自給の音楽

by 奥田亮

いい感じに育つキャベツ

楽器紹介。左から《げじげじ》《べんべん》《瓢立琴 銘 剥き身》《へびお》

 

長野も梅雨入り。裏の畑の野菜づくりは去年よりいい感じですが、ある朝ふとレタスを見ると前日と全然様子が違ったので、不織布のトンネルをはがし、よく見るとひどい虫喰い。ぎゃっ!と葉っぱをめくっていくと、あららナメクジがおいしい食べものと柔らかな寝床の中で幸せそうに隠れていました。けっこうたくさん……。申し訳ないけど、それはちょっと困るんです。ごめんねと心で謝りながら駆除しました。そのナメクジたちの仕業なのか、根っこからちぎれて全体に腐りかけているのが一つ。幸いそんなレタスはそれだけだったのですが、他のレタスもナメクジに喰われて穴があいていたので、まだ少し早かったのですが収穫してしまいました。しばらくはレタスばかり食べないといけません。

ああ、こういうとき農薬や殺虫剤の誘惑にかられるんですよね。農薬も必要に則して開発された「正義の味方」なのだということを思い知らされます。でも、なるべくなら使いたくない。キャベツとレタスはアブラナ科とキク科でそれぞれの害虫が相殺しあうコンパニオンプランツということだったので交互に植えていたのですが、ナメクジは予想外。キャベツはほぼ無傷できれいに大きく育っています。

先月から、新規就農で野菜を作っている青年Kさんが無農薬による「自給のための家庭菜園教室」を開いていて、記録と広報のお手伝いがてら参加し、そこで勉強したことをうちの畑でも実践しています。なかなか思いどおりにいかないこともたくさんありますが、それでも昨年よりは少しいい感じです。農業をやりながら自給のお手伝いをしてくれるKさん。安心安全な食を人々に届けたいという本気の思いがなければできないことですね。敬服します。

これからの時代を生きるキーワードは「自給」ではないか、と考えています。それは食だけでなく、住む処や暮らしにもあてはまること。自分でやってみると、できそうになかったことも案外できたりしますし、逆に一度チャレンジすることで、プロの技の凄さや必要性に納得できます。

私の楽器〜音楽のアプローチも、ある意味「自給の音楽」といえる気がします。昨年作ったアルバム『とちうで、ちょっと』の制作の基本姿勢は、自分が持っていない楽器や演奏できない楽器は使わない、ということでした。なければ作る、あるいは何か別のもので代用する。誰かに頼んで演奏してもらうこともしない。昨今、打ち込みソフトを使うと高品質な音が手軽に手に入りますが、それもなしということにしました。もっとも、打ち込みの音はなんだか良くでき過ぎていて、ひょうたん楽器のへたれな音にはなじまないのですが。こうやって制限を設けることによって、逆にイメージの広がりや自由が得られたように思います。

そうして自給を旨としながらも、最後は他人の感性に委ねてみようと、ミキシング、マスタリングを音楽家の片岡祐介さんにお願いしました。片岡さんは、ボール紙と100均のスピーカーコーンでできた、とてつもなくいい音のする《純セレブスピーカー》の開発など、音響・音質にも深い見識と技術を持っておられる方。提案されたミキシングは自分の想定とは真逆の方向で、最初は戸惑いましたが、最終的になるほどと得心。お願いして本当によかったです。ご興味あれば……、試聴も少しできます。「でれろん」も聞けます。

(291日目∞ 6月15日)