ハンケチのエロチシズム——女子と織物
文・嶽本野ばら
2018年、六本木ヒルズけやき坂スペースで開催されたANNA SUI 20周年記念THE WORLD OF ANNA SUI展のフライヤー（筆者所蔵）
何故、僕達の抽斗の中にはラベルを取らないまま未使用なアナスイのタオル地のハンケチが必ず一枚はあるのか？ それを忘れているでもないのに、どうしてデパートのハンケチ売り場に行くと、また同じようなアナスイのハンケチを買うのか？ 或いは少しだけ特別なものをお友達にプレゼントしようと、悩んだ挙句、それはアナスイのタオル地のハンケチへと落ち着くのか？ 予算を超え3枚セットにして貰った時、彼女への友愛の深さに愉悦する自身の達成感の正体とは？
否、アナスイに限定するから話がややこしくなるのです。そもそもハンケチとは僕達にとって何なのでしょう。
かつて少女は淡い恋のような感情を持つ相手に告白としてハンケチを送ったものですし、そのような感情で結ばれたエス達は、互いのイニシャルを刺繍したお揃いのハンケチを証として所持したものです。吉屋信子の少女小説にもハンケチは、当然、出てきます。『花物語』、「鈴蘭」から始まるエピソード、最早四作目の「野菊」にそれは現れ、貧しい主人公が突風に煽られると袂に入れていたハンケチが宙に舞い、何ということ！ 走る馬車の窓の中へ舞い込み、学校の規則で名前の記してあるハンケチを持ちその名を呼びながら馬車から現れるのは、二度と逢う機会などある筈もなかった美しい貴婦人！という奇跡を少女に与え給うのです。
身嗜みに持つものに相違ありませんが、僕達はそれに用途以上の目的を与えています。男性に贈る場合、謎めいた感覚は喚起されない。同性で贈り合う時にのみハンケチはエロティックなものになる。もし貴方がお友達よりラッピングされたハンケチを渡されたならば、それは私は貴方をエロい眼でみていますと告白されたと思うべきです。またその気もないのにうっかり同性にハンカチをあげてキスされたとしたら、貴方が悪いです、文句はいえません（ハンケチくらいで勘違いしキスしてくる男性は殴っていいけれど）。
しかし、タオル地のハンケチは機能的に優秀ですが、それ以上に通常の綿よかエロく、ガーゼのものも然りである感覚は一体、何処からやってくるのでしょう？ 僕は織物だからではないかと思うのです。
僕等は布に対して普くエロスを覚えるのです。時々、お洋服が好きなのではなく布、織物、繊維にフェティシズムを持つだけではないかと思うことがあります。考えてみればハンケチは反物が最小限の加工と面積で物品と化すアイテムです。僕達は様々なハギレを観るだけで意味なく興奮するし、それが売られていたら何を作るでもないのに常に買ってしまいそうになります。縮緬のハギレなんて全く使い道ないと解っていても、貰えば捨てられません。それはハギレが純粋に布であるが故です。まるで身体から切断された腕のみ、片耳だけが、持ち主より離脱し物体としてしか成立していないが為、一層、純粋なエロスのオブジェクトとなるように、お洋服になり損ねたハギレもまた独立してエロい。
使われるハンケチはその使命を一度でも果たすのですからさほどエロくない、しかし使われないハンケチは端が処理してありハンケチの体裁をしているが実質、ハギレと変わりゃしないのでエロいのです。僕達の箪笥の抽斗に使われないハンケチがあるのは僕達がそれらからエロさを奪いたくないから起こる現象です。あー、ハンケチないからと、ラベルをとって鞄の中に入れそうになるけれど、つい未使用のまま遺し、コンビニで安いハンケチ買えばいいやと思ってしまうのは変ではありません。僕達は使われぬハンケチの処女性を遵守するのです。
アナスイに限らず大抵のハンケチはライセンスものです。コムデギャルソンの項で書きましたが、柄の豊かさやバリエーションのみで同じような規定で売り場に並ぶ他のものから秀でなければならないのですから、反物自体を作るリスクを背負い、ライセンスを交わす専門の業者以外、ハンケチを作るのは困難になります。ハンケチのような価格帯の低いものにメゾン本体はなかなか手を出せない。転写プリントなら一枚からハンケチも作れますが、僕達はそれを余り欲しないでしょう。織物としてのカルマが希薄だから。
三菱伊勢丹がアナスイのライセンスから手を引きましたが、どうやらハンケチは生き残るようです。何せブルーミング中西さんがライセンスを持ちますから。中西さんは未だにプライベートレーベルや宇野千代のハンケチを販売していて、かつてはアツキオオニシの権利も持っていた！ 因みに吉屋信子はハンカチ、半巾と記します。ハンケチと書くは僕くらいなれどこれはエロさへの拘泥、嗚呼感傷主義者、月影に涙さしぐむを拭うはハンカチに非ずハンケチと、返らぬ少女の日のゆめに咲く故。使えぬアナスイ、彼方よ、何処！
(8/14/20)
