ハイパーハード音頭はスタミナつけて根性入れて聞くべし。
すべてのパラダイムをぶっつぶすが如く叫ぶ〝不滅の男〟の起死回生ホームラン。
進めエンケン! イェイ、イェイ。
『エンケンのミッチー音頭』はいわば〝ウルトラロック〟だ。昨年秋に出たこのCDシングルは、26年前に日本初のハーフ歌手青山ミチが流行らせた曲をカバーしたもの。戸川純やサエキけんぞう、巻上公一、ケラ、チャカ、野沢直子、奥田民生らがコーラスで片棒をかついだが、遠藤賢司のその元気モリモリぶりには、その辺のビートバンドが束になってもかなわないだろう。「俺と同じことを考えている可愛い奴」フクロウをお伴に、40代ロッカーは真に自分のビートで話をする。人とアツイ握手をしようとしている。
――『オムライス』から6年ぶりで、青山ミチの曲をシングルで出そうと思ったのは?
遠藤 高校時代からすごく好きでね。ステージでも3回くらい歌ったかな。それを聞いたレコード会社のプロデューサーがまた気に入って、やらない?ってことになったのね。でもカバーをやってヘラヘラするのいやじゃない。1か月考えてね。気楽にやるのが今風ってことでもないし。青山ミチには絶対負けたくなかったし。けどまあ、たった1曲によくあれだけワガママやらせてもらったよね。
――♪歌って踊ってスタミナつけて〜♪のスタミナって言葉が今聞くとすごい新鮮ですね。
遠藤 ホルモン焼とかに近いもんあるよね。いかにも〜つくぞ!って感じでさ。当時は流行語みたいだったんじゃないのかな。斬新だったと思うよ。でもあの歌は哲学なんだよ。ものすごく言いあてている。あの中で “倖せいっぱい喰いしんぼ” ってあって、あのフレーズが一番好きなんだけど、人間、それがすべてだと思うよね。作った人は意識してなかっただろうけど、時代を超えて、生きていくことを根本的に歌いあげてる名作だと思ったんだよね。そうじゃないとカバーなんてやりたくないもん。ベートーベンはやったことあるけど、ベートーベンの次に青山ミチなんだから、それもスゴイ話だよね(笑)。
――その6年間というのはどういうふうに過ごしてたんですか?
遠藤 『オムライス』出して、急にギターを弾きたくなくなったの。まったくね。で、俺みたいにギターが好きで始めた人間は弾きたくなくなったら、ミュージシャンとしてはダメだなと思ってね、悩みながらライブしてた。
――昔の『カレーライス』とか『いつのまにか雨が』とか聞いても、ギターばっかり弾いてるような印象があったのに。
遠藤 そうそう。本当に四畳半でいつも弾いたもんね。よくあんなにと思うけど、東京に出て来てから友達のを借りて弾くようになって、もうギターが好きで好きで好きで、一日中さわってたもん。心に触れるみたいなあの音が好きでたまらなかった。でもその時期はイヤになってて、とにかくものすごく活字に飢えてたの。だから、高校の時読んだような本とか、明治や大正時代の後期の本とか、その辺のやつを全部読んでやろうと思ったんだよね。純文学を。まあ何でも芯があれば純文学だと思ってるんだけど、3〜4年ぐらい、だいたい古本屋をまわって全部読んだんだよね。それで気づいたことが、ずっと前はそうじゃなかったのに、自分が形式にとらわれていたような気がしたんだよね。レコードは『オムライス』でちょうど10枚出してたけど、次のレコードっていう時に頭の中で考えてしまうみたいな感じもあったし、1番、2番、3番とかいう形式は良くないなあと思ったの。俺はめちゃめちゃ長い文章を書いて、とりあえず起承転結だけつけて、一つの視点だけパッと捉えた、そんな小説のような長いやつを何もとらわれないで叫んでやろうと思ったの。それを忘れてたなあと気づいて、そしたらまたギターが好きになったんだよね。で、マーシャルの三段重ねのギターを借りて来てコンサートやったり、バンドもつくったの。
――それってものすごい改革ですね。
遠藤 うん。俺にとってはね。本を読んでて良かったなあと思ったよ。
――でも、どうして昔の日本文学だったんですか?
遠藤 なんでだろうねェ。昔の日本の文章ってきれいだし、カタカナがなくてごまかしがないし、何より息吹きがあるんだね。森鴎外でも誰でもみんな盗作に近い形でやったって言うけど、ロシア文学とか読んでこいつはスゴイなあ、こいつのように書くにはどうしたらいいだろうと思って一生懸命書いたんだろうな。その明治の、何かを見開いたような気迫っていうのか、それが美しいんだよね。特に徳川末期から明治にかけて、外国から何でも吸収してやろうという者と鎖国を守ろうとする者と開国させてやろうと者とのせめぎ合いがものすごくて、あの頃に生まれてたら面白かったかもしれないね。時代が生き生きしてる。ただ、それで、無理して開国したからいまだに鹿鳴館のままの、いきなり洋装になったみたいな落差を、今の日本の音楽もひきずってるような気がしたんだね。
――その明治の状況って日本の初期のロックバンドの戸惑いとか葛藤に似てるものがあるのかもしれませんね。
遠藤 かもしれない、その通りだね。ボブ・ディランやクリームを聞いてどうやったらこいつのように歌えるだろうっていう所から始まって。GSでもビートルズかストーンズかどっちかだったからね。オックスの『レッツ・スペンド・ア・ナイト・トゥギャザー』なんて凄い日本語英語でさ。けど俺達も今にストーンズを乗り越えて世界に出るんだって気迫があってね。あの1曲はストーンズに勝ってると思うんだよね。GSってそこがスゴかったと思う。明治の日本人みたいで。日本のロックの黎明期の奴って凄い意気込みを持ってたよ。
――そういうのを再確認したり、読書は栄養になったんですね。
遠藤 うん、活字はスタミナになった!
――でも、10年前の『東京ワッショイ』の頃に、あっ変わったっていう感じもあったんですけど、ご自分ではどうだったんですか?
遠藤 形はそう見えるかもしれないけど、結局、俺はこの20年間言ってることはぜんぜん変わってないよ。俺はここにいるんだ、君と会えて良かったねとしか言ってない。最終的にはそれだけ。ただ『東京ワッショイ』はさ、東京に住んでて、東京は空から汚くて人間の住む所じゃないですねとか言ってる奴らが多くて、そう言うんなら出ていけばいいと思ったんだよね。こうすれば空気はきれいになるっていう話もせずに非難だけしている奴らは一番くだらないよ。何もわかってないと思うから。だって生きていくしかないもんね。どこ行っても同じ。どこに行けば自分に都合が良くなるなんてことはないよ。何もかもバランスでさ、自然界と自分の身体を通しての。自分の身体を通してでしか人は痛みはわからないけど、まず自分の痛みを知って自分で生きていくしかないんだから。
――音楽はそういう生きていくしかない中での何ですか?
遠藤 自分のリズムから生み出して自分流に音楽をやっていくというのは生きていく糧(かて)かもしれないね。で俺が一番人に伝えやすいリズム、俺がこう思うっていうリズムで伝えてる、それが商売になってるんだから、本当の意味での糧でもあるよね。
――その自分流は世の中の流行とかとは一歩置くみたいな所があるんですか?
遠藤 俺はぜんぜん排他的じゃないし、何でも聞くし、その中にいるからね。ただ流行ってのは、自分が傷つかないようにみんな生きてるわけで、世の中の都合のいい方に動いているだけだからね。音楽をやっている人は増えたけど、面白いものも増えたかわりに、つまらないものも断然増えたよね。
――これからはどういうふうに?
遠藤 もうちょっと落ち着いてからアルバムを年末ぐらいに出そうと思っている。これからの1枚って将来を決めそうな気がするから。俺にとっては〝出発〟のアルバムになると思うんだよね。だから、その節目に『ミッチー音頭』を出せたのはすごく良かった。あれは根本的に聞いて欲しい曲だよね。聞くからにはヘラッと聞くんじゃなくて根性がいるよ。日本を正しい道に戻すためにも。
(インタビュー・構成:やまだりよこ/写真:浅田トモシゲ)
(「花形文化通信」NO.10/1990年3月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行)