ベアーズきってのミステリアスな存在
ベアーズきっての月に雁
知らざあ言って聞かせやしょう!!
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)
──保山ひャンってそもそもいまのような活動を始めたのはいつになるの?
保山 大学を卒業してすぐかな。
──大学は関西学院大学ですよね。卒業したのは1982年春で合ってますか?
保山 たぶん。82年秋、嶋本昭三さんがJR甲子園口近くでやってたアートスペースで「『新しい世代の実験展』ってのをやるから、何かせぇへん?」って誘われて、作品いっぱい出してパフォーマンスも初めてした。ミニコミみたいなのを作り出したのもそのとき。コンセプトや文章はボクが考えてデザインやヴィジュアル面は大阪芸大の女の子ふたりに任せた。そのグループ名が「キマオロシ」。
──キマオロシ=保山じゃないんや。キマオロシではいろんなイベントもやってたね。
保山 初めてやったイベントは三宮のサンパルでやった『絶対芸術博覧会』(83年11月)。その話は、かげろうレコードの今村(空樹)くん経由で来た。今村くんと話したのもそのときが初めてだった。He Wasにライヴしてもらって藤本由紀夫さんにバレエの映像を上映してもらって関本(徹生)さんにパフォーマンスしてもらう……そんなイベント。かげろうレコードの存在は大学の生協にもレコードが置いてあったから知ってたけど、面識はなかった。学生時代から、ライヴハウス、劇場、ギャラリーなんかもよく行ってたけど、自分から何かを発信することはなかった。ロックマガジンで原稿書いたりするくらいで。働きだしたら、自分で自由になるお金ができるやん。ミニコミ作るにしても何をするにしてもお金がかかるから。それで何やかんややってるうちに……いまに至る。
──えっらい省略ですね。どうでもいいことなんですが、保山宗明王 → 保山宗明玉 → 保山ひャンの名前の変遷を教えていただけますか?
保山 ネオ秘密宗教「保山のお宿」をやり始めて(85年2月)、教祖として保山宗明王を名乗り出す。モダンチョキチョキズが活動休止になって90年代中頃から保山宗明玉にしたのは字画の問題。1画増やしたら、いい運勢になるとわかったから全体の雰囲気を変えずに〈王〉を〈玉〉にした。それを〈ひャン〉にしたのはアイドル・イベントをやるようになった頃(2008年夏〜)。〈宗明王〉〈宗明玉〉ってめちゃめちゃって偉そうな名前やと思てん。権威とかそんなのはあまり好きじゃないので、みんなに侮ってほしいなぁと〈保山ちゃん〉〈保山ぴょん〉とかを考えて。字画を考えたら、ひらがなの〈ひ〉、カタカナの〈ャン〉が一番いいとわかった。〈ひ〉だけひらがななんやでと言える人の優越感がほしいってのも満たしてるし。
──山本(精一)さんと出会うのは?
保山 86年6月1日のGATE3。山本くんはアシッド・マッキー&コンビ・アンド・ゾンビで出てたんかな。ボクは「ヒロノミヤ」って名前でパフォーマンスして。そのとき、すごくほめてくれてん。ボクのことを面白がってくれる人がおるんや、と。で、ベアーズに出るようになる。
──ベアーズに初めて行ったのは?
保山 憶えてないねん。当時、エッグプラントやアウトクラブなんかによく行ってて。アウトクラブでも企画いろいろやらせてもらってたから。でも、山本くんがベアーズをやってくれたおかげで自由に何でもやれるようになったってのはあったね。ほかは借りてやるから何しても怒られへんかったけど、一応どんなことやるかは事前に伝えとかなあかん。それを何の打ち合わせもせずにやれたのはベアーズだけだった。『死ののど自慢』(88年9月9日)は、出演する人がうたいたい歌をうたうんやけど、その伴奏は全部ノイズやねん。演奏してくれたのはPCCBHSやった。
『ゴールデン保山』(92年11月2日)は、内容のメモが残ってるからそれ見てもろたら、どんだけしょうもないかがわかる。本を手探りで触って内容を言い当てる「本の内容は何じゃいな?」……「ノイズ・イントロ当てクイズ」「シリ取らず歌合戦」「透視能力者に贈る下着ファッションショー」……普通に服を着た人が出てくるだけなんやけど。「ビデオ&レコード鑑賞会」はそれぞれビデオテープ、レコード自体を見て鑑賞すんねん。大喜利には「ベンベン」をやるとか「霊感ヤマカン大駱駝艦」とか意味のない……こういうバラエティショーをやらせてくれるのはベアーズだけだった。ベアーズには客として行ってて。適当な頃合いで「そろそろ何かしませんか?」という話をもらって、いつもどおりキチガ………ボク好みの人たちが集まるイベントをやって、というパターン。けど、ネタが尽きてきて。しかもボク好みの人たちでは客を呼べへんねん。そやから、集客にいつも困ってた。あまりに困り果てて、終わりにする。ボクの企画は客を呼べないので有名だった。
──80年代の終わりの頃になるのかな。お母さんがやってたカラオケ・スナック「ニーナ」でも保山ファンが集まってライヴとかやってたよね。
保山 鼻唄ライヴやね。カラオケ用のマイクしかなかったけど、duppi、カジモド、グルジェフとかがライヴやってんねん。
──そういったいろんな活動をしてるうちに、観客として有名になっていく……。
保山 安田(謙一)くんが『オンステージ』って雑誌で「ヘンなことしかしないヘンな男」とボクを紹介してくれた。その取材の中で「今後は観客として有名になりたい」と言ってる。それがカタチになったというか……。
──モダンチョキチョキズへ参加するようになって、デビュー前には『保山宗明王告別式(生前葬)』(91年9月10日)も行われる。この日、ベアーズは満員でしたね。〈ゴミの日〉パンフによると動員130人と記録されてる。
保山 そうやったっけ。とにかくほかの〈ゴミの日〉イベントは大勢客が来てたからな。
──モダチョキのアー写でもいつも目立つ位置に写ってるし、2枚目のアルバム・タイトル『ボンゲンガンバンガラビンゲンの伝説』なんて保山の持ちネタだったんじゃないですか?
保山 「ボンゲンガンバンガラビンゲン」は普通にパフォーマンスでもやってた。それが面白かったんやろな。2ndアルバムのタイトルが『ボンゲンガンバンガラビンゲンの伝説』に決まったって話を聞いて。アルバム用に3つくらいストーリーを書いた。失われた戯曲…ストーリーというのをコンセプトにして。バンドとしても一番ノリに乗ってる時期だったん違うかな。「ここはもうちょっと抑えましょ」もない時期やったからね。フィリップくんにヌルピョン、ケン(スギサキ)くんとか当時のヘンなヤツらばっかり集めた大阪臭があってんやな。けど、レコード会社が絡んでくると、そうはいかんようになる。歌詞をいろいろ変えさせられたり。そもそも「ボンゲンガン──」なんて子どもの頃からの口癖やってん。
──ダダ的やと思ってる人もいるんじゃないですか? 「ボンゲンガンバンガラビンゲン」は語感からしてアヴァンギャルドやよね。
保山 意識はしてないけど。「アオアオ」はニーナの鼻唄ライヴの時に、店のスツール…回る椅子に座ってたら、ミック(宮川)に回されて「アオアオ」って言うたんが最初。意外とその時もウケたからね。
──「アーベン、イーベン、ウーベン……」はドイツ語ぽいし。
保山 ドイツの演説調で言うてる。「アバボゲガ」はめちゃ怒ってる人みたいな感じ……。
──モダンチョキチョキズは95年1月17日の阪神・淡路大震災で公演が中止になってケチがつくんでしたっけ。
保山 94年11月に3rdアルバム『くまちゃん』が出て、北海道〜九州回る全国ツアーして、東京と大阪だけ〈さようなら くまちゃん〉公演をしてファイナルを迎えるはずだったのに。ドラマシティ公演当日の朝に地震が起きた! 公演は中止になって。その後、イチから出直しツアーってライヴハウスツアーをやったりするんやけど、ベアーズではできなかった。そのとき、メンバーはほとんど東京の人になってたから。ボクのテイストがいっぱい出る構成やったんやけどね。
──モダチョキの後はアイドルイベントを始めますね。
保山 ベアーズは何でもありやけど、アイドルイベントは一回もやってなかった。それで宍戸留美を呼ぶ(95年11月12日)。キチガ……ボクの好みでは客入らへんし、で、つぎ何やろうと考えて思いついたのが、アイドルイベントだった。ずっとアイドルイベントには行き倒してたんで。で、知ったのは、アイドル活動したいのに、その場がないとか、オリジナル楽曲がほしいのに提供者がいない……そんなことで悩んでるコが多いってこと。誰もやらないなら、ボクがやろうと思った。ライヴに出るのにノルマがあったりオーディションがあったりするのもイヤだったので、アンデパンダンに出たい人は誰でも出れる場を作ろうと。
──おおっ! で、2010年8月始まるのが『10 minutes』やね。
保山 少年ナイフとか長谷部(信子)ちゃんとかミュージシャンの友達を総動員して楽曲提供を頼んだり、安齋レオさんがグッズを作ってくれたりした。めちゃめちゃ楽しかった。いずこねこ、マジカルエミちゃん、秋山衣梨佳とか……アイドルやシンガーさんは全員大好きなのに優劣つけなければならない……。毎回ツラかった。ボクは当日の司会進行役をやらせてもらって、無責任なボクの司会をうまくコントロールしてくれたぶっちょカシワギくんにもただただ感謝ですね。ベアーズのスタッフにもいろいろ苦労かけたんじゃないかな。
──考えたら、ゼロ年代前半の井野雅美あたりからアイドル路線に突入してたのかな?
保山 そうそう。井野雅美が出られへんときに丼野M美に出てもらったり。
──あ、ベアーズ20周年のときにはベアーズ愛あふれる「ベアーズだいすき ハリタラシ」ってのを物販してたね。切り抜いて貼って遊ぼうってので。
保山 そうそう。これこれ!
──切り抜いて遊んではないけど、これは楽しそう。2007年11月頃のベアーズの空気がパッケージされてる。ところで、先日5月29日にはモダンチョキチョキズのシークレット・ライヴをベアーズでやったんでしょ。
保山 今年はモダンチョキチョキズのデビュー30周年イヤーやねん。
──30年前、中学生だったとしてもいまは40代?
保山 やから、できるだけ若い人に観に来てほしかってん。一般の人は呼んでないから、来てくれたのはメンバーから直接お声がかかった人だけ。ところが、「お母さん、呼びました」って。考えてたんとは違うもんになってしまった。で、8月7日に梅田クラブクアトロで『モダチョキ復活祭の逆襲』ってライヴをする。おかげさまでソールドアウトみたいやけど。今回の仕切りは初期メンバーの繪野有司さん。(濱田)マリちゃん、長谷部ちゃんあたりは出るけど、東京のメンバーは基本呼べないので、フィリップくんとかは出ない。(配信はこちらから)
──楽しみやなぁ。最後に保山ひャンにとってベアーズとは?
保山 最中(もなか)のようなもんやな。どういうことかはみなさん各自お考えください。
*メモ
- 嶋本昭三(1928-2013):現代美術家。具体芸術協会の創立メンバー。
- キマオロシ:薬草の名前とか。
- サンパル:JR三宮駅南東にあった複合ビル。三宮再開発のため、2022年5月閉館。
- かげろうレコード:1980年代前半、ヴィオラ・リネア、ハレイションズ、パッケージ、He Wasなどをリリースしたインディー・レーベル。代表は今村空樹。
- 藤本由紀夫:「音」を「かたち」に捉えたサウンド・オブジェを中心に、人間の知覚を喚起する作品を発表するアーティスト。
- 関本徹生:アーティスト/クリエイター。1980年代は青塗りパフォーマンスで活躍した。
- ロックマガジン:1976年3月〜1984年8月発行された音楽誌。阿木譲編集。
- アシッド・マッキー&コンビ・アンド・ゾンビ:マッキーはのちのササラマキヲ。ほかのメンバーは、山本精一(g)、ヒラ(b)、EYE(ds)。
- 死ののど自慢:通称:デスカラオケ。披露された曲は、なまさんが梅沢富美男「夢芝居」、エスカルゴがチャゲ&飛鳥「ひとり咲き」、横田佳美が欧陽韮韮「雨の御堂筋」、デビッド・ホプキンズが松田聖子「青い珊瑚礁」、ガンジー石原が麻生よう子「逃避行」ほか。情報源はエスカルゴ。
- ベンベン:上方大喜利のお題のひとつ。○○○のようで○○○でない〜ベンベン〜□□□のようで□□□でない〜ベンベン〜それは何かと訊ねたら、●●●〜で落とすという形式。
- ニーナ:大阪市中央区畳屋町の雑居ビルにあった保山の母親が経営するカラオケスナック。
- オンステージ:1988年9月〜1992年5月発行された月刊音楽誌。編集:SFC音楽出版/発行発売:少年出版社。山本精一×林直人両講師による「大阪ロッカーズ入門講座」なる連載があった大阪オンステージページを本欄石原が担当してた。
- 安齋レオ:玩具プロデューサー。フルタ製菓とコラボした玩具菓子「20世紀漫画家コレクション」が大ヒット! 大学の同級生はアリス・セイラー。
- ぶっちょカシワギ:千日前・味園ビルにあるイベントスペース「白鯨」「紅鶴」などを経営する実業家。サブカルチャー全般にくわしい。