オリベッティ・ショールームの階段(1988年撮影, ヴェネツィア)

 

「オリベッティ・ショールームの階段」

文・写真 下坂浩和

 

写真でしか知らない名作建築を自分の目で確かめてみたい、とヨーロッパに初めて建築行脚に出かけたとき、行き先のほとんどは20世紀に建てられた近代建築でした。イタリアの建築家カルロ・スカルパ(1906-1978年)も、作品集でその魅力を知り、ただものではない職人技が結実した建築は、最初から実作訪問の目的地に含まれていました。

今回、ご紹介するオリベッティ・ショールーム(1958年完成)は彼の代表作のひとつです。スカルパが遺した建築作品の多くは、古くからある建物の改修や、増築の仕事で、このショールームもヴェネツィアのサン・マルコ広場に面した小さな店舗区画の内装をつくり変えたものです。私が初めて訪れたのは1988年8月でしたが、当時、夏休みの間はひと月ほど閉鎖されていて、ガラス越しに中の様子を覗き込むことしかできませんでした。

2度目のヴェネツィアは2001年でした。今度は6月なので、やっと中に入ることができる、と期待が高まりました。ところが行ってみると、この場所はすでにオリベッティ・ショールームではなくなっているではありませんか。オリベッティといえばタイプライターの製造メーカーですが、その頃すでにタイプライターはパーソナル・コンピュータに取って代わられ、もはやショールームに新製品を並べるような時代ではなくなっていたのです。

オリベッティのサインは外壁に残っていましたが、数台のタイプライターがゆったりと飾られていた大きな窓辺に、ベネツィアングラスが所狭しと並べられた土産物店になっていたのです。中に入ると、スカルパがデザインした階段はそのまま残されているのですが、壁には観光客相手に売っている絵画やポスターがぎっしり掛けられ、もはや思い描いていた空間はそこにはありません。これにはがっかりしました。やはり、建築にはその場所にみなぎる空気感が大切で、ものが残っているだけでは本当の良さを感じることができないのです。

オリベッティ・ショールーム(2001年撮影, ヴェネツィア)

オリベッティ・ショールームの階段(2001年撮影, ヴェネツィア)

そして、何度目かのヴェネツィアで、今度はうれしいことがありました。オリベッティ・ショールームが、FAIというナショナルトラスト団体によって復元され、公開されるようになったのです。しかもオリベッティ社の協力で、当時のタイプライターがかつてのように展示されています。さすがはイタリア。20世紀デザインの歴史もおろそかにはしていません。

オリベッティ・ショールーム(2011年撮影, ヴェネツィア)

オリベッティ・ショールーム(2011年撮影, ヴェネツィア)

オリベッティ・ショールームの階段(2011年撮影, ヴェネツィア)

前置きが長くなってしまいましたが、この階段はL型断面の石の踏段をずらしながら13段重ねた構成になっています。1段目と3段目、7段目、そして1番上の13段目が他の段よりも横に延びた広い段になっているのが特徴です。その間の段は2段目、4、5、6段目、8、9、10、11、12段目と、上るにつれて1段、3段、5段の順に増えていきます。もっとも、スカルパはたくさんスケッチを描いて、どちらかというと感覚的にデザインしていたようなので、彼自身がどのくらい数にこだわってデザインしたのかはわかりません。そして、この階段は、ミケランジェロのラウレンツィアナ図書館の階段に触発されたものと言われていますが、どちらも彫刻的に昇華されていて、スカルパはミケランジェロの形を真似ることなく、まったく別次元の抽象的な造形を生み出すことに成功しています。これらふたつの階段を継承した新次元デザインの決定版はまだ現れていないのではないでしょうか。

スカルパの作品には建築としては小規模なものが多いですが、この階段に限らず、石、木、金属などが緻密に組み合わされているのが特徴です。すべての細部が工芸作品の集合のようにつくられていて、その精緻さは、20世紀建築の中では際立っています。彼は生前、2度日本を訪れていて、日本の古建築をいくつも見てまわったようです。フランク・ロイド・ライトに影響を受けた時期があり、ライトを通じて日本美術に興味を持つようになったようですが、2度目に来日した1978年に仙台で帰らぬ人となりました。

なぜ、仙台だったのか。スカルパのクライアントで、日本への旅に同行していた故アルド・ブジナーロは、仙台近郊の小さな湖の中の小島にある小さな寺を見に行くためだったと語っています。また、建築家の磯崎新は平泉を訪れる途中だったのではないかと推察しています。中尊寺金色堂の螺鈿細工が施された柱はスカルパのデザインにも通じるところがあるので、実物を見たかったであろうことは想像に難くありません。そして、小さな湖というのは、毛越寺のことではないか、というのが私の推測です。室内と庭とが対等の関係で連続し、独自の宇宙を生み出していることがスカルパ建築のもうひとつの特徴と言えるので、平安時代の浄土庭園を自分の足で確かめたいと考えていたのではないか、という気がするのです。

スカルパは最後の来日の際、脳腫瘍を患っていたそうですが、階段で転倒して仙台市内の病院に運ばれ、数日後に亡くなりました。イタリアではなじみのない急な階段だったのかも知れません。

(2020年5月6日)

下坂浩和(建築家・日建設計) 1965年大阪生まれ。1990年ワシントン大学留学の後、1991年神戸大学大学院修了と同時に日建設計に入社。担当した主な建物は「六甲中学校・高等学校本館」(2013年)、「龍谷ミュージアム」(2010年)、「大阪府済生会中津病院北棟」(2002)「宇治市源氏物語ミュージアム」(1998年)ほか。