ああ、ようやく自分が思い描いた世界が現出したんだなあ

by 奥田亮

路面は今も凍ったまま。

雪の下ひょうたん。顔を出していたので埋め戻し。

まだまだ寒い日が続く信州ですが、それでも立春を過ぎると日差しは春めいてきました。もうこのまま春になるのかなと思わせるような陽気ですが、また急に寒波がやってきたりするので油断はできません。先日たっぷり降った雪も、だいぶ解けてきてはいますが、まだまだ残っていますし、日差しの当たらない道の路面は凍ってツルツル。それでも雪で埋まっていた菜園は半分ぐらい土が見えはじめ、先日埋めた雪の下ひょうたんも、少し雪から顔を出してたので周りから雪を集めてきて埋め戻しました。3月ぐらいまでは雪の下でゆっくりしてもらいましょう。

さて、1月27日のひょうたん日記「ヒョータニストさんの新楽器、ぞくぞく誕生」を読んで、感慨にふけっております。電気系、プリミティブ系、カワイイ系など、いろんな方がいろんな方法で楽器づくりを楽しんでおられる様子を拝見し、ああ、ようやく自分が思い描いた世界が現出したんだなあ、などと思ったのです(年寄り臭くてずいぶん大げさですね)。

私が自家栽培ひょうたんで楽器を作って演奏するという方法で自らの音楽生活の楽しみを見出し、この楽しさを他の人たちと共有したいという思いに駆られて、大阪で「ひょうたんオーケストラプロジェクト」の活動をはじめたのは1997年。メンバーを集めて楽器づくり、練習をはじめ、その年の秋に開かれた「花形文化通信」100号&終刊記念のイベント「はなぶんフェアウェルフェスティバル」に出演させていただいたのが始まりでした。サキタハヂメさん率いる「関西のこぎりオーケストラ」の前身「日本のこぎり音楽協会関西支部」との共演も思い出深いです。

それから21世紀を迎えてしばらく活動をやめていたのですが、2007年あたりから活動を再開。その時活動を支えてくださったのが丸黄うりほさんでした。「ひょうたんオーケストラプロジェクト」は、私の生来の怠け者気質と諸般の事情により、またまた活動を停止したのですが、丸黄さんはその後も熱心に瓢活を続けられ、「ひょうたん総合研究所」「オール電化ひょうたん」と、私なんぞの思いもよらない方向にどんどん活動を広げ、活発化させて行かれたのでした。それと並行してたくさんの人たちを洗脳(?)してヒョータニストに仕立て上げ(?)、栽培〜楽器づくりを楽しむ人たちを増やしてくださったのでした。丸黄うりほさん、あらためて、ありがとうございます。

いや〜、そろそろ信州でもひょうたんオーケストラ、始めてみようかな。なんとなく条件が揃ってきたような気がしないでもないし。あとは、自分のやる気ですねー。やる気かあ、どうなんかなあ、う〜ん。でれろん。

(922日目∞ 2月6日)