太宰府天満宮の厄晴れひょうたん③
by 丸黄うりほ
塔のように高く積み上げられたひょうたん。それはいったい何個あるのでしょうか? このひょうたんの一つひとつに、一人ひとりの「厄」と「祈り」が込められているのです。
神職さんが玉串を手に祝詞を唱え、ひょうたんの塔に向かってその枝を数回振られました。周囲に立ち、ともに参加させていただいている見学者の私たちの頭上にも、枝を振ってお祓いをしてくださいました。
すべてが整い、ちょうちんを持った別の神職さん二人が、ひょうたんの前まで歩んでいかれ、向かい合わせに立たれました。
ずっとそばで見ていたのですが、いつ火が点けられたのかわからないほど、それは静かに行われ……、ふと気が付いたときにはもくもくと白い煙が上がっていました。
煙が立ち始めると、もうそこからはあっという間の出来事でした。たちまちのうちに炎が大きくなり、まるで龍のようにひょうたんを上から順に舐め尽くしていきます。ときおり、パチパチッと弾けるような音がします。風にのって運ばれてくる煙は火の粉を含み、息苦しいほどのにおい。数メートル離れていても体にかっと熱さを感じます。
神職さんたちの唱える祝詞が、低く、低く、低く、地面に呪文のように響きわたります。すでにひょうたんタワーは正視できないほど真っ赤に燃えていました。
ああ、ああ。
ああ、ああ。
ほぼ燃え尽きたひょうたんに向かって、柏手が打たれました。
「厄晴れ厄よけ ひょうたん祭り」の儀式は、これにてすべて終わり。神職さんたちが静かに場をあとにされました。
……すべてが終わってしまっても、私はしばらくそこから動くことができませんでした。あれほどたくさんあったひょうたんが、ものの5分ほどで灰になって消えてしまった。ひょうたん愛好家の自分としては、なんと恐ろしい、残酷なことだろうかと思います。しかし、このひょうたんたちは、その空洞に人々の「厄」を封じ込め、身代わりとなってくれたのです。ひょうたんたちに「厄」を封じ込めたおかげで、人々は大厄に見舞われず、きょう無事に「厄晴れ」の日を迎えることができたのです。
すべてを焼き尽くす炎はとても恐ろしい。しかし、すべてを焼き尽くす炎は、すべてを許し、清めてくれるものでもあるのだと思いました。
私の中には、苦しいような、悲しいような、しかし何か晴れやかさも感じる複雑な思いと、まるで前衛的な映画を観たときのような、ぽっかりと切り取られた時間と、強烈なビジュアルの残像が浮かんでいました。
このすさまじい儀式のことを、私はおそらく一生忘れることはないでしょう。
(724日目∞ 4月8日)
*「太宰府天満宮の厄晴れひょうたん①」はこちら 「太宰府天満宮の厄晴れひょうたん②」はこちら
※次回725日目は奥田亮「でれろん暮らし」、4月11日(月)にアップ。
726日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、4月12日(火)にアップします。