苦楽園という地名の由来はひょうたんだった!(2)
by 丸黄うりほ
先週金曜日の「ひょうたん日記」では、苦楽園という地名が、明治時代にこの界隈の開発を手がけた実業家・中村伊三郎が大切にしていた「苦楽瓢」というひょうたんに由来するということを書きました。
阪急苦楽園口駅前ではひょうたん物件や記念碑的なものを見つけることはできませんでしたので、私は苦楽園の中心地点であり、近くに中村氏の邸宅があった「三笑橋」まで歩いてみることにしました。
駅から「三笑橋」まではバスもあるようでしたが、グーグルマップによると歩いて25分ほど。中新田川にかかる橋なので、川沿いに歩いていけば迷わないだろうし、季節も良いし、風情があるに違いないと思いました。
予想通り中新田川沿いには大きなお屋敷が建ち並び、桜並木が美しく散歩にぴったりです。そんな感じで途中までは気分良く歩いていたのですが、半分ほど来たところで行き止まりになってしまいました……。
仕方なく来た道を少し戻って、川の北側を通る「苦楽園筋」に出ようとしましたが、そこに至る道がものすごい急勾配。きれいに舗装された道ではありますが、本気の山登り級の坂道です。そして、ようやくたどりついた「苦楽園筋」が、またまたきつい上り坂!(写真①)
私はコートを脱ぎニットを脱ぎ、だらだらと汗を流し、ここまで徒歩で来ようとしたことを激しく後悔しました。
よたよたと坂道を登る私の横を、バスが通り過ぎました。「あっ、停留所がある!」……と、そのバス停の名は「苦楽園」。近くには川の流れと橋がありました。
ようやく目的地の「三笑橋」に着いたのです!
「三笑橋」は思っていたよりもずっと小さくて、欄干に名前は記されていましたが、特に風情もない本当に普通の橋でした。周囲を見回しても、バス停と交番があるだけです。交番前に何か道しるべとか、立て札とか、案内ボードでもないかなと思いましたが、何もありません。(写真②〜⑤)
苦楽園温泉は、昭和13年に湧出が突然止まってしまったそうですが、この付近が温泉街への入り口だったはず。しかし、温泉の名残を感じさせるものは一切見つかりませんでした。
かなり疲れを感じたので、私は橋の右手にある小さな公園で一休みしました。休憩できるように整えられていましたが、ここにも立て札や説明などはありません。この付近にはノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の邸宅があったはずで、その妻のスミさんは中村氏のお嬢さんである雛子さんとの交流を本にも書いておられるようです。
ネットに貼られていた付近の古地図によると、「三笑橋」から現在「堀江オルゴール博物館」が建っている場所の間に、中村氏の邸宅があったとされています。私は気力を振り絞って立ち上がり、中村氏の邸宅跡を探してみることにしました。
ところが、周囲のお家はどれも大邸宅で、どれもこれも博物館のように見えます。坂を上ったり下ったりして、だいぶ歩いたと思ったとき住所表示を見ると芦屋市六麓荘でした。道を間違ってしまい、いつの間にか西宮市から離れてしまっていたのです。
私はあわてて「三笑橋」まで戻りましたが、もう中村邸を探す気力は残っていませんでした。残念ですが収穫のないまま、駅の方まで下りていくことにしました。そして、その後もまた道を間違い、半分へろへろになりながらようやく阪急苦楽園口駅に帰着。
このとき私は、立ち寄る予定だったスイーツのお店に行くのを忘れたことを思い出したのですが、もう戻る元気は残っていません。しかし駅前のテーブルウェアのお店にだけは寄っていくことにしました。
「苦楽園・ひょうたん」でネット検索してヒットしたそのお店の名前は「M苦楽園」です。目当てはひょうたん型の箸置き。ネットではいろんな色を見かけたのですが、白しか残っていませんでした。(写真⑥)
お店の人に「苦楽瓢」のことを話してみると、「ずっと苦楽園に住んでいるけど知りませんでした」とおっしゃいました。やはり、地元の方にも知られていないんですね……。
そのかわり、ひょうたんマークのついたお椀を出してきてくださいました。蓋の裏に描かれたひょうたんがかわいい!(写真⑦⑧)
私は箸置きとお椀を買い求めつつ、近いうちにリベンジするぞ!と心の中で誓いました。
(955日目∞ 4月11日)
(続きます)