ダクソフォンという楽器をご存知でしょうか? ボックスに取り付けたいろいろな形をした木片(タングと呼ばれる)を弓でこすることによって、まるで動物か人間の声のような面白い音が出る。2011年に亡くなったハンス・ライヒェル氏が発明したこの楽器を、文字通り「引き継いだ」のが、即興演奏の第一人者として知られる内橋和久さんです。そんな内橋さんが、11月22日にアルバム『Singing Daxophone』を発表。なんと、ビートルズ、クイーン、デヴィッド・ボウイ、ルイ・アームストロングなどのヒット曲を、すべてダクソフォンのみで演奏したという前代未聞の作品集です!ものすごくヘンテコな音。それでいて軽やかで聴きやすい音楽。めちゃくちゃ楽しい! 構想10年、録音100日というこのアルバムをぜひ多くの人に聴いてもらいたい。そんなわけで、さっそくお話を聞いてまいりました。(丸黄うりほ)
ダクソフォンが軽妙に歌いまくる!新作『Singing Daxophone』
——内橋さんにはうかがいたいことがたくさんあるのですが、まず11月22日発売の新作アルバム『Singing Daxophone』のことからお話を聞かせていただこうと思います。
内橋和久さん(以下、内橋) 『Singing Daxophone』は、ずーっと昔から作ろうと思ってたものが、やっとできたという感じですね。
——内橋さんのダクソフォンのアルバムとしては、これが2作目になるのでしょうか?
内橋 そうですね。前作の『Talking Daxophone』は、ダクソフォンという楽器のベーシックな音ですよね。あんまりいろいろしないで、生っぽいプリミティヴな形で、どんな音がこの楽器から出るのかっていうところに焦点を当てました。この楽器ってしゃべるように演奏できる楽器だと思っていたので、タイトルにトーキングってつけたんです。
それで、『Talking Daxophone』を作ったときから、トーキング、シンギング、ダンシングのダクソフォン三部作を作るつもりでいました。今回の『Singing Daxophone』は、その二つ目です。ダクソフォンに、歌わせようって話です。歌といえばメロディーってことになる。そこでせっかくだしカバー曲をやってみようかなと思いました。いわゆる僕の好きな洋楽ばっかりですけど、それを選んで、この楽器だけの音でアンサンブルを作ってみるっていうのを考えた。
——前作の『Talking Daxophone』は2017年に出ていますね。しゃべっている声みたいな音もある、鳴き声みたいな感じ、叫び声みたいな感じの音も聴けて、とにかくダクソフォンが出せるいろんな音が聴けるアルバムだと思います。
内橋 そういうことですね。ですから、どの曲をどのタングで演奏しているのかを1本1本写真入りでジャケットに書いてあります。
——『Talking Daxophone』は27曲入りですけど、どれも違うタングを使っている?
内橋 17本のタングを使っています。同じタングで4曲、3曲と演奏しているのもありますが、曲によってほぼ違うものを使っていますね。
——ということは、ダクソフォンの音見本的なところもありますよね。
内橋 そうですね。でも、ダクソフォンが出せる音はもっといっぱいありますよ。ここではとりあえず自分がよく扱っている、使い慣れている、気に入っているタングを選びましたけど。
——私はダクソフォンの音が大好きなんですけど、『Talking Daxophone』のほうは、聴き慣れない人にとってはいささかアバンギャルドかもしれないですね。
内橋 これ何ですか?って言われますね。これって音楽ですか?って。
——音楽というより音、という感じ。
内橋 でも、もともとそうじゃないですか。音楽なんてのは音からなるもので。一番大事なのは音色です。
——音色そのものが聴ける。
内橋 そうそう。いわゆるこの楽器の素の感じでね。だから、1作目にはこういうのを出すのがいいかなと思いました。
——そして、今回の『Singing Daxophone』の構想は2017年にはすでにあった。プレスリリースには構想10年、録音100日という言葉もありましたが。
内橋 こういうことをやりたいとずっと思ってたんですけど、なかなかやっぱり技術の問題もあるし、すごく時間がかかるから。ぱっぱっぱとはできないんですよ。ここ3年くらいかな、ちょっとずつ手をつけはじめて、最初に2、3曲やってみたんです。それから最近になって、一気に曲数を増やして。
このアルバムに収録した以外にもいっぱい録ってあるんだけど、入れてない曲もあります。マイケル・ジャクソンとかも録ってみたんですけど、難しくてね。この楽器ってやっぱり音階も限界あるし。
あと、今回の『Singing Daxophone』に関していうと、これらの歌をもともと歌っている歌手がいるじゃないですか。その人たちの声に焦点を当てているので、この声にはどのタングがあうのか、近いサウンドが出せるのかっていうのが、とても難しかった。
——内橋さんの前作やハンス・ライヒェルさんの作品などを聴いて、ダクソフォンという楽器のイメージをある程度もっていた私のような者にとっては、『Singing Daxophone』は逆に驚きでした。曲目リストにヒット曲やスタンダードナンバーが並んでいるので、これはもしかしたら聴きやすいのではないかとは思っていたのですが、実際に聴くと予想以上にポップ。ダクソフォンはこんなこともできるのかと。
内橋 これがダクソフォンの音だって気がつかない人もいるかもしれんね。
——そうですね、もしこれがBGMとして流れていたら……。
内橋 音は変だけど、でも知ってるよなこの曲、みたいな感じで(笑)
——知っている曲が、なにか変わった楽器で軽妙に演奏されているという感じでしょうね。
内橋 これってなんか面白い音だな、何の楽器かなって思ってもらえればいいかなって思う。そういう意味では、みなさんが知っている曲をやるっていうのはまあひとつの方法じゃないですか。それがきっかけでこの楽器を知ってもらうということがありうる。前作だと、わけわからん、で終わるかもしれないけど。
——この2作の印象の違い、飛距離がすごいと思います。
内橋 この楽器でもこのくらいのことができるんだってことがわかるってもらえる。僕の技術が上達したからできるようになったというのもあるけど。でも、録音するのに何回も弾きましたけどね。
——この音は全部ダクソフォンで鳴らしたものなんですよね?
内橋 そうです、ダクソフォン以外使ってない。
——ダクソフォンを多重録音したのですか?
内橋 そう。弓で弾いたり、叩いたりいろんなことしている。
塚村編集長(以下、塚村) ほかのリズム楽器の音も入っているのかと思いました。
内橋 ダクソフォンだけ。それは徹底してやりました。
——すごいですね。聴いてみるとバイオリンかな、民族楽器かなとか……
塚村 犬が歌っているのかなとか……(笑)
内橋 ま、いろんな楽器の音に聞こえますよね。奏法を変えることで、そういうふうに聞こえるように鳴りますね。
最初にとりかかったのは、ビートルズの「エリナー・リグビー」
——『Singing Daxophone』の魅力は、選曲にもあると思います。
内橋 自分が好きな曲や、影響を受けたものですね。そのなかのスタンダードです。それと、この楽器でこれをやってみたら面白いんじゃないかなというのを選んでますね。でも、やってみたらイマイチかなっていうのもありましたし。やってみないとわからないんでね。
——ちなみに、最初はどの曲から取りかかったのですか?
内橋 最初は「エリナー・リグビー(Eleanor Rigby)」ですね。ビートルズは絶対やりたいと思っていたから。でも、ビートルズはいい曲が山ほどあるんで、どれにしようかなと悩んでいたんですが、この楽曲のリズム的アンサンブル的な面白みが、たぶんこの楽器でやるとより面白いんじゃないかなと思って。ビートルズの曲のなかから、あんまりこの曲を選ぶ人はいないと思う。というのは、超スタンダードばかり集めますよというのでもないんですよ。やっぱりこの楽器との接点というのを自分のなかで感じたものを選んでる。
——ビートルズはほかにも候補があったんですか?
内橋 いっぱいありますよ。普段ライブでもよくビートルズの曲やってるんです。もちろん普通にはやらないけど。全曲ビートルズで何枚組でも作れます。そのくらい好きなんですよ。
でも、ダクソフォンでカバー曲をやるのは、時間がないとできないんですよ、ちょっとやって置いといてって感じではないんで。やるときはある程度まで弾いておかないと。でないと音が変わってしまうから。
——え?音が変わってしまうとは?
内橋 その都度タングを選んで弾いてるでしょう。パートごとにタングは変えるんです。途中からやり直そうと思っても、どのタングで弾いていたか覚えられないんですよ。前のタングがわからなくなって結局音が変わってしまう。だから、ある程度このパートはこのタングで全部弾き終わっておく、ということをしないと。一個一個覚えてられない。メモはしますけど、この歌手に使ったのはどのタングっていうくらいのメモしかしないし。
——同じタングならいつも一定の音が出るんですか?
内橋 天気にもよります。
——木でできてるんですもんね。
内橋 湿気ちゃうんでね。湿気ると音だめなんです。出ない音域が出たりとか。もとはドイツの楽器なんで、向こうは乾燥しているでしょう。日本みたいに湿気多いところに持ってくると音が鳴らないようになったりする。
——そういうことよく聞きますよね、たとえば竹の楽器とかも。
内橋 竹は逆ですよ。湿気がないとダメでしょ。
——ニューヨークに持っていったら割れたとか。
内橋 尺八の人とか濡らしたタオルを持ち込んでずっと濡らしたりしていますよ。でないと、ぱかっと割れたりするんですよ。
——その逆パターンがダクソフォンには起こるということですね。湿気が多すぎると……
内橋 色なんかも変わりますもん。ギターでもそうでしょ。空気が通るようなラッカー塗装がしてある楽器は雨が降ったら木の部分が黒くなります。あれ、全部湿気吸うんですよ。
——そういうのもあって、いっぺんに録ってしまわないとならないってことなんですね。
内橋 まあ自分が忘れてしまうんですよ。なるたけ、手をつけたら早めにそこそこ仕上げる状況まで作らないと。
うまく歌えた「この素晴らしき世界」、一番時間がかかった「キラー・クイーン」
——『Singing Daxophone』には、ビートルズをはじめとして13曲入っているわけですが、ご自身が楽しかったとか、仕上がりに満足してらっしゃる曲は?
内橋 もうそれは一番最後の曲ですね。
——「この素晴らしき世界(What a wonderful world)」、ルイ・アームストロングですね。
内橋 これは大満足しているんですよ。素晴らしいなと思って。自分で言うのもなんだけど。もちろんいい曲なんですけどね、うまいこと歌えたなと。
——うん、歌ってますよね(笑)
内橋 あれはいいタングがみつかったなと思って。
——本当にいい曲なんだけど、くすっと笑えるところもあって(笑)
内橋 そうでしょ、この楽器はそれがないと面白くない。おかしいですよね、ちょっととぼけたところがある。
——そこがまたいいんですよね。にまっとしてしまう。1曲目のジェームス・ブラウン「アイ・フィール・グッド(I Got You)」も鳴り出すといきなり笑顔になってしまいます。メインボーカルのところもいいんですけど、コーラスのところが、もうなんかたまらん感じ。
内橋 コーラスパートも重要ですからね。
——ご自身として、ほかにはどうですか?
内橋 いやもう全部好きなんですよ。クイーンもなかなかでしたね。クイーンやろうと思って、最初に「キラー・クイーン(Killer Queen)」にしようと思ったけどできるかなとも思った。難しいから。音階も難しいし。何回も録りましたけど、これが一番時間かかった。ギターで弾いても難しい曲だからね。
塚村 何回も録るっていうのは、たとえば歌のパートだったら通しで録って、また頭からやるんですか?
内橋 それもあります。それでいいとこだけ取ったりもあるし。総合的に細かいパッセージってダクソフォンは弾けないんですよ。細かく音程が変わる、急に音程が変わる、音が飛ぶっていうのは難しいので。
——でも、「キラー・クイーン」は飛んでますよね。超絶技巧。
内橋 部分部分を録って、後でくっつけるっていうか。でないと無理なんです。跳躍は難しい。基本的に音階楽器じゃないんで。手の加減だけで音程がかわる。ギターみたいに押さえたらこの音が鳴るっていうんじゃないんで。フレージングなんかでもいっぺんに弾き切れないものが山のようにあって、それは何回も録ってクリアした部分を集めるっていう。それだけだとうまくメロディが流れないときもある。
——個人的な好みでいうと、ルー・リードの「ワイルドサイドを歩け(Walk on the Wild Side)」がたまらんかったです。
内橋 世代的なものもあるかもわからんけどね。
塚村 世代的に響く選曲でもありますね。
内橋 みなさんそうでしょう。自分が多感だったときにどういうものに出会っているのか。いまの若い人はあんまりわからんかもしれんけどね。それでもスタンダードになるような楽曲を選ぼうとはしました。
このなかで、一曲だけ歌ってないのがあります。ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように(Comme à la radio)」。メロディはトランペットが吹いているんですよ。アート・アンサンブル・オブ・シカゴっていうフリージャズの人がバックバンドなんだけど、ブリジット・フォンテーヌはしゃべっているだけなんです。だから、今回彼女のパートはやっていないんです。
——意外とロックが多く選ばれていますね。
内橋 もともとそうですよね、小学校の5年生くらいでビートルズに出会ってから。そのまえにはリズム・アンドブルースに出会いましたから、そういうものばかり聴いていました。
このアルバムによって、ダクソフォンを知ってもらえたらうれしい
——今回の『Singing Daxophone』に、内橋さんのオリジナル曲は入ってないんですね。
内橋 うん、入ってない。1曲くらい入れてもいいかなと思ったんですけど、やめときました。またそれは別にやりますよ。
自分の音楽がどのジャンルっていう限定はしないんだけど、いわゆるジャズにはジャズ界というのがあるじゃないですか。でも、僕らジャズクラブに演奏しにいきますけど、ジャズやらないですよね。即興とかそんなのばかり。
即興って音楽の種類じゃないですからね。音楽の作り方なので、ジャンルではないんです。即興っていうのは一人一人みんなが違うことをやっているんで、ジャンルというなら一人1ジャンルって思ってる。即興を音楽の形式と思っている人もいるけど、それは違うんですよ。
——このアルバムには即興演奏はなくて、聞きやすいですね。初めてダクソフォンを聞く、ダクソフォンを知らない人にも。収録されている楽曲が好きだという人には、ダクソフォンの音色で演奏されるその曲を聴いてほしいですね。
内橋 そうだよね。それでちょっとでも多くの人に聞いてもらえたらうれしいなと思ってる。ダクソフォンって、もともとハンス・ライヒェルっていうドイツの音楽家が、僕の友人なんですけど、彼が発明した楽器なんです。ライヒェルっていうのはこの楽器を広めようとか、そういう欲がない人でね。もちろんこの楽器が好きな人は世界中にいっぱいいますけど、やっぱりまだ知名度がそれほどないんですよ。僕はせっかくの楽器、こんなに面白い楽器を、もっとみんなに知ってもらいたいと思ってて。そのための活動ももちろんしている、展覧会やったりとかいろいろしているんですけど。今回は、このアルバムによって、ちょっとでもダクソフォンを知ってもらえる機会ができたらいいなっていう、それは僕の希望なんです。
——『Singing Daxophone』は、ジャケットもすごくいいですよね。
内橋 香山哲さんです。
——今年6月に、大阪の千鳥橋にある「シカク」っていう本屋さんの周年イベントに行ったんです。そのときに、漫画家でイラストレーターの香山哲さんが、ドイツからZOOMでメッセージを贈られていました。
内橋 あ、そうなんだ(笑)
——それから香山さんのことが、ずっと気になってたんですけど。すごく人気のある方なんですね。
塚村 『ベルリンうわの空』は完結篇(「ベルリンうわの空 ランゲシュランゲ」)が出ましたね。
——香山さんがジャケットを担当されたいきさつは?
内橋 家族でファンなんですよ。そして仲良しなんですよ、ベルリンで。うちの犬の散歩も毎週してくれています(笑)
——そうなんですね!お二人ともベルリン住みの日本人同士ですよね。
内橋 よく一緒にごはん食べたりとかするんですよ。この作品を作るにあたって、ジャケット案はうちの奥さんに任せていたんですけど、彼女が香山くんに頼んでみたらどう?って言ってくれて、僕もそれいいなと思ったわけです。なかなかいいのできましたね。僕はすごく気に入ってます。
——香山さんの絵のとぼけ具合が、ダクソフォンの音のイメージとぴったりですね。可愛らしさもあるし不思議さもあるし。
内橋 表紙だけではなくて、アルバムの中にはもっとほかにも絵が入ってますから。
——香山さんのファンの方にも手にとってほしいですね。
内橋和久『Singing Daxophone』
イノセントレコード ICR-025
2750円(税込)
収録曲
1.I Got You (I Feel Good) : James Brown
2.(They Long to Be) Close to You : The Carpenters
3.Walk on the Wild Side : Lou Reed
4.Killer Queen : Queen
5.Space Oddity : David Bowie
6.Black Dog : Led Zeppelin
7.Eleanor Rigby : The Beatles
8.Hit the road Jack : Ray Charles
9.Comme à la radio (Like a radio) : Brigitte Fontaine
10.Bella ciao : Italian Partisan’s protest song
11.Scarborough Fair / Canticle : Simon & Garfunkel
12.No Woman, No Cry : Bob Marley and the Wailers
13.What a wonderful world : Louis Armstrong