LADS Gallery 大阪 莫大小会館で(2021年11月14日) Photo by Shunsuke Nakanishi

ニコニコアート倶楽部 リターンズ01

物質を解放する女人 細馬千佳子

by 塚村真美

ギャラリーの床に広げられた白布が花道のように見える。その上に水平に置かれたロール状のラミネートフィルム。ギャラリーの奥から、白いシャツ、白いパンツ、裸足の女人が現れ、絵の具の入ったガラス瓶を配置して、袖にはけた。
一拍おいて再び登場。しゃがんで瓶を手にとり、勢いよくシェイクして、おもむろに立ち上がる。瓶を持った右手をすっと挙げて伸び上がったかと思うと、一気に、絵の具をフィルムの上に注ぎ落とした。
すっかり落とし終わると、その上にもう一枚フィルムを被せ、絵の具を閉じ込めた。
今度は、天井から垂れた紐をぐっと引き、紐の先につながれたフィルムを引っ張り上げる。垂直にぶら下がったフィルム。中で絵の具が下に移動し、やがて真下に滴り落ちる。
落下点には正方形のキャンバスが配置されている。回転台の上でキャンバスをくるりくるりと回しながら、スッとずらしながら、滴下する絵の具でラインを描いていく。
ひとしきり描くと、バシッと手でストロークを打ち込み、絵を描き終わった。拍手が起こる。

〈細馬千佳子 ―物質の解放―〉 ART RAINBOW PROJECT 2018 ドイツ・ロストック建都800年記念オープニングライブパフォーマンス, 2018年11月9日, ロストック市立美術館 (ドイツ)

 

画家・細馬千佳子の作品〈物質の解放〉のライブパフォーマンスは、基本的にこんな感じ。記者は2019年と2021年の2度、その場に立ち会った。

横軸からの縦軸、そして円運動。筆を動かすわけではなく、滴り落ちる絵の具をキャンバスに受けとめて、キャンバスを動かすことで描いていく。切り絵の芸人が、ハサミを動かさず、紙を動かすように。意思をもって描いていくが、同時に、重力による滴下、その時間の軌跡でもある。レコード盤に針で音楽を刻むような。

こんな描き方、見たことない。
かっこいい。おもしろい。しかもうつくしい。
いったい、この人はいつからこんなことをやっていたのか?
お見かけしたところ、記者とは同年代。同年代の画家には、たいてい80年代か90年代に出会っているが、なぜ長いあいだ知らなかったのだろう。記者が初めて作品を見たのは、2018年の個展だった。
2021年に自費出版した初作品集によると、初個展は2010年。〈物質の解放〉シリーズは2013年に始まっている。公開制作を始めたのは2016年から。

作品〈物質の解放〉が、どんなふうにしてできあがったのかも気になるし、細馬千佳子がいったいそれまでどうしていたのかも気になる。その二つの謎を知りたくて、話を聞きにうかがうと言ったら、細馬さんの方からやってきてくれた。

「滴下しながら描くというのは、いきなりバーンと生まれたわけではありません」と細馬さん。「ものごころついた時から絵は身近にあって」と語り始めた。これは長丁場になりそうだ。が、二つの疑問がいっぺんに解けそうだ。しかし、そんな昔にまで遡らなくてもいいのにと思いながら、記者は、細馬さんからいただいた分厚いクッキーをひとかじり、熱いコーヒーをすすって、椅子に座りなおした。

絵は徹底的に自由な世界

身近にあった絵というのは、家に飾られていた〈少女と孔雀〉の水彩画で、画家であり女学校の先生をしていた祖父が、娘つまり細馬さんのおかあさんを描いた絵。おかあさんが8歳の時に、おじいさんは亡くなったので、細馬さんはおじいさんを知らない。小さい時から絵の具は遊び道具で、絵を描くことは自由な世界に遊ぶことだった。
「絵を描くのは徹底した自由ですよね。何をするのも自由な世界。絵は自分のよりどころになっていたのかもしれない」

細馬さんは京都教育大学教育学部美術科に進んだ。それは、母親から、女性も仕事をと、教師の資格を取ることが条件という中での選択だった。しかし、1985年に卒業する頃は、資格を持っていても教員の採用がない時代。細馬さんは大手電器メーカーに就職する。専攻がデザインだったこともあり、宣伝部に配属された。
「仕事とアートは別と思っていました。パラレルに存在していて、仕事は川の流れのように、アートは火山の爆発みたいな。バランスをとっていたのでしょう」
仕事ではビデオ機器の宣伝を担当した。たとえばイメージフォーラムと組んでビデオカルチャーをつくっていくこと、それも仕事だった。
家では、その機器を使って映像を作った。水彩や油彩で自由に絵を描くように。当時は映像やインスタレーションの作品を発表している。

映像を作るのを止めたのは、1991年のことだ。
「〈ON  OFF〉という作品が最後です。ある日、展覧会場に自分の作品を見に行ったら、コンセントが抜けていて、ずっとオフ状態になっていた。えっ!と思った。なんかリセットされた感じがあった。我に帰ったというか。それから、映像を作らなくなった」
やがて結婚、出産。仕事も、アートも、家事も、子育ても全部できると思ったが、そううまくはいかない。10年続けた仕事を辞めた。それでもアートは生まれてきた。家事や子育てとアート、「日常と非日常のパラレル」という暮らしの中で、「もう一度ゼロから始まった」という。「絵を描く」ことで自分の中に何人たりとも踏み込めない「徹底した自由」があることを見た。

〈ON OFF〉 ビデオアート インスタレーション, International Contemporary Art AU Exhibition, 1991年, 東京都美術館(東京)

封に始まる

2006年。ある夜中、ふっと絵を描きたい衝動にかられた。が、紙がない。部屋にラミネートフィルムがあったので、そこに絵の具で描いてラミネーションをした。
「取説に、やってはいけませんと書いてあることをやった。描いた色がつぶされていくのが面白くて、延々とやった」
続けていくうち、最初はA4サイズのフィルムだったのが、物足りなくなり、業務用の大判ロールを手に入れ、アクリル絵の具や油絵の具など、いろんな素材を試しては、絵の具を閉じ込め、封をしていく。描いた色はラミネートされて元の形状を失っていく。
「今までにないものを見たかったんでしょうね」

今までにないものをつくる

今までにないものを見たかった?それは具体美術協会、GUTAIのリーダーだった吉原治良のことば「今までに見たことのないものをつくれ」と同じではないか。いったい、その精神はどこから?
そうだ。京都教育大学教育学部美術科といえば、GUTAI創設時のメンバーの一人であり、吉原亡き後もGUTAIの精神を引き継いでいた嶋本昭三が教えていた大学だ。嶋本先生のゼミだったのか?
「嶋本先生のところだと就職できません(笑)」
今でこそGUTAIといえば、世界的にも評価が高いが、当時は異端の前衛として偏見をもって見られていた。それも一時代前の終わったものだと。80年代の教育大生が距離を置くのも無理はない。
嶋本先生に習ったのは1〜2回生の一般教養だった。
「いちばん初めの授業が、『今まで見たことのない作品を持ってきなさい。以上』。で、解散なんですよ。30秒もかからない」
京都教育大学出身の画家ってあまり聞かない。だいたいが学校の先生になるイメージがある。
「先生の晩年、言われました。教育大でいろんな生徒がたくさんいてるのに、絵を見せにくるのは、君ただ一人だと」
細馬さんは在学中も卒業してからも、甲子園にあった嶋本昭三のアトリエ「アートスペース」を訪れていた。

友人に嶋本先生のゼミ生がいて、一緒にアトリエについて来て、というので同行して以来、先生の展覧会やイベントを手伝うようになった。嶋本のアトリエは甲子園口にあり、その近くで生まれた細馬さんにはなじみの土地だった。アートスペースには個性的な人々が集まっており、一人で訪れるにはちょっとパワーが要る。
アバンギャルドもアールブリュットもメールアートも区別することなく存在していたアートスペースに、細馬さんはひかれるものを感じていた。
やがて、嶋本が中心になって活動していた「AU」が行う現代美術の国際展に参加。以降、次はこんな展覧会があると連絡が入るようになった。「絵を描くことの糸が切れなかったのは、連絡があって、出品し続けていたから」と細馬さんは言う。

ラミネートフィルムに絵の具で描いて封をするという作品を現代芸術国際AU展に出品したのは2009年。2010年のAU展の作品は旧神戸生絲検査所での展示だったが、この時、絵の具を閉じ込めたフィルムの長さは、なんと1キロメートルで、写真を見ると、会場にフィルムが山盛りになっている。同じ年、初個展を開催する。

〈Work 2010〉 International Contemporary Art AU Exhibition, 2010年,  旧神戸生絲検査所(神戸)Photo by Yoshiko Yamamoto

遅咲きのギャラリーデビュー

その頃まで、発表はするけれど、純粋に描くことだけをしていた細馬さん。
「先生のところへは、驚かせたいから絵を持っていく。がんばってるなあとは言ってくれるけど、よいとか、見たことないとかは言ってくれない」
アーティスト嶋本昭三には、弟子という呼び名がふさわしいアーティストたちが存在するが、細馬さんは弟子というより生徒という感じか。
「嶋本先生は私にとってやはり教授です。質問をするときちんと教えてくださる。それが、ある時、絵を持っていったら、ものすごく怒られた、『もう、ええ加減にせえ』と。『ともかく自分で責任を持って個展をしてみい。自分の作品がかわいいかわいい、私の世界なのよ、大事なのよ、誰にも売らないとか言ってるようなら、ここへ来るな』」と。

来るなと言われたが、懲りずにまた絵を持っていった細馬さんに、嶋本教授は、「ギャラリー嶋ノ内」を紹介してくれた。遅咲きのギャラリーデビュー。GUTAI作家の鷲見康夫などを扱う画廊で、ギャラリストから、誰にも真似のできない技法が必要だと求められ、自分にしか描けない絵を探る葛藤が続いた。

〈Work 2013〉2013年, ギャラリー嶋ノ内(大阪 心斎橋)

封を開く

2013年、恩師の嶋本昭三が亡くなる。GUTAIの評価は世界的にも高まっていた。ニューヨークのグッゲンハイム美術館で、大々的なGUTAI展が行われたのもこの年。会期を合わせて、GUTAIチルドレンともいうべき具体に影響を受けたアーティストを集めた展覧会が、アメリカのアレンタウンにある旧タバコ工場で開かれ、細馬さんも出品した。

現場で制作して発表するとなるとハプニングが起こりがち。その時も、急に展覧会の期間が早まって、絵の具が乾かないうちに展示することになった。
「プルシアンブルーの絵の具をフィルムに閉じ込めて垂直にぶら下げる作品でした。フィルムの中で、点が線になって、面になるという、大きな作品を展示してたら、乾いていないから、点が線になって面になって、下にどわーっと絵の具が垂れた。やってもうたな、と。でも面白いな、と」
すると、展覧会の企画者のグレゴリー氏がやってきて「誰だ!この青の作品をつくったのは!」と叫んだ。「私だというと、走ってきて、ハグされて、『すばらしい』って言ってくれた。『今、この瞬間が描かれている』と」

その時、オフの逆、つまり、オンになった、と細馬さんは言う。腑に落ちたような、許されたような気がしたと。「封をしていたのが開いて、漏出して、このシリーズが急に展開しはじめました」

点 線 面 〈 Work 2012-14〉部分 , 2012年

〈漏出〉アーティスト イン レジデンス OBAMA, 2013年, 旧芝田邸(福井 小浜)

その後、旧酒蔵、商家など展示の機会を得られる場所で現場制作を続けた。
「その土地の記憶が作品に滑り込んでくる感覚があります」
漏出した絵の具が滴下して、次の展開ではキャンバスに受けとめ、その次の展開ではそれをずらし、その次に回転を加えた。2014年、丹波篠山でのアートフェスティバルに参加した時、与えられた会場は古丹波の壺や能面が展示してある資料館だった。壺をつくるロクロを使ってみた。絵の具が落ちてきて、キャンバスを回転させた。
「描かれた瞬間、自分の中に笑いが起こったんです。面白い。絵の具がどこに落ちてくるかわからないという制御できない部分と、自分が手を動かしてラインを描いていく、そのせめぎ合いが面白くて楽しくて、驚きがありました」

物質の解放〈Work 2014.9.21〉Historic Street Art Festival in Tamba Sasayama 2014,  2014年, 電燈舎(兵庫 丹波篠山)Photo by Shunsuke Nakanishi

初のライブパフォーマンス

初めてのライブパフォーマンスは2016年。それまでは現場で制作するといっても一人かせいぜい関係者が見守る程度だった。公開制作をすることが条件という展覧会の話を、悩んだ末に受けることにした。
「制作過程を人様に見せるのは抵抗がある、私はパフォーマーではないと、松谷武判さんに言ったら、それは違うと言われました。公開するもしないも、制作の行為としてあるんだから、見せることになんの抵抗があるんだ、とバッサリ」
最初からパフォーマンスをしようと思っていたわけではなかった。松谷さん、展覧会のプロデューサー、そして制作風景の一部始終を撮影してくれていた写真家、その3人から、制作過程に興味があると言われて、パフォーマンスがスタートした。その時に初めて、つくる段階すべてが作品になった。
「時間がかかってめんどくさい人間なんです」と言うが、すごい大物に相談するんだな、この人は。

翌2017年、「芦屋市展」に出品した。初めて自ら積極的に参加した公募展だった。「審査員に今井祝雄さんがいて、今井さんにならわかってもらえるかなと思ったから」と。芦屋市長賞を受賞した。

〈Work 2017-R100〉〈Work 2017-B100〉第64回芦屋市展,  2017年, 芦屋市立美術博物館(兵庫 芦屋)Photo by Shunsuke Nakanishi

手を打ち込むアクション

公開制作をすることで、それまでの作品とは違ったことが生まれた。それは最後の一筆というか、一打ちというかのアクションだ。
「公開制作をするというのは、一人で制作しているのとはちがって、制作する私がいて、見ている人がいて、作品がある。その三角関係ができますよね。どうもドイツあたりからおかしいんですよね」
2018年、ドイツのロストック美術館で行った公開制作で初めて手が入ったという。
「ものすごく集中して見てくださっていた。静かに制作できた感覚があって、静かに垂れる絵の具の先の一点を集中して見ている。画面を触ってはいけないと決めていたわけではないけれど、画面と自分のあいだになんとなく結界のようなものを感じていたのが、その瞬間に思わず手が入ったんです。なんだったんだろう?瞬き的なものです。それで破壊するという意味はありません。茶道でいうなら、コンと茶杓をお茶碗にあてるような、切り替えのような」
作品と鑑賞者と作者とのあいだで、何かシンクロが起きることがあると細馬さんは言う。公開制作をしながら、「不思議なんですけど、そこで流れる、何かシンクロするものをつついているような気がします」

しかし、記者は思いきって聞いてみた、あのアクションは要らないのでは?と。見る人によって受け取り方はちがう。2021年の公開制作の際、記者としては終わった、と思った。が、絵の具の溜まりを細馬さんがかき分けるように大きなストロークを描いた。それに、2019年の公開制作でも、出来上がったと思ったとたん、バンっと手が入った。その際に、会場にいた今井祝雄さんの顔を記者は見逃さなかった。今井さんは納得していないように見えた。
「今井さん、あの手は、『濁った』とおっしゃいました。あかんとも、言われなかった。『あれは』とだけ言って、口をつぐんで首をかしげはりました。あれは結界なんだと思います」

〈Work 2021.11.14〉2021年, LADS Gallery 莫大小会館 (大阪 中之島)Photo by Shunsuke Nakanishi

無作為の落下と、人為的なアクションがキャンバスの上でせめぎ合う。そこに人の視線と意識が集まる。その結界をどう治めるのか。〈物質の解放〉シリーズは、細馬さんが生きている限り、動きつづけていくように思う。今後も見逃さず、制作の現場に立ち会いたいと思った。

エピローグ

二人ともコーヒーを飲むのを途中で忘れていた。紅茶でもいれますか、と立ち上がると、細馬さんは一葉の写真を裏返してテーブルの上に伏せた。
これ、おじいさんの描いた〈桃咲く〉という作品なんです。この作品を知ったのは2014年丹波篠山の後なんですが。どう思います?
どれどれ。記者は絶句した。これは! 細馬さんは驚愕のあまり倒れ伏したという。
興味のある方はこちら(呉市立美術館 収蔵品検索へ)を参照ください。
呉市立美術館 収蔵品検索より 長田健雄〈桃咲く〉

(2021年12月27日,「花形文化通信」編集部にて取材)

 

ドイツのロストックでの展覧会「“Spurenelemente”und “Trace elements”」に、2018年11月9日ロストック市立美術館で公開制作した作品が展示された(会期は〜1月9日終了)。終了後も会場風景が見られるバーチャル美術館はこちら

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