ベアーズ女性陣の系譜は、第一に仕事ができる。
物怖じしない。そして、美しい。誰も文句はないだろう。
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)
──どういう経緯でベアーズのスタッフになったの?
殿井 高校を卒業して音響の専門学校に行ってたんです。で、PAになりたくてベアーズに電話してみた。当時、ライヴハウスっていまほどなかったんですね。ロケッツはヴィジュアル系のイメージだったし。学校の同級生がライヴに行ったり出演したりしてたのがベアーズだった。1994年の4–5月のことですね。
──どういうバンドを聴いてたの?
殿井 まだ何も知らなくて、少年ナイフをちらっと聴いたことがあるくらい。モダンチョキチョキズのライヴは1回行ったことがありました。ベアーズはボアダムズの人がやってるお店だとは聞いてたけど、ボアダムズも名前だけ知ってるくらいで。かかってきた電話に出ても、バンドの名前か、レーベルの名前か、全然わからない状態だった。
──どういう仕事を任された?
殿井 「PAをやりたい」と言って入ったんですけど、半年〜1年くらいは雑用。人ハケですよね、ベアーズと言えば。あと、掃除とかステージ回りの手伝い。しばらくして照明をやらせてもらえるようになって、1年経った頃、「PAやってみる?」と言われたときはうれしかったですね。
──ノイズっぽいことをやってたと聞いたけど。
殿井 あれは隠し芸です。『ベアーズ 冬の隠し芸大会』とかあるじゃないですか。そういうのでノイズをやっただけですよ。しょぼい。そらそうですよね。やってると言うのも失礼なほど。確かにノイズは好きでしたけど。普通に、MASONNA、ソルマニアとか大好きで。
──普通ではないでしょ。MASONNA、ソルマニアは……。ノイズ以外は?
殿井 レディオヘッド、マッシヴ・アタックとかメジャーなバンドしか聴いてなくて。けど、ベアーズに出てるバンドは好きでしたね。かっこいいんで。ジャンルも幅広い。そこが一番! スタッフにソルマニアのカツミ(菅原克己)さんもいたんですよ。
──他のスタッフは?
殿井 山本(精一)さん、津山(篤)さん、石隈(学)さん、壁田(圭一)さん、保海(良枝)さん……若手で(藤山)正道さん、溝久学くん。
──グァム旅行にも行った?
殿井 スタッフになってすぐだったけど、連れて行ってもらいました。集合写真は大山(鳥取)に1泊でカニを食べに行ったときのならあります。2000年の12月。こちらは、山本さん(左上端)を筆頭に当時のスタッフが揃っています。この頃は、バンドが忙しいスタッフが増えて。週末の人手が足りなくなってた。で、バンドをやってない人を採用しようってなってた時期ですね。と言って全員バンドをやってましたけど。
──印象深いバンドとかエピソードを教えてください。
殿井 ベアーズらしいと言えば、ひみつキングとユープタワーの共同企画『不良番長決定戦』かな。96年から始まって、やらずぶったくり、あふりらんぽ、オシリペンペンズ、アウトドアホームレス……いろんなバンドを迎えて年1–2回のペースでやってた。
──背中に「仏恥義理」と刺繍の入った伝説の学ランを奪い合う?
殿井 で、一番面白かったヤツだけが伝説の学ランに腕を通せるっていう。津山さんも出てましたよ。
──津山くん、番長になったんやっけ。
殿井 めちゃくちゃ嫌がってました。優勝したら、次回開催まで学ラン着用が義務づけられますからね(笑)。現在の番長はひみつキング。いまはちょっと休んでますけど、活動再開が待たれますね。あとは毎年5月に開催される『ノイズ・メイデー』ですね。今年(2020年)はコロナで残念ながらなかったんですけど。それから95年5月30日、マーフィーズ・ロウが飛び入りした日も衝撃的でしたね。AG.ALOEがやってる最中、フラッとやって来て。そのまま楽器を借りてやり始めたんです。客は10人ちょっとしかいなかったけど、盛り上がりましたよ。
──90年代半ばはハードコアが勢いあったね。
殿井 盛り上がりとは裏腹にパンクの日にはよくケンカが始まるんですけど、山本さんが真っ先に間に入って「ここ、どこや思てんねん!ベアーズやぞ!」……あれは効きましたね(笑)。石隈さんがノルマの話をしてましたけど、ライヴハウスも増えてきて、ノルマがあっても出ていいって思ってもらえるハコにしようといろいろ試行錯誤してました。
──殿井さんはマンスリー・スケジュールを保存してたんですね。
殿井 全部が揃ってるわけじゃないんですけれど。2013年4月辞めるまでのマンスリーは一応とってました。店にはまるまる19年いましたね。
──山本さんから「ベアーズの資料は何も残してない」と言われてたんですけれど、これで大まかな歴史は辿れる目処がつきました。情報誌のエルマガやぴあも’08–’09年になると、ライヴハウスのページがなくなったり、最後には相次いで休刊してしまうから。
殿井 ベアーズのマンスリーも手書きだったのがいつの間にかパソコンで作るようになってしまった。
──2013年4月のマンスリーは殿井さんがイラストを描いてる。
殿井 この頃のマンスリーはイラストの心得のある人に毎月表紙を描いてもらっていたんですね。けど、最後なので描かせてもらいました。道下(慎介)くんがブッキングをやってたとき、「手にとってもらえるようにしよう!」って手書きとパソコンで丁寧に作ってた。それをわたしが引き継いでたから。
──マンスリーにはそのときどきのブッキングしてる人の個性が端々に出てる。殿井さんは、いまもベアーズのホームページの管理やデザイン、経理をやってるんですね。ベアーズのホームページっていつからあるの?
殿井 2000年頃からあると思います。初期のスケルトンiMacで作ってた記憶がありますから。iMacを張り切って買って、ベアーズにもホームページあったらいいだろうなぁと自分から「やりたい!」と言い出したんですね。まだまだホームページが珍しかった時代でベアーズのイメージには合わない感じもしましたけど、山本さんは「やってみれば」と言ってくれたんですね。その声に背中を押される形でスタートしました。
──ホームページの実作業というと?
殿井 いまはみんなデータを送ってきてくれるので、楽ですね。その前まではチラシをスキャンしたりして結構大変でした。いまはブッキングもスタッフ全員でやってるんですよ。それぞれが企画したブッキングをLINEでやり取りして確認するって感じですね。かつてはメールもなかったので、何百もあるバンドと固定電話だけで連絡を取り合ってたわけでしょ。信じられません。
──今年、コロナでベアーズが閉まってたとき、ホームページもリニューアルされたんですよね。そのときのリニューアルでそれまで閲覧できてた2010年1月からのスケジュールが閲覧できなくなってしまった。
殿井 すみません。これからあるライヴのお知らせを充実させてほしいってなってきたんですね。一応それまでのデータは残してますよ。
──ドネーション・グッズの案内も重要でしたからね。
殿井 そうなんです。山本さん手書きの悪霊退散お札、ベアーズの永久フリーパスとか。あのときは寄付にご協力ありがとうございました。
──「ベアーズ・クロニクル」からも告知させてください。殿井さんの手許にもなかった08年の3・11・12月と09年の3・8月のマンスリー、お持ちの方がいたら、編集部までご一報を(mail@hanabun.press)。何もお礼できませんけれど、よろしくお願いします。
殿井 よろしくお願いします。
*メモ
- ROCKETS:1991–2016年、大阪・難波にあったライヴハウス。
- 菅原克己:OUTOを経、ソルマニア、ヴァーミリオン・サンズなどで活躍。
- 溝久学:もおじま、KNUCKLESで活躍。
- エルマガジン:1977年4月–2009年2月発行された月刊情報誌。
- ぴあ関西版:情報誌Qを前身に1985年6月–2010年10月まで隔週発行された情報誌。