ヴァチカン美術館の螺旋階段(2002年撮影, ヴァチカン)

 

「ヴァチカン美術館の螺旋階段」

文・写真 下坂浩和

 

この階段を見に行ったのはイスタンブール、アテネ、パレルモ、ナポリと地中海の遺跡や歴史的な建築を巡った後、最後にローマを訪れた時でした。20年近く以前のことです。その日は朝早くからパンテオンとサン・ティーヴォ・アラ・サピエンツァ聖堂を見て、11時頃にヴァチカン美術館に着きました。正確には、ヴァチカン美術館の入館待ちの長蛇の列の最後尾に着いたのでしたが。ヴァチカン美術館ではミケランジェロのシスティーナ礼拝堂だけを短時間で見るつもりだったのですが、その考えは甘かった。9月半ばのローマはまだ炎天下で、入るのに1時間くらい並ばなければなりませんでした。

美術館の建物は、サン・ピエトロ大聖堂の北隣りにあり、広大な中庭の両側の展示室は長さ500メートルも続きます。システィーナ礼拝堂はその一番奥にあるので、行けども行けどもたどり着きません。途中には何万点もの彫像があるのですが、全部すっ飛ばして目的の部屋へ。途中に、ちょっと面白い形の階段を見つけて寸法を測っていたら、警備員に睨まれました。ニューヨークのワールドトレードセンターの惨事からちょうど一年後で、キリスト教の聖地での怪しげな行動ですからマークされてもしかたありません。ようやくたどり着いた礼拝堂は芋を洗うような混雑で、ゆっくり見られる状況ではなく、早々に退散して、以前から見に行かなくては、と思っていたこの螺旋階段へと急ぎました。実はこの階段、入口のすぐ横にあるので、また500メートルを速足で戻らなければならないのでしたが。

今回ご紹介する螺旋階段はヴァチカン美術館の出口にあるのですが、ジュゼッペ・モモ(1875-1940年)という建築家が設計しました。この建築家のことは日本ではほとんど知られていませんが、ローマ教皇ピウス11世のもとでヴァチカンの建物に関わっていたようです。この階段は1932年に完成したヴァチカン美術館の新しい入口の建物内につくられたもので、この時代に世界に広がりつつあったモダニズム建築とは一線を画した20世紀の階段です。

ヴァチカンには、16世紀初めにこの建物の中庭を設計した建築家ブラマンテによるもう一つの美しい螺旋階段があります。こちらは実は段差のないスロープになっていますが、螺旋階段と呼ばれています。ジュゼッペ・モモはこのルネサンスの螺旋階段にインスピレーションを得たのでしょうか。

よく見るとモモの美しい螺旋階段はいくつか特徴があることに気づきます。まず初めに、この階段が二重螺旋になっていることです。写真の螺旋を指でなぞると、ふたつの螺旋が出会うことなく組み合わさっていることがわかります。この階段がつくられた時には、一方が美術館に来た人が上る階段で、もう一方は帰る人が下りる階段でした。その後、上りのエスカレータが新たにつくられ、私が行った頃にはすでにこの階段は下り専用として使われていました。

ヴァチカン美術館の螺旋階段(2002年撮影, ヴァチカン)

そしてふたつめは、下に行くほど螺旋の直径が小さくなっていることです。ちょうど、巻き貝を逆さにしたように、逆円錐に巻きついているような螺旋なのです。徐々に直径が小さくなるということは、すべての段の寸法が少しずつ違っていることになるので、つくるのは大変です。なぜこんなに大変な階段をつくったのでしょうか。緩やか螺旋階段は、内側が吹き抜けになっていることが多いのですが、吹抜けに面した階段は、転落したら最下階まで落ちてしまいますが、下の階の直径が小さくなっていると、ひとつ下までしか落ちないで済むのです。ヴァチカン美術館で転落事故があったとなると、ローマ法王の責任が問われる事になるかも知れませんから、そのような悲劇を避けるために、逆巻き貝の階段にしたのではないか、というのが私の推測です。

そういえば、ニューヨークのグッゲンハイム美術館の螺旋のスロープも同様に下すぼまりの螺旋です。設計者のフランク・ロイド・ライトはこのヴァチカンの階段を知っていたのでしょうか。吹き抜けを見上げた天窓の形がそっくりなので、それ以上の根拠はありませんが、ライトはローマでこの階段を見ていたのではないかと思います。

ヴァチカン美術館の螺旋階段(2002年撮影, ヴァチカン)

そして、もうひとつは、下に行くほど、一段の水平寸法(踏面寸法)が小さくなることです。おそらくふたつめの特徴の結果でもあるのですが、一周まわって1階分下りるようにつくられているので、直径が小さくなると円周の長さも小さくなって、下の階ほど勾配がきつくなります。といっても最上階は以前、ご紹介したカピトリーノの丘の階段と同様、ほとんど段のついたスロープと言ってよいほど緩やかなので、一番下でも十分なゆったりしています。上の階から下りてくると、徐々に歩幅が小さくなって、そろそろ一番下に着きますよ、と階段が知らせてくれるのです。

(2020年3月15日)

 

下坂浩和(建築家・日建設計) 1965年大阪生まれ。1990年ワシントン大学留学の後、1991年神戸大学大学院修了と同時に日建設計に入社。担当した主な建物は「六甲中学校・高等学校本館」(2013年)、「龍谷ミュージアム」(2010年)、「大阪府済生会中津病院北棟」(2002)「宇治市源氏物語ミュージアム」(1998年)ほか。