チチさんのイカレレ

 by 奥田亮

さて、1週間飛びましたが前回の続きです。

初代イカレレは、チチ松村さんの「ボク、もうちょっと小さいのがええわ」の一言によって私の手元に残り、小さいイカレレを作ることになったいきさつは前回書きました。以下にその後の展開を高速で辿ります(ただし記録が全くないのでうろ覚えです)。

小さいイカレレは、たぶん1年後ぐらいに完成。

2006年の8月8日「ひょうたん楽器展」とライブを大阪のワークルーム(花形文化通信の会社がやっていたカフェ1999-2007)で開催。この日来てくださったチチさんに完成したイカレレをお引き渡し。

ひょうたん楽器展(2006年8月8日/北浜ワークルーム)の解説リーフレット

数年後? チチさんから「イカレレが壊れた」と連絡あり。

2014年頃 引き取りのためにチチさん宅訪問。いつでもいいですよというお言葉に甘えて(甘え過ぎ!)、2020年現在まだ修理途中。

なんと10数年の歳月が経過しています。この間に私は大阪から東京に転勤〜会社退職〜長野県小布施町に移住と人生が大きく動いたのでした。

以下、時系列が前後してわかりにくいかと思いますが、小さいイカレレ制作当初の思惑と経緯について記します。

確かに初代イカレレは、ウクレレと呼ぶには大き過ぎますし、ボワンとした音もウクレレ的ではありませんでした。存在感もウクレレ的な軽みは感じられません。今回はチチさんのご依頼ということで、自分の好みはさておいて、ウクレレの一種としてのイカレレ、という路線で進めることにしました。基本路線はリュート属。胴体がヒョウタンで棹(ネック)を別につける形です。 このリュート属のイカレレをつくるにあたって留意したのは、ネックの素材でした。ヒョウタンはとても軽いので、どうしてもネックの方が重くなってしまうのです。そこでネックの素材として、軽いバルサを採用することにしました。ただ、バルサは軽いけれどとても柔らかいので、しっかり芯を通したり、糸巻きが緩まないように硬い木を貼り付けたりという工夫をしました。フレットの指板には、やはり軽い桐材を使いました。

とにかくも2代目イカレレは完成し、無事チチさんのもとに落ち着きました。ネックがイカの胴体、ボディがヒョウタンでゲソ部分。初代とは随分趣きの異なるイカになりました。

チチさん宅で陳列されていた当時のイカレレ(「花形文化通信」チチ松村インタビューその3/5(2019年9月10日)より転載)

ところがその数年後、イカレレが壊れたという連絡をいただきました。天板が弦の張力に負けて割れてしまっていたのです。ネックには芯を通したので大丈夫だったのですが、天板が薄過ぎたのと、弦を固定するカナメの強度対策が充分でなかったのが原因でした。これは制作したものの責任です。ということでおそらく2014年ごろ、チチさん宅にイカレレを引き取りに伺ったのでした。

それからさらに月日は流れ、「すみません、まだ出来てません」「いつでもいいですよ」を繰り返して気がつけば早や6年(!)。このままでは修理が完成しないまま、有耶無耶にしてしまいそうな恐れが出て来たので、この「でれろん暮らし」連載のネタづくりを兼ねて(?)、一気に修理を完成させてしまおうと目論んだのであります。

ということで、次の写真がつい最近修理を終えたイカレレの全容です。ジャン!

2代目イカレレ(フレットはまだ仮置中)

じつはこのイカレレには、もう2つ仕掛けがありました。ジャジャン!

このイカレレ、暗やみで光るのです。全体に蓄光インキを塗装した「ホタルイカレレ」。これは、2006年にお披露目したライブでバカ受けし、チチさんにも大いに喜んでいただけました。チチさんのご自宅でも、暗やみでビカーッと光ったそうです。 さらに、こんなことにもなります。

ジャジャジャン!

イカの耳(ヒレ)を取り外すとピック(撥)になるという仕掛け。今回の耳は、バルサでつくっています。イカレレをイカの耳で弾く様子は、完成当時、チチさんが何かのテレビ番組で披露されたそうで、もしかしたらご覧になった方がおられるかもしれませんね。

3回続いたイカレレのお話はこれでおしまいです。おかげさまでようやく修理は完了したのですが、ステイなんたらな昨今の状況の中、まだ容易に動けそうになく、実際にお渡しできるのはいつになることやら。チチさん、もうしばらくお待ちください…。でれろん、れれろん。

(333日目 8月17日)