巨大ビニールドームシアター、土と水による円環劇場、百坪の波打つ舞台、巨大滑り台舞台、雪と火山の劇場、六階建ての路地風景劇場、丸太三千本、迷路の劇場、トンネルシアター、障子劇場、ジャングルジムシアター、直径10m大回転舞台。「なんじゃそりゃ」である。以上は「こんなのあったらいいのにな」の夢の劇場ではない。現実に地上に出現した劇場だ。そして全てが今はもうない。
作ったのは維新派という集団。そして、壊したのも維新派だ。超演劇的空間で、役者たちの台詞は活版の字が1個1個打たれるように吐かれ、それは音楽のようにさえ聴こえる。ロボットのように固く、踊りのように柔らかく彼らは動く。音楽が混ざる。舞台の風景が溶け出す。なんだかよくわからないが、むんむんパワーを出しているこの維新派の棟梁でありヒットラーであるのが、松本雄吉である。5月には大阪城公園に円筒型シアターを出現させる。
「大阪に大正っていう、工場街があって、それを風景として使いたいと思った。キューポラとか円筒型のタンクの中に入ってみたいな、と。筒になっていると、幕で切れないで舞台の嘘と客の嘘がつながる。天国と地獄がウンコでつながってるみたいな(笑)。結局ヤボだから金かかるんです。抽象的に想像の領域にまかせて“あるでしょ、あるでしょ”って言えばいいのに、肉眼視できるものを作って“あります”って言うから。演技にしても空を指さして“空”って言えばいいのに、手にとれる空を天井に作って“空”って言うから。ないものの3次元を土で作ったりハリ金で作ったり、具体的にやりたいんです」
彼が現出させる風景は、廃墟のようなところが多い。
「人間って、作ることが好きなんだよな。作りたい、作ってばっかし。それが人間にとって“正”としたら“負”の発想もある作らなくっていいんじゃないか、壊してもいいんじゃないか、という。夢の正と負が一致しているところが“廃墟”にある。芝居もそうでしょ。作ってるけど、同時に壊してる」
そういえば、積木の楽しさじゃなくて、剥いでいく楽しさ、むしっていく楽しさって確かにある。作ったと同時に消えていく世界を彼はオモシロがっている。
「豆腐を作る時、豆腐の型を作るでしょ。アーチを作る時も、そのための型、雌型をつくる。それらは、できあがると壊されるけど、それもひとつの造型だと思う。僕らはその雌型を作ってるみたいなものなんです。僕らの時代は、なんとなく雌型を作っていったら、ぐっとはまってくる雄型の姿が見えてくるんじゃないかな、と。今回の公園も、円筒型の劇場を作っていったら、空気がどんな風になっていくか、とね」
こういう芝居がしたいから、こんな舞台を作ろう、ではないのだ。彼の方法論はむしろその逆だ。
「今は作れる時代じゃない。世の中をどれだけ見て感じてるか、そこから影響されて、自分の作りたいものがおぼろげに見えてきたらいい。作ろうとする状態や感性の、ネガティブなものを造型化してるんです」
「浮遊物が好き、流動的なものとか。プールの中に水をためるように、“もやもや”をはりつめたい。もやもやを捕まえる捕虫網のようなプールの型を一生懸命作るんです。できるだけ具体的に」
まず外側である型の劇場を作るという松本だが、それよりも前になにかを作りたい“もやもや”があるのを忘れてはいけない。彼の劇場は“もやもや”から出発している、それは、“もやもや”もないまま空っぽの劇場を作ってしまう人達とは、あたりまえだが、ぜーんぜん違うのだよ。
取材・執筆 塚村真美/写真 浅田トモシゲ
(「花形文化通信」NO.12/1990年5月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行)