有馬ひょうたんレポ(その1)太閤橋の馬印
by 丸黄うりほ
きょうからしばらくの間は、有馬温泉でみつけたひょうたんレポートをお届けしていこうと思います。
「ヒョウタン総合研究所」を名乗る私こと丸黄うりほと、所員のふじっこさんが、兼ねてから気になっていた有馬行きを決行したのは、松蔭中学校・高等学校美術部による期間限定のひょうたんアート「愛をこめてひょうたんを 〜Came back 青春〜」を見るためでした。そちらについては11月24日・25日の「ひょうたん日記」で詳しく紹介していますので、ぜひお読みくださいね。
さて。そもそもなぜ有馬温泉がひょうたんなのかというと、それは太閤・豊臣秀吉が愛した温泉として有名だからであり、秀吉の馬印が千成ひょうたんだからなのです。
その日、神戸電鉄有馬温泉駅を降りた私たち「ヒョウタン総合研究所」は、まず駅のそばを流れる有馬川までやってきました。この川にかかる最初の橋が、有馬の最初のひょうたんポイント、太閤橋です。
写真①をご覧ください。太閤橋の欄干に、秀吉の馬印・千成ひょうたんがくっきりと刻印されています!この欄干を後ろから見たのが写真②です。なかなか人目につきにくい裏側にもひょうたん、それも手を抜かずに異なるデザインのひょうたんが刻まれているのがうれしいですね。ちなみに、このひょうたんは橋の南西と北東で見ることができ、南東と北西には秀吉の家紋である太閤桐が刻まれています。
川沿いには歩道があり、その橋にも千成ひょうたんの馬印を見つけることができました(写真③)。さらに、太閤橋と有馬街道(県道51号線)が交わる太閤橋交差点の信号機にも千成ひょうたんを発見!(写真④)
交差点の近くには、橋の謂れでもある「茶人太閤像」も鎮座していました(写真⑤)。この銅像の秀吉はなかなかハンサムですよね!どこか遠くを見つめるような目をしていますが、この目は一体どこを見ているのでしょうか?実はこれ、ちゃんと解答があるらしいのです……。
まあそれは一旦おいといて。有馬川をはさんで銅像の対角線上には、神聖とされている巨石が二つあります。そのうちの一つが「袂(たもと)石」(写真⑥)で、もう一つが「仏座巌」(写真⑦)。「袂石」のほうは紙垂もかけられているし分かりやすいのですが、「仏座巌」のほうはなんだか微妙。埋没していて、コンクリートみたいに見えてしまいます。
しかし、いずれも古い伝説や言い伝えがあるらしい。「袂石」は、熊野久須美命が袂から投げた小石が巨石になったと伝えられていて、有馬の「温泉神社」とも所縁がありそう。大変古く、由緒のある温泉地だということがこのことからも分かります。
秀吉との所縁は、彼が播磨・但馬を平定しようとした天正7年(1579年)ごろに遡るようで、温泉がたいそう気に入り、有馬で大茶会を開いたこともあったのだとか。また、この地で地震が起こった際には、建物や泉源、川の改修工事などに尽力したとも言われています。
そんな秀吉が愛した有馬で、私たちはあといくつのひょうたんに会えるのでしょうか? 明日もどうぞお楽しみに!
(650日目∞ 12月2日)