第1回は『離人小説集』(幻戯書房)が書かれたきっかけ、第2回はその中に収められた短編「既視」「丘の上の義足」「ガス燈ソナタ」についてお話をうかがいました。
第3回は、フェルナンド・ペソアに材をとった「無人の劇場」、原一馬という謎の作家による「アデマの冬」、アントナン・アルトーが主人公の「風の狂馬」の3作品。作中に登場する作家たちや、そのイメージについて語っていただきました。(丸黄うりほ)

ペソアとソアレスを作中で出会わせて、会話させたかった

——次は「無人の劇場」です。フェルナンド・ペソアが出てくるのですが、これはこの小説集の鍵となる重要作品だと思います。

鈴木創士さん(以下、鈴木)  これは、小説の中に登場する人物が、ペソアが創造した人物なんです。ベルナルド・ソアレスっていって、それはペソアの異名なんですが、この小説では別の人間として書いています。

で、ほんとは無理なシチュエーションなんだけど、ロートレアモンっていうパリを捨てた人物も出てくる。ここで僕はロートレアモンが死んだと書いてるのに、みんな比喩だととるんだけど、本当に死人なんですよ。時代が違うから。パリで23歳くらいで死んでる人だからね。で、彼がモンテヴィデオに帰る時にリスボンに立ち寄ってペソアを目撃するっていう設定にしたんだけど。

ペソアとソアレスの本は、日本語訳も出てるんですよ、『不穏の書』っていうすごくいい本だけど。ペソア自身がそういう離人的な人だから。これ図に書いたらめちゃめちゃ複雑になってしまうんだけど。しかも僕が書いてるし、ほとんどわけがわからないんだけど。わかりやすく書いたつもりなんですけどね。

——これは難しいと思います。ペソアが主題なのにイジドール・デュカスという人が視点人物で出てきて。デュカスとはロートレアモンのことですよね、これ時代あっているのかなって思って、私も調べたんですが。それで、視点人物のロートレアモンは死者の設定なんだというのはわかりました。ですが、もともとフェルナンド・ペソアって人は、ベルナルド・ソアレスを含めて分身が70人もいた人ですよね。で、この小説にはそのうちの二人……ペソア自身とソアレスが出てくる、それをデュカスが見かけるという設定です。すごく複雑。

鈴木 ロートレアモンの本名はイジドール・リュシアン・デュカスなんだけど、僕は嘘書いてて、イジドール・ウジェーヌ・デュカスと書いています。ちょっと違うんです。ロートレアモンも僕の愛読書だったから、彼について書いてもよかったんだけど、結局よくわからないんですよ、ずっと読んでるんですけどね。「マルドロールの歌」がよくわからないところがあって像を結べなかった。伝記的事実も研究者が調べてるけどほぼわからない。ランボーと同じ時代、パリコミューンの時の人だから。ランボーのほうがちょっと若いのかな。

——でも、なぜペソアがテーマの作品にイジドール・デュカスを出してきたんですか?

鈴木 これ、なんでだったかな。なんか狂言まわしがほしいなと思って。いきなり分身同士でしゃべらすのもな、と思って。それでね、僕はフランスにいたことあるんですけど、リスボンには行ってないんですよ。それもあったかな。行ってみたいなと思って。

——リスボンは行ったことないんですか、まるで行かれたような感じです。

鈴木 だから僕のリスボンのイメージですよね。友達に、いまヨーロッパでいちばんいいのはリスボンだって聞く。とにかく文明が終わった感じがするって。だから、ずっと行きたかったんだけど。

——もしかしたらこの作品が、今回の企画の最初にあったのかなと思ったんですが。

鈴木 うん。いや、ひょっとしたら最初に書いたかもしれない。ペソアのイメージというのがあって、それに影響を受けたんでしょうね。

——この小説集自体が、すごくペソア的な試みですよね。鈴木さんがいくつもの作家になる、憑依するというか……。

鈴木 まあその影響は受けたかもしれないですね。あえて図式的にやったわけじゃない。意図したっていうことはないけど。

——私もペソアという人のことを初めて知ったときは衝撃的でした。単に筆名が違う、文章が違うというだけじゃなくて、それぞれの分身に設定まであったというのが。しかも70人もいる、なんだこりゃって。

鈴木 でも、ペソアとベルナルド・ソアレスは、ペソアの作品のなかでは対話はしてない。これね、なんか神かがりみたいになるらしいんですよね。初めてペソアに異名が現れた時、「恍惚とした」って書いてるんです。「気持ちよかった」って言っている。「恍惚状態が3日間続いた」って書いてるからね、本当になりきって書いてたんだと思う、ペソアの場合は。だからその二人を出会わしたいなというのはあった。いたずらみたいな。

「アデマの冬」、これはちょっといたずらしたくて(笑)

——次は「アデマの冬」です。

鈴木 これはばらすとね、原一馬なんて、こんな作家いないんです。嘘。

——それは鈴木さんにとってのソアレス的な分身ですか?

鈴木 いや、これは豊崎由美さんが「鈴木創士になりかわって」って書評に書いてたけど、まあそうですね。普通に自分かな。これちょっといたずらしたくて。

ホルヘ・ルイス・ボルヘスなんかは実在の人物について書いていると思って読んでいたら、調べたらそんな人いないってこと結構あるんですよ。それとか、注がつけてあってこの本の何ページ参照とかって。で、その指定のスペイン語の本見てみたらそんなページなかったりするんですよ。そういういたずらをしたいなというのがあって。

四方田犬彦さんが書いてくれた書評でも、この小説にこだわっていたね。これがこの本の中心で、いちばんわかりにくいって。何回読んでもよくわからないって。

——私はこれがいちばんわかりやすいかなと思ったんですが。

鈴木 普通の意味ではいちばんわかりやすいかもしれない。そのままだから。ただ、まあ設定がめちゃくちゃだから。アデマなんて街もないんです。

——架空の街ですか。

鈴木 架空っていうか、あったんです。旧約聖書に出てくる悪の街。ソドムとか、ああいう名前のなかに出てくるんです。そういう設定がめちゃくちゃだし、突然日本にいたり、パドヴァが出てきたり。僕はパドヴァも行ったことないんですけど。これはジョイスの本でものすごく印象的な描写があってね、全部そのイメージなんです。これも散歩小説ですよね。だって途中でうんこするんだもん。(笑)

——しかも、それをおばあさんが見てるんですよね。

鈴木 険しい顔で見てる。(笑)

——おばあさんがすごく気になったんですけどね、この人誰だろうって。

鈴木 いや、これは普通のヨーロッパ人のおばあさん。この小説には仕掛けはないんですよ。誰かに仮託したというのはないから、素の僕の文章が出ている可能性がある。わざと堂々巡りさせているから小説の構造としてわかりにくいところはあるかも。

アルトーとチベット、オカルトの関係

——次は、アントナン・アルトーが主人公の「風の狂馬」です。

鈴木 昔、アルトーは「おれはチベットに行くぞ」という言葉を残してるんですね。でも結局は行かなかった。だから僕はアルトーとチベットというのは今までの本でも書いたことはない。そういうのがちょっとあってね。シュルレアリスムの詩人だったころに「ダライ・ラマへの上奏文」っていうのを書いて、そのころはチベットの密教にあるていど期待しているみたいな書き方をしてるんですけどね、晩年にその文章直してて。で、それがチベットについて、すごい批判的なものになっているんです。彼の中でチベット的なもの、密教的なもの、オカルト的なものに対する戦いがずっとあった。自分の病気の原因はそこだって自分で言ってるし。

で、彼は最後にヴァン・ゴッホ論を書いてるんだけど、そこでは表立っては否定しているんですよね。ところが、この世は呪いのネットワークでできているとかさ、まあ今のインターネットみたいなもんだけど、それが空を見たらみえるだろう、とかそういうことはずっと言い続けてて。すごく複雑なアルトーの歴史っていうのがあって、一時期は占星術の本まで書いてた時期あるのに、それをあとで全部否定するんですよ、自分の病気の原因はそこにあって、あいつらは悪魔的なもので、僕はそれと戦っているんだ、みたいになるんですよね、晩年は。

だからアルトーとチベットとの関係っていうのは想像するしかなかったけど、まあそれを書いたんですね。

ただまあ彼は精神病院に9年間入れられてたんだけど、結局最後は出てきて2年間猛烈に仕事をしてそれで死んじゃうんです。彼も癌だったから。それで、狂い死にしたっていうふうに紹介されていた時期もあるんですよ。60年代なんかは。じつはそうじゃなくて、アンドレ・ブルトンなんかは退院後の彼は超明晰だったって言ってるんです。だからほとんど精神医学的にもアルトー症例って呼ばれてて、わからないんですよ。なんであれだけ狂っていたやつがこんなまともな文章書けるんだってね。ほぼ分裂症では無理な文章です。だからね、詐病だったっていう説もあるくらい。あれは狂ったふりしてただけだとかね、麻薬性の精神病だったとかいろんな説があるんだけど。

僕は手紙とかも訳したことがあるんだけど、もうこれは完全に狂ってる。毎日宗教観変わるしね。今日はミサとか言ってたら次の日にキリスト罵倒しているし。相当にすごい、めまぐるしい変遷があって。だからそういうのに基本的に興味があって、アルトーの中のオカルトみたいな。で、まあこれを書いたことによって僕自身が解決したわけじゃないけど、チベットにアルトーがいたらどんな感じだろうなっていう、それをちょっと書きたかった。そのために前置きが長いんですけどね、彼がどういう人だったかっていうの。これはいちばん評伝的な作品かもしれない。

——アルトーも分身っていうことを言ってる人ですよね。

鈴木 言ってるんです。彼は書名に「十字架にかけられた人ナルパ」とか「ナナキ」とか、いっぱい名前ある。

——アルトーも名前がいっぱいあるんですね。

鈴木 うん。だけど、分身が何かとは書いてないんですよ。彼の『演劇とその分身』っていう本を僕は翻訳しているんですけど、それは演劇とその分身であって、分身がどういうものかというのはそれを読んでもよくわからない。ただ、そういうのがアルトーの中にはあったと思う。

——鈴木さん、以前のトークイベントで、アルトーを見たっておっしゃってましたよね。

鈴木 ああ、彼の本を翻訳しているときにね。それはね、アルトーはすごい肉体的な人だからね。実は、その時うちに神社の巫女さんが居候してたんですよ。彼女はいわゆる霊能者みたいな人で。その人が入ってきて「あそこの人、誰?」って言った時に僕も見えたんだけど。

——巫女さんも鈴木さんも見えたんですか?家の中で?

鈴木 部屋でね。「あの人、あなたが翻訳している人よ」って。僕、部屋にアルトーの本をおいてたから写真があって。そしたらもうおじいさんの、こんな骸骨みたいな……。僕は顔はわかんなかったんだけど、ツイードのブレザーのボロボロの服が見えたんですよ。「どんな人?顔はわかんない」って彼女に言ったら、「あの人」って本の写真を指して。彼女がいる時は、結構、物質的現象が起きててね、突然金粉が机の上に雲母みたいに山のようにあったり、いまだに持っているけど。

——持ってるって……。(笑)

鈴木 物質だから、置いといたらなくなってない。そういう現象が起きる人だったみたい。

——その巫女さんのせいかもしれないですが、アルトーが見えた時は怖かったですか?

鈴木 いや全然怖くない。それとかね、もっと面白いのはフィリップ・ソレルスに絵葉書もらったんですよ。阪神大震災の後に「君が生きててよかった」みたいな。ヴェネチアのサンマルコ寺院を海の方から撮った写真の絵葉書で、その写真が好きで額に入れてたんです。で、モーツァルトの「レクイエム」をかけてたら彼女がきて、「わっ、あの教会から骸骨がぞろぞろ出てきてる」とか言って、「この音楽のせいだと思う」って。僕、そのころアルトーの翻訳しててね。きつい翻訳でね。

——やっぱり翻訳している時って何かが起こるんですか。

鈴木 うん、さっきも(インタビュー1/5)憑依されるのは翻訳をしている時だって言ったけどね。

——この作品を書いているときには、アルトーは?

鈴木 ぜんぜん出てこなかった。まあ、アルトーは自分ではオカルトを否定したけど霊的な人ではあるからね。波長が合うところがあるんだと思う。

——晩年、それだけオカルトを否定したってことは、逆に何かあったんでしょうか。

鈴木 自分が精神病になったのはそのせいだって言ってたから。要するに振り回されたんでしょうね。

——まったく何もなければそんなに悩まないんじゃないかと思うんです。

鈴木 だから、若い時はメキシコに行ってインディオの儀式に加わったりね。そういう経験はすごく多くて、気が狂った時もアイルランドに聖人の杖を返しに行くとかって言ってたみたいだから。

——最後は忘れて帰るんですよね。

鈴木 そう、結局ないんですよ。で、強制送還。そのとき、ガリマールの編集者がアルトーのお母さんと一緒にフランスじゅうの精神病院を探し回るんですよね、で、最初に見つけたときは母親の顔もわからなかったらしい。だから本当におかしかったみたいね。

ただ、アルトーは狂い死にしたんじゃないってとこが好きでね。それは僕にとっても大きな謎であるし。だから破滅したからいいとか、呪われた詩人とかじゃないんです、結局はね。違う要素がかなりあるんで、それが好きですね。

——鈴木さんは破滅型の人物が好き……とかではないんですね。

鈴木 破滅した人も多いんですけど、社会的にはね。そこにひかれているわけではない。そこにひかれるところもあるけど、それがすべてではない。それと、僕はフランス好きだと思われるんですが、ぜんぜん違う。フランス嫌いです。だって僕が翻訳している人ってフランス社会でうまくやっていけなかった人ぱっかりだもん。だから、いわゆるフランス的なものってあまり好きじゃないですね。

——いわゆるフランス的なものというと?

鈴木 なんか自己中心的でさ。自分たちの言語が世界でいちばん美しい言語だと思っているし。すごい自己中心的で差別的です。

——フランスに留学されてたんですよね。

鈴木 留学っていうか、いちおう滞在許可証が要ったから。僕、高校生の時、過激派だったから、ずっとマークされていて、学生の身分にならないとやばかったんですよね。だから登録してただけで全然行ってない。

——大学に行ってたわけではないんですか?

鈴木 ま、何回か行って、ラカンの授業とかもぐったことはあるけど。エコール・デ・ボザールっていう美術学校とか行ったりしてたけど、そこに通ってたわけじゃない。初めはバイトしてましたね、写真家の助手みたいな。それであまりに僕に能力がないから、その人の娘にピアノ教えてた。ピアノの先生なんてやったことないのにね。それとか、当時はバイトがわりとあってね、幼稚園児をブローニュの森に連れて行くバイトとかね、今だったら考えられない。別になにもしない、監視もしてない、池にはまったらそれまでみたいな(笑)、ゆるい時代ですよね。でも、刑事に尾行されたし、当時は日本赤軍が事件起こしてたから、日本人に対してはわりと厳しかった。だってメトロでホールドアップとか何回もありますよ。身体検査されて。特殊な警察があるんですよ、憲兵みたいな。で、それに会うと全部調べられて。

——でも、フランスは自分で選んで行ったんですよね?

鈴木 それは、フランス文学は好きで、フランス語やりたいっていうのはあったんです。だから僕は大学行ってないからさ、独学なんです。

——パリ第4大学(現在のソルボンヌ大学)は?

鈴木 一応登録はしてあったけど、卒業はしてない。だからもう最近はそういう書き方はしないでくれって言ってて。渡仏っていうのが、いちばん正しいかもしれないね。

※その4に続く

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(5月12日、神戸市内で取材。協力:アビョーンPLUS ONE。写真: 塚村真美)

『離人小説集』鈴木創士著:幻戯書房(2020)