ミステリアスな存在表現の場に留まらず、
日常そのものが侵蝕されていた。
それほどまでにぬきさしならぬ関係がそこに!
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)
──ベアーズ初体験はいつになるの?
アリス いつやろ?
──1988年9月の「死ののど自慢」にはアリスセイラーの名前が出てる。
アリス ノイズをバックに好きな歌をうたうってのやろ。その前にお客さんで行ってた気がするけど。
──「死ののど自慢」では何を歌ったの?
アリス 原田知世の「天国にいちばん近い島」。この頃、PBCのジャン・ピエール・テンシンって人とつき合っててん。この日はジャンくんが上京する前の日で。直前まで引越荷造りの手伝いをしてた。ベアーズに行ったら、始まってて。泣きながら歌ったの憶えてるわ。
──「明日、東京に引越すんです」ってジャンくんの言葉が記憶の底から蘇ってきた。昆蟲同盟ソラリスの「ソラリスの母」としても知られるアリスちゃんですけど、そういう物語があったんやね。
アリス 昆蟲同盟ソラリスは「上方漫才血まつり」にもよく出てた。わたし、芸人のみんなから「アリス姉さん」て呼ばれてて。「そんな面白いネタ、どうやって考えるんですか」「シルク姉さんに似てる」とか言われてた。シルクさんってアナーキー親衛隊やったんやろ。どっかで会ってるかも知れない。
──山本(精一)さん、保山(ひャン)、シルクさんは同じ学年ですからね(ちなみにわたくしガンジー石原も)。エッグプラントにアマリリスがよく出てたのに対して、ベアーズでは「血まつり」の漫才に混じって、まるきり色もの扱いですよ。
アリス ほんまやね。アマリリスでもっと出てると思ってたけど。1990年3月のPBCライヴ……このときも泣いてた記憶がある。内容はソラリスのミュージカルみたいなので、お芝居しながら泣いてた。あまりに感動的なお話だったので。松蔭(浩之)くんに「泣くな!」って励まされながら。泣くってそんなにないやん。しかも同じところ……ベアーズで2回も。それは当時ベアーズに出るって噂になってた霊の仕業やって思ってたこともある。
──保山の生前葬(91年9月10日)でも出たって。下手PAのあたりに異形のもんが楽しそうに踊ってたとか。ま、出どころは山本さんやから真偽は定かでないけど。
アリス そう? わたし、保山くんのお葬式でも泣いた。その頃、つきあってた人のお父さんがちょうど危篤やってん。お父さんにもお世話になってたから。そんな大事なときに保山くんのお葬式にふざけて出てる自分が嫌で。やから結局、ベアーズでは3回泣いたことになる。同じ場所で短期間に3回も。
──前回の保山ひャンの回で弔辞の順番を待つアリスちゃんの写真使ってるけど、本当に悲しそうな顔をしてた。
アリス その後、お父さん死んでん。申しわけないと思った。
──まさか、そんなことが起こってるとはあの場にいた誰も知らなかったと思う。
アリス 「血まつり」には何度も出てた。大林たってる・ぬれてるのラスト・ライヴ(93年4月2日)にも出たよ。ふたりと仲良くって普通に遊んだりしてた。
──たってる・ぬれてるの、たってること舘川くんってニュージーランドで日本人観光客相手のガイドの仕事をしてたんやっけ。
アリス そうそう。釣りショップの仕事。梅宮辰夫がいいお客さんで。電話番号知ってるって自慢するから。ぬれてる(『がんばれ!ベアーズ』の著者M.C.BOO)の家でネタ合わせしてたときにイタ電したことある(笑)。ヌルピョンと安土城に入ってやったこともある。ヌルピョンのステージもストーリー仕立てになってて、わたしと河合(カズキ)くんが加わってやった。ヌルピョンは完璧なシナリオを書いてくんねん。「このとおりにやって」と注文されたけど、複雑過ぎてできない。本番のあと、楽屋に戻ったら、ヌルピョンから、フォーメーションを間違えた点と、河合くんにはもっと暴れて欲しかった点を指摘されて。「ガッカリした」みたいに言われた。ヌルピョンのファンだったから、もっと手伝いたいと思ってたのに。
──アリスちゃんが活動を始めたのはまず京都やね。アマリリスとして。それから大阪、東京と活動の範囲を広げていく。
アリス 最初のライヴから佐藤薫さんが見てくれてて。ブッキングやプロデュースをしてもらってたんで。早い段階から東京や名古屋にも行きだす。テレグラフレコードからレコードを出して。
──その後、キャプテンレコードに移籍する。
アリス いろいろあってんけど、佐藤さんに「アマリリスにはキャプテンが一番合ってる」とか言われて。もうなすがまま…。
──山本さんとの出会いは?
アリス 「イベントやるから出てください」とある日、電話がかかってきた。山本くん、「ボクはジャズが好きで」と自己紹介してた記憶がある。で、出たのが『BARK』(85年9月29日, 京大西部講堂)ってイベント。わたしはひとりで白衣着て血糊を使ったダークなパフォーマンスをした。ほかに、バン(ヒロシ)ちゃん、安田(謙一)くんなんかが出てた気がする。
──山本さんとはのちにノアノアってフォークデュオをやるんですね。
アリス ファンダンゴで2回(95年と99年)やったかな。お客さんもたくさん入ってカメラのフラッシュとかもすごくて。でも、練習不足で納得できるライヴができなかった。もっとやりたかったけど、山本くんはお客さんにパチパチ写真撮られたりするの嫌いみたい。で、「ああいうの嫌や。もうやりたくない」って言われてしまった。
──オリジナル曲は結構あったんですか?
アリス ほとんどオリジナル曲で最後に「Find the Cost of Freedom」ってクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの曲をやってた。すごく好きな曲で。
──とにかくアリスちゃんはいろいろやってるってイメージあるわ。
アリス もっとアマリリスで出たつもりでいたけど、それ以外でばっかり。いま改めて気づいた。若い時はほんまに暇やったし、いろんなことに首を突っ込んでた。何かやる時には誰かの家に集まって泊まり込みで練習するようなことをしょっちゅうやってたな。
──若いっちゅうのが重要やもんな。
アリス 時代的にもみんな余裕があったから。お客さんもたくさん入ったし、お客さんで行っても楽しいし。ベアーズで知り合った人も多かった。まさに社交場みたいな感じ。「おもしろいコいるよ」とか……そんな噂を聞いたら観に行ったし、仲良くなって。例えばスーパーボールのナオちゃんとかもそう。彼女、枚方でわたしと同じ京阪沿線やし、うちにごはん食べに来たり、結婚式にも来てくれたし、ニューヨークに住んでた時はニューヨークの家にも遊びに来てくれた。結婚相手は、渋谷ラ・ママで『フジヤマ新奇劇』をやった時、クレイマーと一緒に来てた日本人。その人はニューヨークに住んでて遠距離恋愛の末、96年に結婚する。ニューヨークでの結婚生活は近所にHIDEくんが住んでたり、ペル・ウブのトニー(・マイモーン)とバンド組んでライヴしたり、知り合った人とインプロしたり宅録したりして楽しかったんやけど、そのうち夫婦関係が悪くなって……結局離婚することになる。ニューヨークには子どもが1歳半くらいになるまで住んでたんかな。
──そういや、HIDEくんとも一緒にやってた。
アリス アリスセイラーvs HIDE〜ダメージ・ディストーションとしてもベアーズに出てるよ。2000年代になるのかな。
──アリスちゃんの息子、キリトくんも「キリト小6」の名前でベアーズ・デビューしてるからね。
アリス ベアーズ・マンスリーに四コマ漫画を描かせてもらったり。ゲームが好きでDS何台か使ってノイズみたいなんやってた。2008年の『スカムナイト』とかに出てたわ。
──いまキリトくんはどうしてるの?
アリス いま25歳。コンピューターが好きだったから勉強してIT会社に入って教育ソフトとか作ってる。
──アイドル・イベント『10 minutes』にも出てたよね。
アリス 始まってすぐのころ(10年秋)、スタッフの栗本(直美)さんから「出演者少ないから出て」って頼まれてん。人数合わせで出てたら、その月の月間チャンピオンになってしまって。それから、ゲストで出るようになる。ほんまは40歳とか軽く超えてるし、ひやひややってんけど、誰も何も言わへんねん。〈アリスセイラーの妹〉ってことで出てたけど、バンド関係の人も来てる時があって……「妹なん?」「じつは親戚なんです」「そやろな、妹さんやとしたら40歳くらいやろ。キミ、10代なんやろ?」「そうなんです」とかテキトーにつじつまを合わせてた。そのうち、ベアーズ以外のアイドル・イベントに厚かましくも地下アイドルとして出るようになって。
──ほんまもんやん!
アリス オファーもらって普通に。いけしゃあしゃあと出てました。正統派アイドルとしてイチから設定を作って。ぴいち姫、16歳……本当にアイドルらしく。やってるうちに周りの女の子たちと連帯感もできたりして楽しかった。いまから思えば、自分の表現活動の人生でやり残したことっていうのを40歳以降になって『10 minutes』がやらせてくれた。すごくやり切った感じがある。イベントに出たら、司会の人が「何十年も現役アイドルしてるなんてすごい!」って勝手に勘違いしてくれたりもするし。そういうときは何も言わずにニコニコしてた。素敵な勘違いだと思ってます。
──アリスちゃんにとってベアーズってどんなところですか?
アリス 自分の青春になくてはならない存在。楽しい遊び場であり居場所であり、行ってしゃべるだけしゃべってライヴ観ずに帰ったりとか。ベアーズの受付で待ち合わせるみたいな感じで約束したり……そういう感じ。最終的に息子まで出演させてもらったり、アイドルにならせてもらったり芸人さんたちと遊ばせてもらったり……いろんな挑戦ができた。何でもやれたなぁ。
──最後に言い忘れてることがあったらお願いします。
アリス 山本くんにはいまいち高評価されてないと思うんですけど、今年3月に京都の磔磔でHeavenly Armsにサックスで参加したことがあって。そのとき、山本くんにサックスを褒められた。認めてもらえたかなぁ。わたしも60歳やけど、また新たにベアーズに出る機会ってあるかもしれない。それを楽しみにしています。
「アリスセイラー展」を2022年9月17日(土)〜10月16日(日)、京都市中京区のギャラリーgreen&gardenで開催。詳しくはこちら
*メモ
- 非常階段シルク:漫才コンビ「非常階段」(1985-96)は相方ミヤコ逝去のために解散。以後、ピンで吉本一のセクシー美女として活躍。
- 松蔭浩之:現代美術家/写真家。コンプレッソ・プラスティコ、PBC、ゴージャラスほかで活躍。東京・神田の美學校の講師としても後身を指導してる。
- 佐藤薫:1980年代、京都シーンを牽引したEP-4の中心メンバー。東京のテレグラフレコードやペヨトル工房などとも親交があった。2012年以降、EP-4としての活動再開。
- テレグラフレコード:1981年、写真家の地引雄一が設立したインディーレーベル。NON BAND、すきすきスウィッチ、EP-4、リザード、のいづんずりほかをリリース。
- BARK:のいづんずり、遊星ラビリンス、SOFT、モーツァルテ・ユーゲント、ビスケット・ホリック、須山公美子、DUPPI、イン・フェイク、×(バツ)ほか錚々たる面々を集め、1985年9月29日,京大西部講堂で開催。企画者は山本精一と小谷哲也。
- フジヤマ新奇劇:東京・三軒茶屋の名物CDレコードショップ「FUJIYAMA」が1992〜94年、渋谷ラ・ママで開催したシリーズ・ライヴ。アリスセイラーを座長に、保山宗明王、フィリップくん、ヌルピョンらが集結した。
- クレイマー:シミー・ディスクの創設者。ギャラクシー500、ロウなどをプロデュース、ハーフジャパニーズ、ショッカビリー、バットホール・サーファーズなどにも関わった。
- ペル・ウブ:アメリカの有名ポストパンク・バンド。
- DS:任天堂が発売してた携帯型ゲーム機。
- Heavenly Arms:藤掛正隆(ds)、西村雄介(b)、加藤一平(g)によるハイパー・パンク・ジャズ・トリオ。