太宰府天満宮の厄晴れひょうたん②

by 丸黄うりほ

①境内にクレーン車?

②お祭りの準備が始まっていました

③結界が張られ、熊手で掃かれます

④積み重なったひょうたんは塔のよう!

⑤ひょうたんの下には紙の束が

⑥本殿にて神事が始まりました

⑦神職さんたちが本殿から広場へ

⑧いよいよ、その時が……! 

4月3日、太宰府天満宮の境内に吊るされた「厄よけひょうたん」を見たいと思い、朝4時に起きて6時新大阪発の新幹線に乗って福岡にやってきた丸黄でしたが、すでにひょうたんは回収され、ひょうたん掛けには数個がぽつんぽつんと残っているだけ。当てが外れました。でも、その日の午後は中野由紀昌さんの案内で福岡県内のひょうたんスポットへ連れて行ってもらい、すっかり元気回復♡ そこで出会ったたくさんのひょうたんと、ヒョータニストのみなさんとの出会いについては、また日を改めて書きたいと思います。

今回の旅の最大の目的である「厄晴れ厄よけ ひょうたん祭り」の本番は、翌日の4月4日。公開されている情報によると神事は10時からということでしたが、それより早い時間から準備が始まることを神職さんが電話でちらっとおっしゃっていたので、中野さんと私は9時すぎに再び太宰府天満宮にやってきました。

大鳥居をくぐり、心字池にかけられた太鼓橋(過去、現在、未来をあらわしているそうです)を渡っていると、絵馬堂前の広場にクレーン車が止まって何かしているのが見えました。(写真①)

「あれはひょうたんですね!」と、いち早く中野さんが反応!

駆け寄ってみると……、大量のひょうたんが塔のように積み重ねられ、そこにクレーン車で持ち上げた大きな鉄製のかごがかぶせられているところでした。(写真②)

ひょうたんをいっぱいに詰めた鉄製のかごには蓋がされて、場の中心に置かれました。

その四隅には竹が立てられ、四方に縄が張られて紙垂が吊るされ、奥には白い幕がかけられて、そこは結界となりました。神職さんが熊手を持って、地面を掃き清めていきます。(写真③)

私はかごの中にぎっしり詰まったひょうたんを見つめました。かごの下のほうには白い紙の束が見えます。おそらくこれは、ひょうたんをより燃えやすくするために入れられているのでしょう。(写真④⑤)

ひょうたんたちには、恐ろしいような気配が漂っています。そう、それは厄年の人たちの「厄」と「祈り」を封じ込めた気……。そう思うと、心がざわざわしてきます。ここに集められているのは、紛れもないひょうたんである。しかし、ひょうたんでありながら、ただのひょうたんではない。

10時から始まるという神事をその場でじっと待っていたら、門の奥にある本殿から笛や笙、太鼓の音が響いてきました。あれっ?神事が行われるのは本殿だったようです。中野さんと私は慌てて本殿前に移動しました。

919年に造営され、天正年間に再建されたという本殿は、色あざやかな彫刻が施され、明治時代に重要文化財にも指定されています。神職さんが並んですわり、厄晴れ厄よけ祈願の祝詞を唱えます。(写真⑥)

本殿での神事はだいたい30分ほどだったでしょうか。

神職さんたちが本殿をあとにし、整然と列をなしてひょうたんが待つ広場へと向かいます。(写真⑦⑧)

いよいよ「厄晴れひょうたん焼納祭」が始まります!明日のレポートもぜひお読みくださいね!

(723日目 ∞ 4月7日)