人々に大きな感銘を与え、南北戦争において、奴隷制度廃止を掲げた北部に勝利をもたらした一因になったとも言われる。小柄な人だったので、戦後、彼女に会ったリンカーン大統領が「あなたが、あの大きな戦争を終わらせた小さな人ですか」と声をかけたという。大男であった彼のこと、かがまなくてはならなかったろう。さて、こうしてみると、黒人の男性奴隷は、日本語の「じいや」から連想されるような、別に「年とった爺さん」とは限らず、英語では“uncle”と呼ばれていたことが分かる。リーマスじいやという人物は、ハリスの創造した人物で、彼が本に収められているいろいろな話を物語ったということになっている。そして、リーマスじいやもトムじいやも、黒人の目からすると、本当の黒人の姿をとらえたものでなくて、白人にとって都合のよい、従順な黒人奴隷なのである。そもそも、これらの作品において描かれている世界は、白人と黒人、すなわち、主人と奴隷の、あくまで白人が考える、夢のような幸せな関係のもとの、一種の偽ユートピアであって、真の独立した人間同士の関係とは程遠いということになる。
それで、タラブックスを見ると、表紙に“Brer Rabbit retold”とある。つまり「ブレア・ウサギ物語再話」である。再話者は誰かというにArthur Flowersアーサー・フラワーズ(「お花さん」という名字がなんか楽しい)。筆者紹介の絵を見ると、髪の毛を何本か三つ編みにして、髭もじゃもじゃ。ご本人による自己紹介によると「デルタ・フラワー族のフラワーズで、またオ・キレンの血筋もひく。私は神話の作り手であり、言葉に敬虔に仕える者であり、時にはその主人でもある」。この最後の文には、奴隷制度への皮肉が込められているようである。このキレン一族の中のババジョンこそが、ブルックリンの口承伝承の第一人者で、フラワーズ氏の師でもあり、ものの見方を教えてくれた人でもあったという。氏は、ハリスの仕事を「主人も奴隷も共に満足していた奴隷制度を描き出した。彼が書きとどめていなかったら、これらの物語は、伝統的文化遺産としては残らなかっただろう」と評価するものの、「奴隷制度を正当化したいために、物語をねじれさせていることがある」として「アフリカ系アメリカのしっかりした、文化および文学のルーツの一つとして、再生させたいものと長く思ってきた」と、次のように力を込めて語る。
Harris took them for his purposes, I’m taking them back for mine.
(ハリスは自分の目的のためにこれらの物語を取り上げた。私は自分の目的のために、それらを取り返すのだ)
同じ“take”という言葉を使って、“take back”が力強い。
そして、物語が始まる。先ほど書いたように、本にはCDがついているが、パーカッション、フルート、ギターの伴奏に乗せたご本人の朗読がすばらしい。響きの柔らかい黒人独特の発音で、言葉のリズムが自然なスイングとなって、心地よい。ジャズを聴いているかのよう。これはどう訳せばよいのだろう。昔の岩波少年文庫は、「うさぎどん、きつねどん」というタイトルからして、田舎言葉で訳していたと推測されるが。翻訳には、翻訳独特の田舎語、お年寄り語とでも言ったらいいのだろうか、村岡花子訳の『赤毛のアン』の中のマシューの「そうさな」ともなると、もうこれ以外ありえないというようなものになっているが、たいていの場合、実際は聞いたことがないけど、というような少々違和感を伴うものがある。という次第で、以下、一応話ことばにはしておいたが、ご自分のニュアンスで読んでいただきたい。
さぁて、ウサギと私は友達。故郷メンフィスに帰って、家の居間で自分のことにかまけていると、ふっと仲間の気配を感じて、目を閉じて寝たふりをするのさ。だいたいのところ、動物たちってのは、人間に対しては恥ずかし屋なもんで、人が聞き耳を立てていると思うと、お互い話しなんかしやしない。でもね、私が眠っていると思うとさ、たちまち戸がするすると開き、プレア・ウサギがのぞき込むのさ。そんな風に私が目を閉じているのを見ると、残りの仲間に入って来いって身振りして、ほんでもって、あっという間にパーティさ。(中略)時に、こっちが我を忘れて、大騒ぎに加わりたいと目を開けたりすると、たちまち、みんな姿を消しちまう。でも、深く座り直してまた目を閉じると、ほうら、みんないるよ。みんな楽しんでる。お客で、友達で、家族で、仲間だ。歌って踊って今話している物語を語るのさ。
それは、トラブルとは何者か知らなかったワニ一家が、ブレア・ウサギに騙されて、火をトラブルだと思って、お仕えしなければと、火から逃げなかったため、今では、しわしわだらけの身体になったという由来物語だとか、ブレア・ウサギとブレア・クマがどれだけ遠くまで見通せるかと議論しているところに、マーモットがやってきて、二匹をやり込めるとかいった物語である。
CDは、特筆すべきことに、印刷された文章通りではなく、ところどころ違ったものが提示される。口承文学というのは、このように、同じ人が語っても形を変えていき、口伝えで人から人へ、ある世代から次の世代へと渡されていくうちに、どんどん変わっていくダイナミックなものであることが実感されるのである。
ところで、このブレア・ウサギこそが、これらの物語のトリックスターで、お話の主人公になったり、狂言回しになったりする。自分がやられることもあるが、たいていは、そのずる賢さで、相手をやっつける。虐げられていた黒人たちは、そこに爽快感を覚えていたのだろうということである。タラブックスの、ブレア・ラビットは水玉模様の顔に、やんちゃそうな眼で、実にチャーミング。他の動物たちも、それぞれに面白い。絵の担当は、西インド出身のJagdish Chitaraジャディシュ・チタラ。そのせいだろう、ネイティブ・アメリカンの話なのに、明らかにインドの物語の登場人物のような人間も描かれている。そして、活字も手で組むからこそ生まれる表現––文字を泳がしたり、浮かせたりが、効果的にそこここに現れる。
アフリカ系アメリカ人のものを、彼らが取り返すという、長年の夢が実現されるにあたって、このインドの出版社がかかわったということは、なんという刺激的な、幸せな異文化の出会いであったことか。おかげで、私たちはより豊かな、意義深いものを手にすることができるようになったのである。ネイティブ・アメリカンの物語に、インドの絵、そして、音楽の伴奏は、若きインドの音楽家たちで、インドの楽器も含まれている。この幸せなセッションの様子は、次のサイトで、朗読と音楽の一部を聞くことができる。しかも、素晴らしいことに、絵はアニメになっていて動き出す。
(12/22/2019)
Brer Rabbit Retold from Tara Books on Vimeo.