ここは「みたけ  ひょうたん王国」

by 丸黄うりほ

Mt.Mitakesan.jpg

①標高839.2メートルの三岳山は、福知山市の最高峰(写真はwikipediaより)As6022014 – 投稿者自身による作品

②道路沿いにひょうたん型の看板が!

③「みたけ  ひょうたん王国」と書かれています! 

「福知山に、ひょうたんで町おこしをしていた地区があったんですよ」と、北野天満宮の節分会(「ひょうたん日記」691日目)のとき、隣で撮影をされていたアマチュアカメラマンのながれ牛さんに教えてもらいました。

その地区とは、三岳山のふもとに広がる三岳という小さな町。ながれ牛さんが「道路沿いに看板だけはまだ残っていますよ」とおっしゃるので、グーグルのストリートビューで見ると、確かにひょうたん型をした看板が立っています。だいぶ錆びてしまっていますが、ひょうたんのくびれには赤い紐が結ばれ、「みたけ ひょうたん王国」という文字も読めました。

「みたけ ひょうたん王国」とは、なんという魅力的なネーミングでしょうか!ということで、さっそく調べてみました。ここに、今のところ判明したことを記しておこうと思います。

2017年8月2日付の『朝日新聞デジタル(京都)』「三岳ヒョウタン最後の実り 唯一栽培の有さん引退」によると、三岳地区で最後までひょうたんを作っていた有町子さんがその夏で栽培をやめることになり、「三岳ヒョウタン最後の実り」というタイトルがつけられています。三岳のひょうたん作りは1993年に始まり、最盛期には100戸ほどがひょうたん作りを競ったこと。収穫したひょうたんで工芸品を作って販売したほか、ひょうたん愛好家が集まる催しや、ひょうたん楽器によるコンサートも開かれ、静かだった三岳が盛り上がっていたことなども書かれています。

別のブログ記事「ラサンカ」(2013年7月26日付)を見ると、三岳でひょうたん栽培を続けている最後の人として、やはり有町子さんが出ています。すでに2013年の時点で、ひょうたん農家は1軒だけになってしまっているのです。

京都府農業会議発行の「あぐり・るねっさんす」(2007年春号)PDFには、「みたけ  ひょうたん王国」の仕掛け人である伊藤義信さんという人が出ています。それによると、ひょうたん作りは平成5年(1993年)に、伊藤さんが中心となって全戸にひょうたんの種を配布したのがはじまりと書かれています。2007年の時点では、「三岳ひょうたん愛好会」の会員は35名。ひょうたん栽培は地域活性化を目指して始まり、今では高齢者の生きがい対策ともなっている。漆塗りなどの工芸品をつくるだけでなく、かつては「ひょうたん音頭」も作られたとあります。

これらの記事から読み取れるのは、90年代の「みたけ  ひょうたん王国」は地区をあげての、かなり大規模な町おこしであったであろうと思われることです。100戸もの農家がひょうたんを栽培していたというのですから!大変な壮観だったにちがいありません。しかし、2007年には会員が35名、2013年には有町子さんが最後の農家に。「ひょうたん王国」は、20年もたなかったのですね。とはいえ、20年間つづいていたとも言えます。

ひょうたん栽培をする人が減ってしまったのは、「朝日新聞デジタル」の記事にもあるように農家の高齢化のせい。たぶんそうなのでしょう。ひょうたんは農作物のなかでもわりと手間のかかるほうだと思います。そのくせ食べられませんから、グルメで観光客を呼ぶことにもつながりませんし……。

ああ。すでに10年以上前に火が消えかかっていたとはいえ、私ももっと早く知っていたらよかったのにと思います。「ひょうたん王国」でのコンサートって、どんなのだったのでしょう?

そして、今の三岳はどうなっているのでしょう。もう何も残っていないのかな?それとも、看板の他にももしかしたら往時の名残があったりして……?

(698日目∞ 2月18日) 

※次回699日目は奥田亮「でれろん暮らし」、2月21日(月)にアップ。

700日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、2月22日(火)にアップします。