ひょうたんな街・長浜(5)長浜にもあった!豊国神社

by 丸黄うりほ

▲JR長浜駅から歩いてすぐの豊国神社

▲神社の前には「秀吉公ゆかりの六社寺巡り」という看板が

▲左の図は、長浜町人の家に伝わった豊臣秀吉の像だとか

▲江戸時代はえびす宮とされ、明治時代に復興したという

▲もしかしたら、ひょうたん池……?

 

先週は長浜郊外を自転車で探索しましたが、今週は古い町並みが残る長浜の中心部を歩きます。どうぞ今週も「ひょうたんな街・長浜」探索におつきあいくださいね。

ふじっこさんと私はJR長浜駅にもどり、観光案内所にレンタサイクルを返却しました。昼食をすませ、まず向ったのが豊国神社です。

じつは、私たちが長浜巡りをしようと思ったきっかけは、「六瓢箪めぐり」の案内チラシをネットでみつけたことにはじまりました。「六瓢箪めぐり」というのは、長浜市内の秀吉ゆかりの六社寺を歩いて巡り、それぞれの社寺でひとつずつ、6つのひょうたんを授けていただくことができるという企画です。

その巡拝ルートは、豊国神社からスタートして、知善院、神照寺、総持寺をまわり、舎那院、長浜八幡宮に至るというもの。なんと、それぞれの神社やお寺で本物のひょうたんを授けていただける!というひょうたん好きにとって夢のような企画なのです。「これは行かねばなるまい!」と二人で大いに盛り上がっていたわけなんですが、事前に長浜八幡宮内に設けられた「長浜六瓢箪霊場会」に問い合わせてみたところ、「その企画は5年ほど前に終わっています」との残念すぎる返事が……!!

ああ、5年も前に終了していたなんて……。遅すぎた……。ひょうたんのように膨らんだ期待がしゅるしゅるとしぼんでゆきます……。ネットの情報って、たまにそういうことがありますよね。

そんなわけで「六瓢箪めぐり」はあきらめて、かわりにといっちゃなんですが、長浜新川にかかる「六瓢箪」探しに変更しました。長浜新川の6つの橋、6つのひょうたんについては、379日目(10月22日)の日記をどうぞお読みくださいね!

しかし。「六瓢箪めぐり」のキャンペーンは終わっていたとしても、やはり長浜観光をするうえで豊国神社へのお参りは欠かせません。なんといっても、長浜がひょうたんな街になったきっかけは秀吉の馬印、千成ひょうたんにあるのですから。

長浜の豊国神社も、京都の豊国神社や大阪の豊國神社と同じく秀吉を主祭神とする神社です。読みは大阪と同じ「ほうこくじんじゃ」。ここなら、ひょうたん物件やひょうたんモチーフのものも見つかるかもしれません。

豊国神社の前には「秀吉公ゆかりの六社寺巡り」という看板が今も残されていました。

鳥居をくぐらせていただくと、秀吉とともに蛭子神、さらに加藤清正、木村重成を祀る本殿と、稲荷社、天満宮がありました。

立て札によるとこの神社が建てられたのは慶長4年。ですが、豊臣氏の滅亡とともに廃社となり、江戸時代は蛭子神社として密かに信仰されていたそうです。復興したのは明治時代。大正時代には「豊国神社」と呼ばれるようになったのだとか。

こじんまりとした境内には、秀吉が愛したという「虎石」も見つかりましたが、ひょうたんにまつわるものは見つかりません。その近くに石の橋があり、その日は水が張られてなかったのですがおそらく池だろうと思われるくぼみがありました。それを見て、「これはもしかしたら、ひょうたん池なんじゃないですか?」とふじっこさん。

確かに、そういわれてみればひょうたん池かもしれません!だとすると、石橋はひょうたんの真ん中に渡した飾り紐ですね。京都の妙心寺退蔵院にあるひょうたん池とちょっと構造が似ています。

この池のほかにはひょうたん物件は見つけられなかったのですが、境内にある説明文には、長浜町人の家に伝わった豊臣秀吉の画像も添えられていて、長浜の人々がいかに秀吉を慕い、崇めていたかが伝わってきました。

(382日目∞10月27日)