苦楽園という地名の由来はひょうたんだった!(3)

by 丸黄うりほ 

①「久方庵」があったのはこのあたり?

②鳥が楽しそうにさえずり、きれいな花も咲いていました

③とても立派な石垣です

④「堀江オルゴール博物館」の駐車場

⑤駐車場からは林が見えました

⑥茶室の跡でしょうか……

⑦「堀江オルゴール博物館」は休館でした

⑧川端に灯籠が?

⑨おそらく川は「久方庵」の庭を流れていたのでしょう 

昨日の続きです。阪急苦楽園口駅から徒歩で「三笑橋」を目指したものの、結局ひょうたん物件も中村伊三郎氏の邸宅跡も見つけることもできなかった私。帰りにひょうたんの陶器を購入して、少しだけ気持ちは癒されましたが、数日たつと「なんとかリベンジしたい!」という思いが募ってきました。疲れ果てて、行くのを忘れてしまったスイーツのお店のことも気になります。

そこで、先週末、再び苦楽園行きを決めました!

今度は前回の反省から徒歩で行くのはやめました。阪急夙川駅からバスに乗ると、約15分で「苦楽園」に到着。なんだか騙されたようにスムーズです。

前回はそこからバス通りに沿って歩いたのが間違いでした。目の前が三叉路になっていて、そこにつながる坂道が「堀江オルゴール博物館」への方向だったのです。

「苦楽瓢」の持ち主だった実業家の中村氏は、温泉を売り物にこのあたりにホテルや旅館をたくさん建てました。また自身の邸宅「久方庵」を中心として迎賓館を多数つくったのだそうです。「久方庵」には与謝野鉄幹・晶子一家が、近くの迎賓館「菊水館」「萬象館」には谷崎潤一郎が住んでいたらしい。また、その西側には、「クラブ洗粉」を大ヒットさせた中山太陽堂社長が「太陽閣」を建てました。

現在の「堀江オルゴール博物館」は、「太陽閣」の跡地に建っているそうです。その手前あたりが中村氏の邸宅跡ということになるようですね。

この辺は今もぎっしりと家が建っているのですが、中村氏の邸宅跡はあまりにも広すぎてそのまま手付かずになっていると事前に情報を得ていました。……と、右手に門に鍵がかけられた林が出てきました!

門柱は残っていましたが表札はなく、人の住む気配もありません。位置的にみてもおそらくここが「久方庵」でしょう!(写真①)

庭の木は手入れがされていないため伸び放題ですが、鳥が楽しそうにさえずり、ピンク色のきれいな花を咲かせている木もありました。(写真②)

しばらく歩くと、大きな石垣の前に「堀江オルゴール博物館」への案内表示がありました。先ほどの林も同じタイプの石垣で囲まれていたことから推測すると、これらの石垣はすべて中村氏の邸宅の名残ではないかと思います。(写真③)

さらに進むと「堀江オルゴール博物館」の駐車場があり、そこから下をみると林の様子がうかがえました。(写真④⑤)

さらに歩いていくと、茶室跡のような物件が……。(写真⑥)

そのすぐ近くに「堀江オルゴール博物館」がありましたが、この日は閉館していて見学することはできませんでした。後で調べてみると、予約が必要で、いきなり行っても見られないようです。(写真⑦)

「堀江オルゴール博物館」を通り過ぎてさらに歩くと、川の流れがありました。橋のたもとには灯籠があり、その川辺の整備のようすから私邸の庭にあったものだと直感しました。橋の奥には柵があり渡れないようになっています。そこからも灯籠や庭石が見えました。(写真⑧⑨)

そのなかに何かひょうたんモチーフのものはないかと目をこらしましたが、見つかりませんでした。しかし、「久方庵」という名から「ひさご=ひょうたん」を連想してしまうのは、おそらく私だけではないと思います……。

(956日目∞ 4月12日)