浮浪者に思えたが、それなら本物のヒッピーだったかも……

文・嶽本野ばら

©2016 Reiner Holzemer Film-RTBF-Aminata bvba-BR-ARTE

 

この前、新宿から朝の長距離バスに乗ろうと歩いていると、道端にカラフルなタイダイ柄の布団を被って寝ている浮浪者さんが、いた。東京は浮浪者であろうが流行に敏感だ。

コレクションは大抵、ウィメンよかメンが先に発表されますが、ニーズは圧倒的にウィメンなので、何処のメゾンもメンズは力を入れない。そもそもパターンが決まっているので——「新しいコレクションは大抵過去の焼き直しだ。特にメンズウエアではゼロからのデザインなど皆無」とドリス・ヴァン・ノッテンも『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』の中で語る——デザイナーにしろ作る面白味を見出せない。

ですが、故にメンズコレクションではそのシーズンのデザイナーの思惑が端的に解ります。メンズのショーはプロパガンダと捉えるのがいとよろし。

このところ僕はドリス・ヴァン・ノッテンばかり着るのですが、それは最近、長い低迷期にあるファッションの世界に於いて、彼が最もトレンドを正確に教えるからです。

少し前は80年代っぽいオーバーサイズが流行り、最近は盛り袖が注目されますが、実は80年代や盛り袖がトレンドになったのではない。肩のラインが変化し、結果としてそのような現象を起こすのです。盛り袖はつまり、紳士服でいうところのビルドアップショルダーですよ。肩先が盛り上がる。パフスリーブほど装飾的に膨らむのではなく、肩のラインに対し上部がちょこっと立つようアームホールへ袖が付けられる。着丈が短くなったり長くなったり、ルーズになったりコンシャスになったりするから袖の形が変わるのか、袖の形が変わるから全体のシルエットが変化するのかは知らねども、間違いないのはアームホールさえ押さえればトレンドは把握できるということです。そして優秀なデザイナーは常にアームホールの処理が上手い。

©2016 Reiner Holzemer Film-RTBF-Aminata bvba-BR-ARTE

ドリス・ヴァン・ノッテンは2019s/sのメンズで落とし気味だった肩に少しビルドアップも加えているけど、19-20a/wではしっかりビルドアップを主流にしている。ファッションは繰り返すというけれど、同じ場所をグルグル回っているのではない。螺旋状だから平面的に捉えるとリバイバルに思えるだけ。
流行と称される変化は、例えばオウムガイをイメージしてみるとよい! 対数螺旋で角度が同一だけど、中心部は狭く外側に行くにしたがい広くなり、急角度からなだらかな角度へ臨機応変の調節が行われているかにみえるけれども、実際は変則を赦さぬ数学的ルールがそこにある

無論、ほとんどのデザイナーは自分が着丈を長くしたり短くしたりするのが数学に由来するとは思ってはいません。ですから業界が闇に包まれてしまうと、直感が鈍くなり進路を誤ってしまったりする。
何故、ドリス・ヴァン・ノッテンだけが今も正確にフォルムの変容を捉えているのか?
90年代に始まる合併・買収の動向にいち早く対応し、自分のメゾンはあくまでインディペンデントと決定したからクリアに被服と向かい合えているのも大きな理由なのだろうけれども、僕は彼の生活そのものに根本的な原因があるのだと思う。彼は広い庭のある屋敷に恋人と二人で住む。

©2016 Reiner Holzemer Film-RTBF-Aminata bvba-BR-ARTE

前出の映画に使用される映像の大半はその色彩豊かな庭を撮ったものだ。完璧主義者の彼は、草花を自分で育て、摘み取り、部屋に飾る。自分は何時も、常に観ている——のだと彼はいう。プライベートのほとんどをそこで過ごすならば、彼は毎日、草花の様子を観ている(籠を携え草花を摘む時のドリスの姿は平凡な老農夫でこの人がパリコレのトップランナーだとは到底思えない)。

自分を引き合いにだすのは恥ずかしいけれど、僕も数年前から押し花をするために雑草採集をしている。そして解ったのは、植物の形は行為と欲望の具象のみということだ。巻き付けるものがあれば蔓は巻き付く。対象がなくとも巻き付こうと先を伸ばし続ける。含羞もモラルもなく、彼等はただ、生命として機能する。結果、余計なものは一切排除され、形そのものが生き様となる。

初期からドリスは草花を作品のモチーフにしてきました。
今、ドリスに注目してしまうのはアースカラーがトレンドといいつつ茶、黄土、緑……、植物な色、これを使わせれば無敵の才能に傾倒しているだけなのかもしれないけれども、彼がモードのフォルムの輪郭をこれだけくっきりと顕在化させられるのに、草花と共に生きる特殊環境が影響しているは間違いなかろう。
そして、形がシンボルではなく欲望そのものである時、変容そのものが行為として純化することも間違いは、なかろう。

新宿の浮浪者は偶然、タイダイの布団を被っていたのではない。意識せずともオシャレな街の浮浪者だからその布団で寝ているのだ。——僕の被服論では、そうなります。

(7/10/19)

 

販売元:アルバトロス(株)

 

  • ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男 [DVD] 
  • 監督・脚本・撮影・製作:ライナー・ホルツェマー

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