「空也上人開山忌」とひょうたん(3)

by 丸黄うりほ

▲王服茶(おおぶくちゃ)が振舞われました

▲ひょうたん型の干菓子!可愛さに感動

▲庫裏の梁にもひょうたんが

▲ガラス窓にもひょうたんの透かし

▲空也堂を象徴するひょうたんと茶筅

▲「歓喜踊躍念仏使用金銀瓢」と書かれています

 

六斎念仏奉納後には、空也堂住職のお話がありました。

「かつて都に疫病が流行した時、空也上人が八坂のあたりに観音様を奉り、そこで火を起こしてお茶を振舞われた。そのお茶を飲んだ人は治癒し、やがて疫病の流行もおさまった。それが王服茶(大福茶)の起源といわれています」……だいたいこのような内容だったと記憶しています。

大福茶というと、結び昆布と梅干しが入った縁起のいいお茶で、お正月に飲むものというイメージを私はもっていたのですが、これも空也上人が始められたものだったのですね。

お話の後で参拝者に振舞ってくださったお茶は、同じ発音ですが表記が違っていて王服茶と書き、昆布と梅のお茶ではなくてお抹茶でした。空也堂の文字がくっきりと浮き出した、ひょうたん型の紅白の干菓子とともに。なんという可愛いお菓子なのでしょう!食べてしまうのがもったいないくらいです。

私は開山忌に参らせていただけた喜びをかみしめつつ、空也上人が京都にいらした時代も、やはり人々は疫病と闘っていたのだなぁと思いを巡らしておりました。

蛇足ですが、私の聞き違いでなければ、確かこの時、住職はご自分のことを「88世」だと名乗られた。漢数字なら末広がりの「八」、アラビア数字ならひょうたん型の数字「8」がふたつ……!またしてもひょうたんシンクロニティです。

お茶をいただき、お焼香をさせていただいた後、お手洗いを借りに庫裏のほうへ行った時にもひょうたんを発見しました。梁にひょうたんマーク。ガラス窓にもひょうたん柄。茶筅とともに漆塗りと思しきひょうたんの飾り物も並べてありました。

そして、ガラス陳列ケースの中にも、とても立派なひょうたんが入っていました。ずいぶん古いもののように見えます。近寄ってよく見ると、「歓喜踊躍念仏使用金銀瓢」と書かれた紙が添えられていました。ということは、やはり、もともと歓喜踊躍念仏ではひょうたんが使われることになっている。あるいは今までは使われてきたはずなのです。

私は思い切って尋ねてみました。「きょう見せていただいたお念仏では、ひょうたんが叩かれていませんでしたが……」

すると、「いつもは使われるんですよ」と住職が答えてくださったのです。「きょうは、大垣から予定の人が来ることができませんでしたから」

ひょうたんの使い手が、コロナ禍のために今回は京都まで来ることができなかった。今年の歓喜踊躍念仏がひょうたんパート抜きだったのは、そういう事情だったようなのです。近年はもうひょうたんを叩かなくなった、ではなくて今年だけの事情なのであれば、また来年や再来年には、空也僧によるひょうたん叩きを見ることができるでしょうか?

空也堂での「空也上人開山忌」に参らせていただき、数日たってから、私はまた新たな情報を得ることができました。12月13日から大晦日までの夕刻、やはり空也上人所縁の六波羅蜜寺で、空也踊躍念仏が奉納されるらしいのです。もしかしたら、こちらではひょうたん叩きが見られるかもしれません。

(418日目∞ 12月18日)

※次回419日目は奥田亮「でれろん暮らし」、12月21日(月)にアップ。

420日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、12月22日(火)にアップします。