西宮市・松原天満宮の「福部社」

by 丸黄うりほ

①松原天満宮。阪神西宮駅から徒歩約10分のところにあります

②境内見取り図にて「福部社」を確認!

③本社殿。ちょうど月次祭の日でした

④本社殿の西側に、小さなお社が二つ並んでいました

⑤左が探していた「福部社」です!

⑥そして、右は「老松社」です

⑦本社殿の東側には「火之御子社」と「白太夫社」

⑧道を挟んで南には「北向稲荷社」が

先月、「ひょうたん日記」の春休みをもらっていた期間中に、私は前から行ってみたかった近郊のひょうたんスポットへあちこち足を伸ばしてきました。というわけで、きょうからしばらくは兵庫県西宮市のひょうたんスポットを紹介していきますね!

まずレポート1日目は、松原天満宮です。

松原天満宮は、阪神西宮駅から線路の高架に沿って東へ徒歩10分ほど歩いた住宅街にありました。駅からほぼまっすぐな一本道で、たぶん誰が行っても道に迷うことはないと思います。

写真①が、松原天満宮の石鳥居です。鳥居の横には由緒が書かれた看板が立っていました。主祭神は言わずと知れた天神様、すなわち菅原道真です。道真公が京都から九州に向かう途中、この地で休泊されたと書かれています。

私の目当ては、ここの摂社である「福部社」です。境内見取り図を見ると、「本社殿」の横に「福部社」があるのが確認できました!(写真②)

じつは、私は昨年の節分に京都の北野天満宮にお参りし、その摂社のひとつ「福部社」に「福の神=ひょうたんの神様」が祀られているということを知ったのでした。北野天満宮の「福部社」の立札には、道真公が乗っていた牛車を引く牛の世話をする舎人だった十川能福という人(神)が祀られているとも書かれていました。

一方、昨年は福岡県の太宰府天満宮にもお参りすることができ、その摂社にも「福部社」があることを知りました。ただし、ここに祀られているのは道真公の漢詩の先生だったといわれる島田忠臣でした。

島田忠臣は、北野天満宮では「老松社」に祀られています。いったいこの違いはどうしてできたのでしょうか?

疑問に思って、全国にたくさんある天満宮・天神社の「福部社」と「老松社」について、もう少し詳しく調べてみたところ、摂社として「福部社」が置かれている神社は大変珍しいということも分かりました。(このことについては、「ひょうたん日記」923日目924日目でレポートしています)

その数少ない「福部社」のある神社として、ネット検索でヒットしたのが、こちらの松原天満宮だったのです。

私は期待でどきどきしながら鳥居をくぐり、まず本社殿をお参りしました。ちょうど私が訪れた日は月次祭に当たっていたらしく、意外なほどたくさんの人がお参りされていました。(写真③)

本社殿の西側には、小さなお社が二つ並んでいました。(写真④)

近寄ってよくみると……。

左が目当ての「福部社」で、右が「老松社」でした!(写真⑤⑥)

西宮まで来て、やっとひょうたんの神様にお会いできた。私は感謝と感激の気持ちを込めてお参りさせていただきました。

こちらの「福部社」の御祭神は十川能福とされていました。また、「老松社」の御祭神は島田忠臣だと書かれていました。お札の文字が薄くなっていますが、「学問」という文字も読み取れます。島田忠臣は、一説には島田忠興というよく似た名前の家臣と後世に混同されたとも言われているようですが、ここでは漢詩の先生であった島田忠臣を指していると思われます。

十川能福についてはお札に説明がありませんでしたが、北野天満宮と同じ配置であることから、もともとは舎人で、のちに「福の神=ひょうたんの神」とされたという解釈を、おそらくそのまま当てはめてもいいでしょう。

本社殿の東側には渡会春彦が祀られた「白太夫社」と、火雷神が祀られた「火之御子社」もあり、これも北野天満宮と同じでした(写真⑦)。この松原天満宮では、「福部社」などの古くからある摂社を、なるべくそのままの形で護ってこられたのでしょう。

鳥居前の道路を挟んで南には「北向稲荷社」があり、そちらには織姫大明神という染色・織物の神様が祀られていました。菅原道真よりも古く、四世紀ごろから伝わる渡来人系の神様のようです(写真⑧)。もともとこの神様があったために、九州へ向かう御一行はこの地で宿を取られたのかもしれません。

後世、ひょうたんの神となった十川能福さんも、愛牛とともにここで身体を休められたのでしょうか……。

(951日目∞ 4月5日)