川崎大師の境内にひょうたん石碑

by 丸黄うりほ

①京急川崎大師駅に着いたのはすでに夕方

②通称・川崎大師として知られる平間寺

③広い境内に、ひょうたん型の石碑が!

④「施茶翁塚」という文字が読めます

⑤台座も、横に寝かせたひょうたん2つ!

⑥水入れまでひょうたん型!

⑦「鶴の池」も、もともとはひょうたん型だったらしい

先週の「ひょうたん日記」では、神奈川県鎌倉市の「日比谷花壇大船フラワーセンター」で開催された「ひょうたん展」のことを書きました(10月4日〜7日)。おそらく世界一ひょうたんに詳しい湯浅浩史先生にお話をうかがったあと、私は編集長とJR横浜駅で別れ、京急に乗り換えて川崎方面へ向かいました。

目的地は、通称・川崎大師として知られる平間寺です。

京急川崎大師駅に電車が着いた頃には、午後5時になっていました。辺りはすでに薄暗くなり始めていて、参道にある名物のくず餅の店もほとんど閉まっていました。思わず早足になります。7、8分ほど歩くとNHKの「ゆく年くる年」で何度か見た立派な門が見えてきました。

特に何の行事もない平日の夕方ということで、広い境内はすっきりと空いていました。案内図で目的物件の位置を確認し、私は改めて自分の目を「ひょうたんアイ」に設定しました。

しばらくすると……、ひょうたん型のものがあれば、どんなささやかなものでも見逃さない「ひょうたんアイ」が、「こっちだっ!」と大声で叫び出しました。その声に促されて、私はほとんど走っていました。

木立の中に、それはありました!

くっきりと建つ、見事なひょうたん型をした石碑です。

台座の上にのせられたひょうたん型の石は、人の身長くらいあり、思っていたよりも大きなものでした。ふっくらとしたお尻を少し横にひねった、素晴らしい形。表には「施茶翁塚」の文字が刻まれています。そして、よく見ると、台座の部分も横に寝かせたひょうたんを2つ並べた形になっていました。さらに、台座に彫られた水入れも一対のひょうたん型です。じつに完璧なひょうたん物件でありました。

平間寺のウェブサイトによると、「施茶翁塚」は、天保6年(1835年)に建てられたものだそうです。江戸に住む医師であった羽佐間宗玄さんは、無類のひょうたん好きで、隠居後は常にひょうたんを携え抹茶を点てて人をもてなすのを楽しみにしていました。雅号は瓢仙、人々には施茶翁とも呼ばれていたそうです。

石碑の裏側には、「地獄いや極楽とても望みなし又、六道の辻で施茶翁」と刻まれています。暗くて、また達筆すぎて読めなかったのですが。なんと、この塚で供養されているのは、人ではなく茶筅やひょうたんなのだそうです!瓢仙さんがどれほどひょうたんを愛していたかが伝わってきますよね!

平間寺の境内には、この「施茶翁塚」のほかにもたくさんの石碑や句碑がありました。松尾芭蕉、高浜虚子、『仰臥漫録』でヘチマ、ひょうたん好きを私たちヒョータニストに知らしめた正岡子規の句碑もありました。さらに、その近くには赤い橋がかかった「鶴の池」もあり、もともとこの池はひょうたん型をしていたこともわかりました。今は改修されて、ひょうたん型ではなくなっているようですが。

「施茶翁塚」の存在を確認し、ようやく心が落ち着いた私は、順序があべこべになってしまったことをお詫びしつつ、本堂にお参りさせていただきました。すでにお授け所がしまっていたのでお守りやお札を頂くことはかないませんでしたが、おみくじは引かせてもらうことができ、「吉」と出ました。

(849日目∞ 10月13日)