でれろん暮らし その1「ああ、でれろん、でれろん」

by 奥田亮

 

先日、物置を整理したんです。長年保管していたヒョウタンがいっぱいあって、むちゃくちゃ場所とってる。こんなにたくさん、どうしよう?
で、この「ひょうたん日記」の主、丸黄うりほさんにダンボール箱に詰められるだけ詰めて送りました。それでもまだたくさん。

ヒョウタンを栽培して楽器を作って演奏するということを長い間やり続けています。特に楽器の材として秀でているというわけでもなく、もっと丈夫で響きのいい材はいくらでもあるのにどうしてヒョウタンで作るのか。それは「飽きないから」なのかもしれません。
ヒョウタンは品種によって大きさや形が変わり、タネの出自や苗の生育状況によっても一つひとつ違います。こんな形のがほしいと思っても、希望に叶ったものが収穫できるわけでもありません。だから楽器づくりは、できた実を見て「これならこんなものができるかも」と考えるところから始まります。それが楽しく、飽きない理由。

ヒョウタンで楽器を作る前から、楽器は作っていました。最初に作ったのは高校生の時。剣道の竹刀をバラバラにして弓のようにしならせ、弦(ツル)を張り、それを竹筒にブッ刺して鳴らすというもの。民族音楽にはまっていたということもありましたが、自分の興味はちゃんとした楽器をちゃんと作るという類いのことではなく、「その辺にあるもので適当に音の鳴るものを作る」ということだったのです。今の楽器づくりも、基本はこの延長線上にあります。
つまり、自分にとってはヒョウタンも「その辺にあるもの」のひとつ。栽培してたまたまできた実で楽器を作ってみました、というのが基本姿勢なのです。だから、楽器にふさわしい形のヒョウタンを育て、大切に保管しておく、というのはどうもなんか違う。楽器がほしくなったら栽培する、というぐらいのユルさが理想です。

と強がってみましたが、いざ置いてあるヒョウタンを眺めると、それぞれに特長も際立っていて味わい深い。減らしたいと思ってはいるんですけどね。
ああ、でれろん、でれろん。

(245日目∞ 4月6日)

奥田亮 1958年大阪生まれ。中学生の頃ビートルズ経由でインド音楽に触れ、民族音楽、即興演奏に開眼。その後会社に勤めながら、いくつのかバンドやユニットに参加して音楽活動を続ける。1993年頃ひょうたんを栽培し楽器を作って演奏を始め、1997年「ひょうたんオーケストラプロジェクト」結成、断続的に活動。2009年金沢21世紀美術館「愛についての100の物語」展に「栽培から始める音楽」出展。2012年長野県小布施町に移住し、デザイン業の傍ら古本屋スワロー亭を営む。2019年還暦記念にCD『とちうで、ちょっと』を自主制作上梓。