映画となったいがらしみきおの『ぼのぼの』のサントラを手がける他は今年は各自ソロアルバムを作るときく。そんなゴンチチのチチ松村が初の随筆集『それゆけ茶人』を出した。「読んでラクになる人もいれば怒る人もいるでしょう」という茶人道におけるのほほんとした悟りの怪著。最近ノコギリ音楽もたしなむ、普通から10cmほどズレた存在感のチチ松村らしい愉快なご本である。
ここで言う茶人とは無論茶の道に通じた人のことではない。落語の『仔猫』に出てくる気立ての良い働き者だが“人一化け九”(化け物度90%の意)と影で囁かれるほどの醜女を嫁にしたいという男に囲りが思わず吐いた“あんさんも茶人でやすなぁ”… というような茶人のことである。数奇者、風流人、人と違うものを好むいわば自分に正直な人のことをさす。
「茶人という肩書きではクレジットカードも取得できひん」がとりあえずチチ松村は茶人と称している。しかし「僕は茶人ではない」という。ここでは茶人の心得10ヵ条――風に流されて生きること、クラゲを師匠にすること、脳ミソのシワを伸ばすこと、寝る前にオカキを食べて幸せになること……うんぬんがしたためられているが、これも憧れの茶人に限りなく近づくための心がけのようなもの。世の中にはもったいなくてオナラは人前でしかできないというふうな奇人変人がいる。市井の茶人がウヨウヨいるのである。彼はなぜかそんな茶人に数多く出会い、こよなく愛したという。
「僕が好きになるのは毒を持ってる奴なんです。たとえばクラゲも毒持ってるしキノコもそう。人も無害無毒の人よりは有毒な人にひかれます。だってイイワルイなんてないと思ってるから。毒を持ってるからワルイとか、みんなが正しいと言うから正しいなんて言えないですもんね」
だからか、生きていく上で一般の人にはあまり大事でない無意味なことに一所懸命になりたいという。ここ数年写真を撮る時黒メガネをかけるのも、粗大ゴミの日に物を拾い大衆食堂に入り銭湯に行くというこの上なく楽しい行動の自由を守るためだ。
「僕は音楽をやっていてもどこか仮の姿だと思ってる所があるんです。それで音楽や茶人ということにさえも縛られたくない。僕のこれからって、そうやね、大きなったらタクシーの運転手になりたいとか思ってますよ。行き先は人が決めてくれるしいろんな人の秘密の話が聞けるでしょ。最高に楽しいと思うなぁ。こんな僕の書いたような本ですから、世の中に毒まいてるようなもんです。けど、毒もうすめたら薬になるから、うすめて飲んで下さいね」
中島らもは、こんなチチ松村のことを“田ウナギ”と評した。「どこででも生きよるワ」と。田ウナギとは田んぼや湖沼に棲息し腹ビレも胸ビレもウロコさえなくヌルヌルとつかみどころのない妙にたくましい奴である。おそらく、田ウナギこそは日々是好日と乱世を生き抜く超茶人なのであろう。「うん、僕は大文夫。どこででも生きれる自信はあります」。
(インタビュー・写真・文:やまだりよこ)
(「花形文化通信」NO.49/1993年6月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行)