昨年、2020年は、1770年ドイツ・ボンに生まれ1827年に亡くなった、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン生誕250年の記念すべき年だった。さまざまな行事が企画され予定されていたが、多くはコロナのために中止され、辛うじて、テレビで彼にまつわるプログラムが見られたのがメインになってしまった。やはり音楽は生の音を聞いてこそなので、この機会にどれだけ貴重な音楽会が催されたことかと思うと、もったいなく心残りである。しかし、2027年は没後200年に当たるので、その時に、今回の穴埋め以上のことがなされるように祈るばかりだ。
個人的には、これを機にもう一度おさらいをするべく、自分の蔵書の中から、ベートーヴェンに関する本をチェックしてみたら、1962年発行の音楽之友社の写真文庫、1964年の岩波新書、そして同じ年のみすず書房のロマン・ロラン著『ベートーヴェンの生涯』があった。
さすがに古いので、今回の250周年を記念して、最新の情報や写真入りの、コンパクトにまとめたムックでも出ていないかと、大阪の大きな書店を3軒当たったものの、期待したものはなかった。2冊ほど記念の年を当て込んでと思われるものはあったが、いかにもその年だけという作りで、何十年も持っていたいというようなものではなかったのである。(例えば、苦悩と闘う決意が彼自身の言葉で伺える「ハイリゲンシュタットの遺書」も、ほんの少ししか引用されていない――こういったものこそ、すべてを提示すべきなのに)
今年になって、2021年岩波文庫フェア「名著・名作再発見」として、上記『ベートーヴェンの生涯』を、そのまま片山敏彦訳で出していて、改めて名著であることを噛みしめた。というのは、昔のみすず書房の本にはカバーがかかっていて、その著者名は、「ロマン・ロラソ」となっていたからである。みすず書房ともあろうものが、これは確信犯ではないだろうか。本文の粗末な紙からすれば、カバーにはかなりいい紙が使ってあり、カラーも1色の濃淡だけだが美しい――世の中が貧しかったので、間違いに気づいてもこれで行こうということだったのではないだろうか、中身は名著なのだからと。(なお、この本には「ハイリゲンシュタットの遺書」が全篇入っている)
そのほか蔵書の中に、さらに2冊、アメリカで見つけた本があった。1冊は、”Masters of Music”のシリーズでBeethoven and The Classical Age (ベートーヴェンと古典時代)と題された、大判(B4)の、全頁カラーで、見開きで30項目(例えば、1789年の理想、ウィーンでのデビュー、音楽と自然、不滅の恋人、ゲーテとの出会い、ロマン主義など)にわたって、彼の生涯を辿るもの。彼の音楽が、その時代と社会においてどのような意味を持っていたのかが、パラパラと頁を繰って絵を見ているだけでも、なにがしか把握できる。そして丁寧に見ていけば、各項目の中でもまたいくつかの項目に分けて説明があるので、じつに読みごたえがある。
このシリーズは、日本語訳が出ていることをピアニストの知人に教えていただいた(ヤマハミュージックメディア刊)。私はアメリカで、他にバッハ、モーツァルト、ショパンを購入していたのだが、それらと、あとは『世界の音楽と人々』『ロックの世紀』『オペラのすべて』『ジャズの歴史』で、全8冊。原語版であるイタリア語から直接翻訳されていて、価値を認めてすぐ訳を出すというところは、さすが、取り入れることに素早い日本だが、8冊まとめて函入りで買うのは大変だろう。バラでも販売してほしかった。(2000年に2版となっていることからして、学校など団体購入がされたか。「ヴィジュアル音楽歴史書の決定版」という副題はいいとして、タイトルが『絵本で読む音楽の歴史』となっていて、「絵本」と名付けてしまったために、大人が読むに堪えることが伝わりにくかったのではないだろうか)
アメリカで英語版が出たが、そもそも同じスタイルのヴィジュアルブックはイギリスにあって、DK(Dorling Kindersley Ltd.)社からEYEWITNESS”(目撃者)シリーズとして各分野で出ている。すべて「百聞は一見に如かず」とばかり、絵や写真で構成されているが、文字による説明も詳しい。この中には、“Eyewitness Classics”もあって、例えば”Robin Hood”は、絵を見るだけで、ストーリィも、時代も、当時の自然、教会、弓術、そして、時代を越えた作品の評価(映画化作品なども)も把握できる。
私はいつもこれを見るたびに、日本で『源氏物語』のEyewitness版が出ないだろうかと思っている。五十四帖すべてのあらすじ、人物相関図といった作品に即した説明、そして広く当時の貴族の生活、住まい、衣服といったものから古典入門、歌の技法などの文学上の説明、また『源氏』から広がる源氏香や、重ねの色目、そして世界に広がる源氏などなど。最近『百人一首解剖図鑑』が出て、残念ながらフルカラーではないが、絵も情報も満載で、そろそろ源氏も…と期待しているのだが。
さて、ベートーヴェンに戻って、もう1冊の本は、Learn to Play Beethoven で、これもB4判全カラーである。見開きで、生涯のあらましが4回に分けて挟まっていて、変奏曲、ピアノ、オーケストラの解説も入っているが、他はすべて、彼の代表作25曲以上を簡単にピアノで弾けるように編曲した曲集である。そして、それぞれの曲には短い説明も付いている。これで、ちょっとピアノが弾けるようになれば、ベートーヴェンの曲をほとんど演奏できて、その全体像が少しはわかろうというものである。なんとすばらしいことだろう。
また、小さなコラムで、ベートーヴェンのソナタの作り方がいかに革命的であったかが、色と形のジグソーパズルのように説明してあるのだが、一目瞭然、これには感激した(上3つの青系統がそれまでのソナタ形式で、構成要素がかっちり決まった形に収まっていて、それがバラバラになり、再び収まる。一方、下3つの赤系統のベートーヴェンの場合は、いろいろな要素がバラバラに出てきて最後にまとまる)。この時、同じくモーツァルトの本も買ってきたが、その後、他の作曲家のも出たのだろうか。先ほどのピアニストの知人に、この2冊、ベートーヴェンとモーツァルトを見ていただくと、日本語訳が欲しいと熱望された。
ところで、CDを買おうとタワーレコードに行ったところ、ベートーヴェンをフューチャーしたA3判の冊子になった大きなチラシがあった。ベートーヴェンに関心がある人たちに配りますからと言って、何部かもらってきて、私の周りに差し上げたところ、若い人たちは、ベートーヴェンが鋭い表情で手を差し伸べている表紙を見た途端「浦沢直樹!」と声をあげた。Eテレの連続対談で、漫画家であることは知っていたが、絵を見ただけで、彼の筆致が分かるとはと若い世代の文化の存在に触れた気がした。
広げると、「果たして耳はどこまで聞こえていた?」など、生涯と創作の軌跡を辿って6つのエピソードを取り上げて紹介し、生涯の年表や、アーティストたちのコメント、星座別ベートーヴェンおすすめ曲、さらに、あなたに合ったベートーヴェンYesNoチャートまである。それから、100枚のCDの解説も。宣伝のために作成されたものとはいえ、なかなかよくできている。
日本で、あまり気が惹かれるベートーヴェンの本がないことを嘆いていたが、ひとつ面白い本を見つけた。『音楽家の食卓』と題された、11人のクラシック作曲家ゆかりのレシピとエピソードをまとめたもの。お料理の写真も、音楽家が足跡を残した現地の写真も、美しいカラーで楽しめる。著者は、ヨーロッパ各地で修業したシェフ、趣味がクラシック音楽鑑賞という方。
ベートーヴェンの項のお料理は5点、例えば「Rindfleischsalat nach Rheinischer Art (リンドフライッシュサラト・ナハ・ライニッシャー・アルト)」(牛肉のサラダ ライン河風)、この地方ならではの珍しい牛肉のサラダで、パーティなどでは必ずといっていいほど出るので、ベートーヴェンも、若き日ピアノを教えたブロイニング家で味わっているはずとのこと。デザートは「Pfälzer Rotweinkuchen (フェルツァーロートワインクーヘン)」(赤ワインのケーキ ファルツ地方風)、出身地ボンの郊外はドイツ屈指の赤ワインの産地で、この地域ならではの赤ワインケーキ、ワインのアルコールは抜けているので、子どもでも大丈夫――読むにつれ、写真を見るにつけ、舌なめずりしてしまいそう。味覚から楽聖を身近に感じるのも楽しい。
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生誕250年にあたり、NHKテレビの音楽番組で、視聴者から最も愛するベートーヴェンの曲についてアンケートをとったところ、予想通りというべきか、ナンバーワンは交響曲第9「合唱」だった。第4楽章の最後に、4人のソリストの歌手と共に歌う合唱「歓喜の歌」(タイトルは忠実に訳せば「歓喜に寄す」)が付いていて、一万人の合唱とかも行われ、参加した人も多くなじみもあるからだろう。人類の兄弟愛を歌うテーマ、幸福感に満ち満ちた曲想が、気持ちを大きく開放して、希望に向かうよう後押ししてくれるからでもあろう。そういえば、EU(ヨーロッパ連合)のテーマミュージックは「歓喜の歌」だそうである。まさか原語のドイツ語で歌うわけにはいくまいと思ったら、ラテン語の歌詞とのこと。
さて、本来のドイツ語の歌詞はシラーによるもので、じつは若いころの作。本人は、のちになって気に入っていなかったという。今回歌詞を引用した『やさしく歌えるドイツ語のうた』の著者は、「それにしても、シラーがベートーヴェンによる作曲を知らずに死んでしまったのは、かえすがえすも残念なことです。詩として読むと、確かに熱烈すぎて、ちょっとついていけないという気がしないでもない『歓喜に寄す』ですが、ベートーヴェンの音楽が加われば、これはもう、文句なしに感動的。シラー自身もきっと大いに満足して、自分の若書きの詩を見直したことでしょうに」と書いておられる。これは、ゴッホ展にいかに多くの人が馳せ参じるかを、売れない兄をずっと支え続けた弟のテオに見せたかったと思うのと、同じ思いである。
何しろ、ベートーヴェンは、シラーの詩に作曲することを思い立って、実現までに30年以上かかっているし、バリトン独唱の箇所など、自分で追加の作詩までしているほどだから、作曲者にとっても特別な思いを込めた作品だった。
さてこの歌詞のうち1節だけ、原詩のドイツ語と日本語訳をあげる。
Freude (フロイデ) , schöner (シェーナー) Götterfunken (グッターフンケン) ,
喜びよ、美しい神々の火花よTochter (トホター) aus (アオス) Elysium (エリューズィウム) ,
至福の国に住む娘よwir (ヴィア) betreten (べトレーテン) feuertrunken (フォイアートルンケン) ,
われわれは 燃えるような陶酔のうちにHimmlische (ヒンムリシェ) , dein (ダイン) Heiligtum (ハイリヒトゥーム) !
天上の喜びよ お前の神殿に登る!Deine (ダイネ) Zauber (ツァウバー) binden (ビンデン) wieder (ヴィーダー) ,
おまえの魔法の力が 再び結びつけるwas (ヴァス) die (ディー) Mode (モーデ) streng (シュトレング) geteilt (ゲタイルト) ;
時流に 厳しく 分け隔てられていたものをalle (アーレ) Menschen (メンシェン) werden (ヴェアデン) Brüder (ブリューダー) ,
すべての人々は みな兄弟となるwo (ヴォ―) dein (ダイン) sanfter (ザンフター) Flügel (フリューゲル) weilt (ヴァイルト) .
おまえの 優しい 翼のもとで
後になって、本人が高く評価しなかったというのは、大仰な言葉づかいや、「神々の火花」とか「燃えるような陶酔」などわざわざ造語までして飾られた言葉が、その一因ではないかと推測されるが、「歓喜の歌」を歌うために、訳も分からずこのドイツ語の歌詞を丸暗記する人は、それは大変だろう。
東京向島の芸者さんたちが苦労されているのを、昔テレビで見たことがある。この時の歌詞の覚え方虎の巻は、新聞にも載って話題になったようだが、要するに、発音が近いとされる日本語に置き換えたもので(例えば、冒頭は、「風呂 (フロ) 出 (イ) で (デ) 詩 (シェ) へ (ー) 寝る (ネル) 月 (ゲッ) 輝 (テ) る (ル) 粉 (フン) 建 (ケン)」)、本来のものから相当離れていた (さらに、「シェーネル」「ゲッテル」となっている箇所は、今日では「シェーナー」「ゲッター」に近い発音に変わっている)。
そもそもが、言葉数、音数が多すぎる、と日本人なら思って当然である。この「歓喜の歌」を歌うための日本語の歌詞(すなわち岩佐東一郎氏の新たな創作だが)は、「は・れ・た・る・あ・お・ぞ・ら・た・だ・よ・う・く・も・よ」と一つの音に音を一つずつ乗せればいいというものだった。
中学校の時、英語の勉強というので、いろいろな歌を英語で覚えたが、その一つに
Little drops of water/ささやかなるしずく
Little grains of sand/こまやかなるまさご
Make the mighty ocean/大海原と
And the beauteous land. /麗しの大地を作る
(次にあげる訳に合わせ直訳してみたもの)
というのがあった。これは讃美歌463番ということだったが、その日本語訳(これはそのまま歌詞を同じメロディーに乗せて歌えるようになっている)を見て驚いた。なめらかで詩的ないい訳だと思うが、ちょうど半分しかないのである、すなわち
ささやかなる/しずくすら/ながれゆけば/海となる
というのである。次の2番と合わせることで、やっと英語での内容と等価になる。その2番は
こまやかなる/まさごすら/つもりぬれば/山となる
これは、日本語がそういう言語であるということで、金田一春彦氏の『日本語』(岩波新書)によれば、日本語の音の数が50音にあがっているだけなのでとても少ない、とのこと。確かに、歌が「サ~」で始まっても、あとに何が続くのか、酒か坂か名詞だけでもたくさん考えられるし、形容詞(「さびしい」とか)や動詞(「さりゆく」とか)かもしれない。金田一氏によれば、英語なら一音に一語”wine”と言えばそれでおしまいというのである。他の本で読んだのだが、単語の途中のケースでも、英語なら“cher-“と聞こえれば、あとは“cherry”(桜)か ”cherish”(いつくしむ)くらいである、という。
ところで、『サウンドオブミュージック』の映画が上映されて、巷にドレミの歌が流れるようになった時、「『ド』はドーナツのド~」というので、原詩はどんな単語が入っているのだろうかと見てびっくり――「ド」(というより「ドウ」に近いが)という音の単語があったのである、そして以下レ、ミ、ファ、ソ、ラと続く(「ラ」はちょっと外れるのがご愛敬)。
Doe, a deer, a female deer,
「ドウ」は鹿、と言っても雌の鹿
牛の雄は”ox”で雌が”cow”と狩猟民族は キチンと区別する。雄の鹿は”stag”で、”deer”は雄雌合わせた鹿の総称。
Ray, a drop of golden sun,
「レイ」は金色の太陽のしずく
「光線」のこと。”X ray”と言うと「エックス線」である。
Me, a name I call myself,
「ミー」は自分自身を指すときの呼び方
文法でおなじみ、”I-my-me”の最後のもの。
Far, a long long way to run,
「ファ」は走って遠ーい距離
反対語は”near”。
Sew. A needle pulling thread,
「ソウ」は、糸を引っ張る針
「縫う」ということ。ミシンは英語でsewing machine”(縫う機械)なのだが、この後半「マシーン」だけ聞いて、「ミシン」となった。
La, a note to follow “So,”
「ラ」はソに続く音符
これはさすがに”la”という単語はなく、こうするほかなかったようだ。ただし、歌声で”tra-la-la”というのはあるが。
Tea, a drink with jam and bread,.
「ティー」はジャム付きパンと共にいただく飲み物
日本では「ドレミファソラシド」だが。英語では「ドレミファソラティド」
こんなに見事にドレミに合わせた単語があるなんて、これでは日本語は負ける(?)ので、日本語ならではの技を発揮したのが「どんなときにも/れつをくんで/みんなたのしく/ファイトをもって~」というもの。先ほどの「ドはドーナツのド」と共に、歌手ペギー葉山による歌詞である。
話がどんどんそれてしまったが、それついでに最後に、大学生の頃、友人に教えてもらった「ドレミの替え歌」をご紹介しよう。
ドは( )のド/レはレモン水/ミはミカン水/ファはファンタのファ/
ソはソーダ水/ラはラムネのラ/さあ、飲みましょう
というもので、歌い出しは、教えてもらったのによれば「ドはどぶろくのド」であったが、あとのさわやかさと合わないので、私は「ドトールコーヒーのド」にした。少し急いで発音しないといけないのが難ではあるが、「歓喜の歌」でたくさん音を入れる練習をした後なら、こなせられることを期待したい。いつだったかこれを披露した時、誰かがそれならこうしたらと提案してくれたのだが、何だったか忘れてしまった。ということで、何かいいのを思いつかれたら、カッコ内に入れて歌ってみてください。
(6/10/2021)
*ドイツ語のカタカナ表記は、それぞれの出典の表記に従った。
- 武田雅子 大阪樟蔭女子大学英文科名誉教授。京都大学国文科および米文科卒業。学士論文、修士論文の時から、女性詩人ディキンスンの研究および普及に取り組む。アマスト大学、ハーバード大学などで在外研修も。定年退職後、再び大学1年生として、ランドスケープのクラスをマサチューセッツ大学で1年間受講。アメリカや日本で詩の朗読会を多数開催、文学をめぐっての自主講座を主宰。著書にIn Search of Emily–Journeys from Japan to Amherst:Quale Press (2005アメリカ)、『エミリの詩の家ーアマストで暮らして』編集工房ノア(1996)、 『英語で読むこどもの本』創元社(1996)ほか。映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2016)では字幕監修。