スケソウダラがねりものの原料として使われるようになったのは

by 児嶋佐織

こんにちは。テルミン奏者の児嶋佐織です。

先月のことですが。大相撲大阪場所を観戦に参りました折に、会場のエディオンアリーナの地下食堂で、偶然お食事中のレジェンド横綱の御二方と隣り合わせになりました。
同行の友人が御二方と繋がりがあり、お話できる僥倖にあずかったのですが、そのとき焼き肉の話題から、大横綱がふと「仙台の牛タンっていっても、だいたいオーストラリア産ですからね。あと明太子の原料も博多じゃなくて、北海道で獲れますし……。」とおっしゃったのです。
舞い上がってなんも話せないこじまは「明太子のおかあさんはちくわの原料スケソウダラ……!お相撲さんちくわ食べて……!」などと、思考が明後日を目指して全速力で駆けていってしまい、オーダーしたナポリタンも緊張で全く味がわかりませんでした。

春場所名物ナポリタン。福留ハムの〈花ソーセージ〉がのっています

後日、春場所の思い出を反芻しながら、「スケソウダラがねりものの原料として使われるようになったのはいつごろ?」と気になってこじまのバイブル「水産ねり製品入門」柴 眞著(日本食糧新聞社刊)を紐解いてみました。

以前にもデイリーちくわでご紹介した『類聚雑要抄』(国立国会図書館『類聚雑要抄』[1],写. 国立国会図書館デジタルコレクションはこちら)に記されている、平安時代の「がまの穂に似たねりもの」がちくわの起源だとされていますが、このときの原料は鯉(こい)などと考えられています。

狩野晴川 模「類聚雑要抄(模本)第1巻」永久三年七月関白右大臣殿東三条移御より抜粋「東京国立博物館 研究情報アーカイブズ」より。

時代はぐんと下って、明治時代にはハモ、キス、甘鯛などがよいとされていて、この頃にはかまぼこはまだまだ高級な料理でした。
明治末期からはグチやタチウオ、カレイ、シタビラメ……、とさまざまな種類の魚が使用されるようになりますが、昭和30年代には経済復興による需要の拡大や水産資源の不足が問題となります。いよいよここで、北海道沿岸などで膨大な漁獲量を上げるスケソウダラの出番です。

でも、スケソウダラは「新鮮な状態ではねり製品原料としてばっちり(かまぼこ形成能が高い)だけど、ちょっとでも鮮度が落ちるとぜんぜん駄目」という壁にぶちあたります。しかし、なんとかこのたくさん獲れるスケソウダラを使いたい……!と、昭和34年に長期保存が可能な「無塩冷凍すり身」が開発されました。以来その技術は改良を重ねながら、水産ねり製品の大量生産に生かされています。

それにしてもスケソウダラ、身も卵も日本の食卓でめちゃくちゃ大活躍ですね。なんならちくわに明太子詰めて、世にもおいしい親子共演もありますし。